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瑠衣のモノ思い

 
 
 
 ずっと、このまま続いて行くんだ、って思ってた。信じて疑いもしなかった。

 なのに私は、いったいどこで間違ってしまったのだろう。それとも最初から、私たちの関係自体が間違っていたのだろうか。

 颯……。

 最初は興味本位だったのに、いつの間にか、誰よりも好きになっていた。あなたより好きになれる人なんていない、と思うほどに。

 あの時の私に、もう少し素直さがあれば。つまらないプライドなんて捨てられる強さがあれば。

 私たちの道は、少しは違うものになっていただろうか。

 私は、あなたを失わずに済んだのだろうか。

 颯━藤堂颯一とは入社した時に知り合って、これは里伽子にも驚かれたけど、私の方からアプローチしてつき合い始めた。

 ハンサムで優しくて真面目で有能。非の打ちどころがなかった彼。そのモテそうな見かけとは裏腹に、私のことをとても大事にしてくれた。

 実力のワリに平和主義で、ちょっと押しの弱いところはあったけど、それでも、いつも強気な私を、時には困ったような笑顔を浮かべ、時には穏やかに笑いながら見つめてくれた、あなたの目が大好きだったわ。

 つき合い始めた当初から、颯のことで里伽子に無理やり何か意見を求めるたびに、「私は、個人的には瑠衣と藤堂くんは、根本的に合わないタイプと思ってるから何とも言えない」なんてバッサリと言われていたけど。

 今になって考えれば、里伽子の言うことは本当に正しかったのだと思う。

 里伽子は本来、その人がマイナス思考になるようなことを言うようなタイプじゃない。私の訊き方の無理やりさ加減と、あまりに私たちが違い過ぎることに、よほど心配があったんだと思う。

 結局、4年前のあの日、私たちはわかれる道を選んだ。

 もっと正確に言えば、私が颯を裏切った、と言ってもいい。

 ━そう。

 私は、あんなにも私を大切にしてくれた最愛の人の心を裏切ったのだ。

 わかれのキッカケになったのは、入社して1年半も過ぎた頃。つまり、颯と私のつき合いもそのくらいになった頃、私に舞い込んだ、海外赴任の前準備を兼ねた研修の話。

 これは、この仕事をする上で大きなチャンスだった。私にとって断る理由はない。……はずだった。たったひとつのことを除いて。

 それは、研修と赴任が続けば、4~5年は現地で暮らすことになるはずで、その間、私は颯と離れていなければならない、と言うことだ。

 以前の私なら、迷うことなく彼氏を切った。代わりがいるもの。必ずどこかに。

 だけど、私は迷った。きっと、生まれて初めて、くらいの勢いで。そのくらい颯に惹かれていた。

 さらに間の悪いことに、私が迷っている最中(さなか)、彼が当時所属していた海外営業部・北部米州部でも大変な問題が起きつつあった。

 当時の米州部部長、島崎部長が手掛けていた案件、もう、ほぼ本決まりだったはずの大口契約が、土壇場になって他社に掠め取られる形になってしまったのだ。

 あの契約は、当時の我が社のまさに生命線で、この契約が取れなければ潰れる、と言うくらいの危機だった。

 当時、課長だった現・矢島部長、当時の営業本部長、果ては当時の専務までが社長直々の指示で乗り出したのだけど、どうにも舵を取れずに沈没寸前だったらしい。

 諦めムードと絶望感が漂う中、起死回生に乗り出したのが、当時、まだ係長だった現・片桐課長。

 自分が手掛けていた案件と同時進行のような状況で、いったいどんな方法を使ったのか……粘りに粘った末、本契約成立にまでこぎつけたのだ。

 あの件は、片桐係長の営業手腕を社内外ともに大々的に知らしめる出来事だったはずなのに、片桐係長が手掛けていた別の本命契約との兼ね合い上と言う名目で、社内では伏せられている。

 もちろん、それ以前から片桐係長の手腕は知られていた。最年少で係長にまでなっていたのがその証拠でもある。

 あの件は里伽子も知らないはずだけど、私は颯から大まかなことは聞いて知っている。片桐係長といつも行動を共にしていた颯は、本当に係長を尊敬していて、嬉しそうに顔を上気させて話してくれたっけ。

 ━だけど。

 私はそんな報告をしてくれている彼に、一番、ひどい言葉を告げた。私の裏切り行為とも言える言葉。

 私に研修の内示が出た頃、颯は米州部のゴタゴタで、片桐係長と一緒にアメリカと日本を何度も行ったり来たりしていた。

 それこそ、社内でも顔を合わせる機会は少なく、ましてプライベートで会う機会なんて月に一度か二度、あればいい方と言うくらいで。

 私は自分への内示の件を、相談はおろか話すことさえ出来ず、迷いも相俟って苛立ちがピークまで募っている状態だった。

 里伽子はそんな私を心配してくれていたけど、当時の私にはその心配すら鼻についていて。

 忙しくて目が回りそうな中、やっと時間を作って会いに来てくれた颯に。嬉しそうに係長の功績を話している颯に。

 笑えない、生涯、後悔するような嘘をついたのだ。

 彼が一番尊敬している人を、私は自分の苛立ちの腹いせに最低最悪の方法で貶め、そして、何より私を大切にしてくれていた颯の心を裏切った。

 しかも、すぐにバレる嘘だとわかっていて。

 それを聞いた瞬間、颯は能面のような顔で固まり、小刻みに首を振った。

 常に颯と一緒に行動していて、尚且つ、颯より忙しいであろう係長に出来るはずもない酷い出鱈目に呆然としていた。

 第一、誰より可愛がっている颯を裏切るような、そんなこと出来るような人じゃないことも周知の事実。

 「……瑠衣。……何故、そんなひどい嘘をつく?いったい、何のために……」

 やっとの思いで声を絞り出した颯。

 「嘘じゃないわ。本当のことよ」

 「……嘘だ。係長もきみも、そんなことが出来るような人間じゃないことは、ぼくが一番良く知っている。いったい、何があった?」

 颯は私の腕を掴み、必死に感情を抑えながら問い詰めて来た。

 「瑠衣。本当だと言うなら、ちゃんとぼくの目を見て」

 ……とても見れなかった。颯と知り合う前の私なら、平然と見れただろう。嘘を本当に出来ただろう。でも、腕を掴まれながらも顔は背けたまま、私は身動きひとつ取れなかった。

