見出し画像

北条くんの『フラれても好きな人』

 
 
 
 北条真斗(ほうじょう まさと)・直に28歳。

 おれが勤めているのは商社で、部署は海外営業部の欧州部。欧州部は東西南北中部と5つの地域に別れていて、その5地域にそれぞれ主担当とアシスタントがいる。おれが担当しているのは北部。

 海外営業部のメンツは大半が男だが、女性がいないワケではない。欧州部に1人、アジア部には赴任中を含めて3人いる。アシスタントは大半が女性だ。

 その欧州部とアジア部の女性は、それぞれが非常にわかりやすく違うタイプ。

 ひと言で言うなら、アジア部の今井先輩はアジアンビューティー、坂巻先輩はふんわりキュート、松本さんは昔ギャルだったな、という感じ。欧州部の南原さんは少し小柄で、目のはっきりした可愛い系。

 そして、おれはと言えば、ずっとアジア部の今井先輩に憧れていた。それこそ入社した時から。

 初めて先輩に会った時、新卒だったおれは一目で夢中になった。当時つき合っていた彼女すら目に入らなくなるくらいに。そんな気持ちを抱いたままつき合うのが申し訳なくなり、程なく彼女とはわかれてしまった。

 だからと言って、すぐに先輩に思いを伝えるなんてことも出来なくて。

 見ていればすぐにわかるが、先輩は仕事も出来た。藤堂先輩や坂巻先輩のように目立つ存在ではなかったが、何をやっても確実に人並み以上に熟す人で、ペーペーだったおれには高嶺の花━まさに憧れの存在だった。

 でも、だからと言って諦めることも出来なくて。

 おれが先輩に相応しいくらいの男になれた時には、この気持ちだけでも伝えたい、と。きっと、その頃には、先輩は申し分ない他の男のものになっているだろう、と思ってはいたけれど。

 最初の頃は畏れ多くて、その後は藤堂先輩とつき合っているのだろうと勘違いし、なかなか近づくことは出来なかった。

 それが思い違いであるとわかって来た頃には、おれも少しは自分に自信が持てるようになっていて、逆に、今井先輩があれだけの美人にも関わらず、浮いたウワサが一向に出ない理由もわかるようになっていた。

 つまり、先輩はわかりやすく取っ付き難いタイプの女性だったのだ。遠巻きに眺めていたり狙っている男はいくらでもいたが、果敢にもアタックする勇気のある男はいなかった、と言うこと。

 まあ、アタックはともかく、気安く近寄って行けるのは東郷くらいじゃないかと思う。もしかして、あいつのアレはアタックの一種なのか?

 それは置いておいて、先輩の孤高は、ある意味、おれにとっては幸いだった。……はずなのだが。

 今年の年度始めも落ち着いた頃、突然、行なわれた雪村先輩の企画室への異動。おれはそれをチャンスと見做し、予てより考えていた今井先輩へのアプローチを開始することにした。

 今にして思えば、もう少し急げば間に合ったのかも知れない。出だしは良かったが、進行がゆっくり過ぎたのは、まだまだおれの見極めが甘かったと言うことなんだろう。

 根回しをしつつ、直接の誘いをかけた時。思えば、その時、既に勝敗はついていたに違いない。

 ━まさか。

 まさか、おれにとって藤堂先輩以上の最強の相手が、知らないうちに参戦していたとは夢にも思っていなかったのだ。

 ……いや、正確に言うと少し違う。

 おれは、本当は薄々気づいていた。何年も前から。気づいていながら、あの人は絶対に動かないだろう、とタカを括っていたのだ。

 返す返すも甘かった。今井先輩には、あの人を動かすだけの魅力があることはわかっていたのに。そして、あの人なら、今井先輩の心を持って行けるであろうことも。

 『あの人』━すなわち、海外営業部・北部米州部・営業課長 片桐 廉。

 あの人の参戦が、おれにとっての誤算だった。

 本来、おれにとっては片桐課長も憧れの存在だ。今井先輩のことさえ除けば。

 営業としては、激戦区である米州部において常にダントツのトップ。社長や専務からの信任も厚く、最年少での係長・課長昇進。人柄、振る舞い……何を取っても憧れしかなかった。

 そんな人が先輩に近づいていると知り、焦ったおれは強行手段に出た。まだ、先輩の心が確実に固まっていないうちなら、おれに気持ちを移してくれる可能性もあると信じて。

 先輩に相談事を持ちかけて飲みに行き、酔ったフリをして自宅まで送ってもらうように画策したのだ。本当は先輩を酔わせて潰すつもりだったのに、先輩は噂に違わず酒豪だった。

