里伽子さんのツン☆テケ日記〔12〕
いつも以上にガッツリと買い出し。課長、すみません。お米も尽きてました。
課長の言葉に甘え、お肉屋さん、魚屋さん……あっちへウロウロ、こっちへウロウロ。スーパーも巡って商店街を網羅。煮物に入れるのは鶏肉がいいか、イカがいいか、課長に訊いてみると。
「えっ!イカ、入れるのか!?」の答え。
じゃあ、イカにしてみましょうね。はい、決定。
あれやこれやしゃべりながらお店を見て回り、私が言ったり訊いたりしたこと、見るもの聞くものに驚いたり感心したりする課長。
楽しいのかな?楽しそうには見えるけど。たまに笑いを堪えてる感が丸出しなのよね。
あ、もちろん、買い出しの支払いはちゃんと自分で払いました!(誰に報告してるの?私)
そして、かなりの時間を買い物に費やし、課長にすごい重い荷物を持たせてようやく帰宅。まず忘れないうちに、課長に借りた服をお返しする。
それから、買って来た食材を整理。お肉や魚の仕分けと、さっき届いた野菜。いっぱい入ってて笑いがとまらなくなりそう。これで当分は……ムフ。顔がほくそ笑む。
課長はお米を米櫃に入れてくれたり、重い野菜を入れ替えてくれたりしながらも、私が仕分けているのをワケわかんないような顔して見ていた。
さて、じゃあ、お米を研いで、里芋を下茹でして、魚をおろして下味つけて。お味噌汁は……キャベツとタマネギにしようかな。
私がそんなこんなしているのを、課長が大きな身体を持て余し気味に、でも何だかニコニコと楽しそうにキッチンの隅っこで眺めている。もう手伝ってもらうことないし、そんなとこで見ててくれなくてもいいんだけど……。
「課長。退屈でしたらテレビでも観ててください。あ、何ならパソコン使われますか?」
一応、声をかけてみる。
「いや、こっち見てる方が楽しい。あ、それとも、ここで見てたら邪魔か?」
(え?楽しいの?こんなの見てるのが?)
ちょっとビックリ。いや、別に邪魔ではないけど、ジッと見られていると気になると言えば気になる。まあ、別に見てたいなら構わないんだけど。
「あ、いえ、それは大丈夫ですけど……こんなの見ててもつまらないんじゃないかと思って。じゃあ、飽きたら適当にテレビつけてください」
私の言葉に、課長は半分ホッとしたような、半分嬉しそうな表情を浮かべた。
「ああ、サンキュ」
そう言って、本当に飽きる様子もなくずっと眺めている。すごく穏やかな顔して。
たまに目に入る課長の表情は、昔を思い出しているような、何か懐かしいものを見るような優しい目だった。
……とは言え、直に作業は終わる。
「あとは少し置いて味を馴染ませるので……もう少し待ってくださいね」
私の声に、ハッと意識を取り戻したような課長の顔。慌てる必要ないのに、あたふたとリビングに戻る。私は淹れたコーヒーを持って課長の後ろに続いた。
コーヒーを飲みながら、テレビを観たりしながら、社の人のことも少し話したりしながら、のんびりと流れる時間。
課長は時々、ふと視線を一点に固定させ、あるいは宙を仰いで、何かを考えるような、何かを確認するような素振りをした。そのたびに口元に微かな笑みを浮かべ、ひとり納得したように小さく頷いている。
突然、私が思い当ったのは、前に課長と食事に行く途中の電車の中で交わした会話。
『寝に帰るだけだから、家でくつろぐというほどのことはないな』
そんなことを言ってたっけ。
こんな風に過ごすこともないってことなんだろうか。課長はもう何年も、そんな風に過ごして来たんだろうか。
そんなことを考えながらしゃべっているうちに、そろそろ6時近くなり。
「少し早いですけど夕食にしましょうか。課長、もうお腹入りますか?」と訊いてみる。
「ああ、全然、大丈夫。普通に腹減ってる」
あ、そうですか。ま、結構、荷物持ちとか肉体労働させちゃったしね。……ってか、何だか妙にウキウキしてない?課長。
私は煮物にもう一度火を入れ、下拵えしておいたものを揚げながら、酢の物を小鉢に移してテーブルに並べた。課長に運んでもらったお米も炊きたてゴハンに変身。私は心持ち硬めが好き。
ゴハンとおかずを盛りつけて並べたところで目を向けると、気づいた課長が嬉しそうにテーブルに移動して来た。課長が座ったところでお味噌汁をよそったお椀を置く。
「お口に合うかわかりませんけど……」
そう言いながら、私は課長の横に座った。ちょうど、初めて課長に連れて行ってもらったイタリアンレストランで座った時と同じ配置。
「いただきます」
課長が手を合わせる。
「はい、どうぞ」
私も同じく手を合わせる。
今日の献立は、白いゴハン、キャベツとタマネギのお味噌汁、イワシにエリンギとコールスロー風サラダを巻き込んだフライ、そして、里芋・ニンジン・大根・イカの煮物にキュウリとモズクの酢の物。キャベツ率高し。
さして珍しい料理ではないけど。課長は嬉しそうに食べてくれてるし、ま、いいでしょ。
ホントに普通にお腹空いてたらしい課長は、しっかりお代わりもして、満足した様子でお茶を飲みながらニコニコしてる。
……と、突然、携帯電話が振動する音。私のじゃないってことは……課長のだよね。仕事の電話かしら?それともプライベートかな?