 「……忙しくて会えなかったのは悪かったと思ってる。でも……」

 「私、研修と赴任が決まりそうなの」

 支離滅裂な展開の私の言葉に、颯が息を飲むのがわかった。察しのいい颯には、それだけで全て理解出来てしまっただろう。

 「瑠衣……」

 私の顔を凝視する颯の目には、困惑と、迷いと、そして自分を責める様子がありありと表れていた。

 その顔を見たら、さすがの私にも罪悪感が湧いたけど、自分の気持ちさえ持て余していた私には余裕はなくて。

 「……颯のせいよ……」

 私の八つ当たりの言葉に颯は俯き、

 「……ごめん……何も気づかなくて……」

 そう言いながら、背を向けて布団を被った私を、颯は躊躇いがちに後ろから抱き寄せた。

 颯の腕の中は、私にとって何よりも、どこよりも安心できる場所だったはずなのに……今は、罪悪感と苛立ちの狭間で、どうしようもないくらいに居心地の悪い場所になっていて。

 それでも、決して私の身体を離そうとしない颯に、私はまだ一縷の望みを持っていたのかも知れない。

 それから、何度も颯と話し合ったけど、結局、結論は平行線のままだった。と言うか、ここに来て、私のわがままで強気な性格と、颯の優しさが相互的に仇となる。

 颯は私の性格を良く理解してくれてはいたけれど、私が人に見せない弱い部分があることはあまりわかっていなかった。そこを一番わかってくれていたのは、ある意味では里伽子かも知れない。

 そして、颯が生来持っている『相手の気持ちを尊重する』ところが決定的に私を追い詰めたと言える。

 逆に、私は自分の気持ちをちゃんと表しもしないで、ただ自分の言って欲しいことを颯に望み過ぎていて。何故、私の欲しい言葉をくれないのか……そのことに苛立っていた。

 そして、後々になって思えば、もしもあの時、私が欲しかった言葉を颯が言ってくれていたとしても、私はきっと、いつか必ずその選択を後悔していた。

 何故って、そちらを選択し、今がその状況だったとすれば━。

 私は間違いなく、後悔しているから。望んでいたはずのチャンスを自分から放棄したことを。

 実は、片桐係長にも言われた言葉がある。

 『坂巻さんは本当にそれでいいのか?きみの方から待っていて欲しい、と言えば、藤堂は4年でも5年でも遠距離で待っている男だぞ』と。

 これは里伽子にも同じことを言われた。

 『合う・合わないの問題は置いといて、彼ならあんたが縋りつけばずっと遠距離恋愛でも待ってると思うけど』

 たぶん、その通りだと思う。あの二人は颯の性格も私の性格も、私たち以上に正しく把握していた。

 ━だけど。

 あの時の私には、その素直さも強さもなかった。むしろ、そうすることは私が一番嫌いな『弱さ』を晒け出すことだと思っていたから。

 自分の気持ちを、きちんと伝える行為に『強さ』を感じたり出来なかった。あまりに未熟だった私。

 颯との決定的な決別の夜、ひとりになりたい気持ちと、なりたくない気持ちの狭間で、私は里伽子の部屋に逃げ込んだ。

 里伽子は私の様子をひと目見るなり、何かあったことを察したみたいだったけど、自分の方からは何も訊いて来なかった。そう言うところが里伽子にはあった。

 『同じ社内にいたって忙しいのは変わらないんだから、遠距離でも試してみたらいいんじゃない?』

 里伽子の言葉に、何故、もっと早くそう思わなかったんだろう、と悔やんだ。颯にあんな嘘をぶつける前に気づいていれば、私たちの関係は、もしかしたら少し違うものになっていたかも知れないのに。

 だけど、もう遅かった。例え颯が赦してくれても……たぶん颯は赦してくれるだろうけど、私が忘れられない。一生、それを抱えていることに恐れがあった。

 「……ムリ……」

 何があったかはわからないまでも、そのひと言で、里伽子は察してくれたようで、それ以上、何も訊かなかった。

 その後、私は予定通り研修のために海外へ飛んだ。

 片桐係長が課長に昇進したこと、颯が企画室へ異動になったこと、などは里伽子から伝えられ、私は仕事に邁進することで、消せない颯への想いに折り合いをつけようと躍起になる日々。

 そんな辛さも薄れ、久しぶりの長期休暇であちこち旅行し、その一路として一時帰国した時。

 もちろん、その時には、私は颯への気持ちは吹っ切っていたけれど、颯に起きている変化を目の当たりにして、つい、ちょっかい出したくなってしまった。困ったことに、この辺りの性格はそうそう変わるもんじゃないらしい。

 でも、これが私だもの、仕方ない。

 颯には内緒で、雪村さんに置き土産をして来たけど……あの二人、これからどうなるかしら。

 そして、私は━。

 『ひとつ大切なものがなくなると、別の大切なものが現れる』をモットーに、現地で頑張っている。

 仕事も、もちろん、恋も。
 
 
 
 
 
~おわり~
 
 
 
 
 
 
 
 

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