 そして、そこで、先輩を自分のものにしてしまえばいいと。

 多少、強引でも、おれのことを忘れられないようにしてしまえばいいと。

 自惚れではなく、かなり自信があったから。

 ━だが。

 おれの目算以上に、先輩の心は片桐課長へと傾いていた。いや、もう『落ちていた』と言った方が正しいだろう。

 ものすごい抵抗に遭い、挙げ句に、あの体勢から女性に投げ飛ばされると言う目に遭ってしまった。

 あまりのことに放心したおれは、あの見るからに、の酷い格好で部屋を逃げ出した先輩を追うことすら出来ず……。

 翌日からは出張などが重なり、10日ほど社に出社することはない状況で、先輩が無事だったのか心配で堪らないのに、怖くて連絡することも出来なかった。

 ようやく2日後の土曜日の夜、謝罪のメールを入れた。それもひと事しか書けなかった。『すみませんでした』と。

 先輩からは『うん、わかった。ごめんね。ありがとう』と返事が来た。

 先輩らしい、と思った。言葉が少なく、しかも用件だけでわかりにくいが。

 『うん、わかった』は赦し。

 『ごめんね』はおれの気持ちに気づかなかったことへの詫び。

 そして『ありがとう』は……おれの気持ちに対する礼。

 ……もう、何も言えなかった。完全におれでは力不足だったのだ。

 そして10日後。

 出張から戻り、先輩をひと目見ただけでおれにはわかった。

 先輩は完全に、身も心もあの人の……片桐課長のものになってしまったのだ、と。

 もう、完全におれの手の届かない人になってしまったのだ、と。

 仕方ないこととは言え、5年にも及ぶ片想いの末の失恋のダメージは大きかった。腑抜けになりそうな気さえするくらいに。

 それを押し留めてくれたのは、同期で同僚の南原さんの言葉だったと思う。

 それは、ある日の……昼メシの時だったか、南原さんがニコニコと嬉しそうに話し出した。

「ねぇねぇ、北条くん。最近、里伽子先輩、綺麗になったと思わない?」

 唐突過ぎるところは、さすがに南原さんだったが。

「元々、綺麗な人じゃない?」

 本当のことではあるが、適当な答えを返すと、南原さんはプゥと膨れて主張した。

「もう、北条くんってば!そうじゃないよ!確かに里伽子先輩は元々綺麗だけど、そーゆうんじゃなくて……前よりやわらかくキラキラしてるって言うか……」

 天然な言動がおもしろい南原さんの、至ってマトモな……いや、鋭い指摘。やはり女はそう言うところに敏感なのだ、と実感する。

「あぁ……そう言われてみれば、前よりも普段の顔の不機嫌そうな感じが少し緩和されたかも?」

 辛口意見で自分の本心を覆い隠す。正直、思い出させられるだけで、まだ辛いことは辛いのだ。

「ね、ね、ね?誰か好きな人でもいるのかなぁ~」

 南原さんは目をキラキラさせながら妄想を膨らませる。……逆に、おれはヘコむ。

「どんな人かなぁ~。里伽子先輩が好きになるくらいだから、きっと素敵な人だよねぇ~」

 夢見るようなウットリした表情で、おれの胸に刃を突き立てる南原さん。まあ、おれの片想いなんか知らないんだから仕方ないのだが。

 ……と言うか、彼女の中ではもう既に『今井先輩が誰かに恋をしている』と言う前提の話になっているのか?まさか、相手が片桐課長とは思っていないだろうが。

「里伽子先輩の飲み込むところを理解してフォローして緩和してくれる人だといいなぁ~」

 ……もう、完全に『付き合ってる』前提の話にまで発展していた……って、え?

「今井先輩の『飲み込むところ』って?」

 突然、おれは南原さんの発したひと言に意識を引かれる。

「ん?里伽子先輩って、何でもハッキリ言う雰囲気あるけど、意外と自分のことは飲み込んじゃうタイプじゃない?だから、そーゆうところ、包んでくれるような人がいいなぁ~って」

「…………………………」

 南原さんは今井先輩をそんな風に見ていたのか。初めて気づく。

「里伽子先輩はただでさえガマン強いから……里伽子先輩をガマンさせるような人だったら、私、許せない!」

 そんなこと言ったって、恋愛感情なんて本人同士が好きだと言えば、周りがどうこう言ったって仕方ないと思うのだが……南原さんのあまりの真剣な表情に圧倒される。

 そして、同時に思う。おれではダメだ、と。万が一、今井先輩に思いが通じたとしても、恐らくおれは、南原さんのお眼鏡には叶わない。

「……じゃあ、例えば、知ってる人で南原さんのお眼鏡に叶う人はいるの?」

 おれの質問に、一瞬、ネコみたいな目をキョトンとさせた南原さんは、じっと考え込む。

「……う~ん……社内だったら……片桐課長……とか」

 やっぱりか!くっそ、腹立つ!やっぱり、あの人には敵わないのか。と言うか南原さん鋭すぎる……。

「……あとは……」

 まだ、いるのか!?

「専務とか」

 おれは味噌汁を吹きそうになった。いや、もう、敵わなくて構わない。

「なるほど」

 しかし、妙に納得出来る答えに感じるのは何故なのか。

「あ~!何か、北条くん、私のことバカにしたでしょ~?」

「し、してないよ!」

 何でそう言う発想になるんだ!

「うそ!今、すっごいバカにした顔してたよ!もう、腹立つなぁ~」

「いや、本当にしてないってば。感心してたんだよ」

「知らない!」

 膨れっ面でプイッと行ってしまった南原さんの後ろ姿を眺めながら、天然だけど才媛なのは間違いないかも、と思い直したおれだった。

 とりあえず、彼女に負けないように仕事がんばろ。
 
 
 
 
 
~おしまい~
 
 
 
 
 
 
 
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?