課長の様子を窺っていると、うわ~渋い顔。無視したそうな感じだけど、仕方なさそうに画面を確認して、さらに渋い顔。誰なんだろう?
「ちょっとすまない」って言って、その場で応答しようとするところを見ると、私に聞かれちゃ困るような話ではないらしい。やっぱり仕事かしら?だとしたら、渋い顔も当たり前よね。休みなし、出張ありで2週間、やっとの週末なのに。
「片桐です」
電話の向こうで話してるのは男の人の声に聞こえるけど。さすがに何て言ってるかまではよくわからない。
「はぁ……わかりました。英語じゃないってことはスペイン語か何かですか?」
課長のこの返事の感じだと仕事だよね。専務か矢島部長、もしくは取り引き先?……なんて予想しながら黙って見ていると、
「えっ!?ちょ、ちょっと待ってください、部長!おれはスペイン語はギリギリ理解出来ますが……」
突然、慌てふためく課長。でも課長が最後まで言う前に電話は切れてしまったようだ。『部長』ってことは、やっぱり矢島部長だわね。
切れてしまった電話の画面を凝視して呆然としている課長。その顔に、珍しく困った感が滲んでいる。
詳細はわからないけど、『スペイン語ならギリギリ理解出来ますが』って返事の流れからすると?……何かあったってことよね。課長にもどうにも出来ないことなのかしら?
「課長……何かあったんですか?」
課長が慌てるような事態に、私が何か出来るなんて微塵も思ってはいないんだけど……でも、もしかしたら、ってこともあるじゃない?……いや、ないか。
「いや、すまない。何でもない」
課長の顔は、全然『何でもない顔』ではなくて。たぶん私への気遣いで、心配させないようにしなくちゃ感がザカザカ溢れている。
「課長。何か出来る保証はないですけど、もしかしたら、ってこともあります」
ここは念のため、一応、ってこともあるし。もしかして、もしかしたら、もしかするかも、じゃない?とりあえずでもいいから話してみてよ~と唱えつつ課長を促す。
課長はちょっと躊躇いつつ、私をジッと見つめてから俯き、
「……矢島部長からだったんだが……現地からの問い合わせメールが英語じゃないから対応して欲しいと。それがスペイン語なら、おれでも何とかなったかも知れないんだが、どうもフランス語らしい……」
尻すぼみな声で言った。やっぱり気持ち的にかなり切羽詰まっていたのだろう。
そっか~。確かにアメリカも英語以外にスペイン語やフランス語を普通に使う地域あるよね。課長はスペイン語は出来るんだ~……とかノンキに考えてる場合じゃなくて。
私は、と言えば、課長のその俯いた横顔を見つめながら、こんなこともあるんだ、と半分驚いていたりもする。
「あの……私、フランス語なら何とか理解出来ますけど……あ、スペイン語は全然ダメですけど」
驚いた課長は、ものすごい勢いで顔を上げ、目を見開いて私の顔を凝視した。驚き過ぎて声も出ないみたいだ。
「アジアの一部はイギリスやフランスの統治下だった国も多いので……」
そう。アジア部はフランス語出来ると結構便利なのだ。
「私のパソコンからじゃ入るの無理ですか?」と訊いてみると、
「無理だな。パソコン限定で、パスワードだけじゃ入れない」
それかぁ~。そうだよね。課長が使う情報はセキュリテイ大事だよね~。自宅のパソコンってことは社のパソコンでも難しいし。休日だから、部長は気を遣って自宅に送ってくれたんだろうけど、それが却って仇になっちゃったわよね。
……いや、でも、まだ手はあるじゃない!
勢いよく立ち上がった私を、課長がビックリした顔で見ている。でも私は、そんな課長に構わずに寝室に駆け込んだ。
急いでシャツとレギンスに着替え、いつも出勤する時に持ってるバッグに財布と携帯電話を放り込む。それからパソコン用のキャリーバッグを引っ張り出した。
リビングに戻り、考え込んでる課長に向かって叫ぶように言う。
「課長、行きましょう!」
「え……い、行くって……」
私の勢いに引き気味の課長。引いてる場合じゃないです!
「課長の部屋に決まってるじゃないですか!課長のパソコンじゃないとメールの確認出来ないんですよね?私のパソコンにフランス語ソフト入ってますから、持って行けば何とか返事出来ます!」
ポカンとした顔で固まったままの課長。ちょっと、そんな顔してるヒマないんでしょーーー!!
「課長。社のことですよ。私も課長と同じ社の社員です。例え、部署は違っても、問題は全ての部署に関わって影響して来るんですから、出来ることは相互扶助です!……出来るかはやってみなくちゃわかりませんけど」
……勢いに任せ、カッコよく言ったはいいけど、いまいち出来る自信の確証がないために語尾が失速気味だ。情けないけど。でも、やってみなくちゃわからないわ。
驚きながらも、私の目を見つめていた課長。
「……そうだな。頼む」
我に返ったのか、課長はいつもの力強い目になった。思わず、私までが自信ありげな顔になってしまうくらいに、いつもの社での課長の目だった。
頷き合い、急いで課長の部屋へと向かった私たち。
(これが出来れば、少しは課長へのお礼になるかしら)
課長と電車に揺られながらそんなことを考えていた私は、それから何時間も経たないうちに、自分にとっての『人生の転換期』を迎えることになる。
~里伽子さんのツン☆テケ日記〔13〕へ つづく~
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