呼び合うもの〔参〕〜かりやど番外編〜
優一(ゆういち)の逸る気持ちを感じ取ったのか、大樹(だいき)は小さく頷き、話を続けた。
「どんなに不本意であっても、彼らには彼らなりの、そうしなければならない事情があったんです」
「事情……」
頷いた大樹の目は、先程までとは違った熱を帯びていた。
「……妹さんのためです。彼らは全く逆の立場から、けれど同じくらいに強く妹さんを愛していた。それこそ、己の全てを賭けてもいい程に。
そして、その時の妹さんにとっては、昇吾(しょうご)くんの方が必要だった。だから、朗(ろう)くんは昇吾くんを妹さんの傍にいさせるために身代わりになったんです」
優一が息を飲んだ。
思い出されるのは、影のようにひっそりと、それでいて全てから庇うように寄り添っていた姿、視線、そして何より物腰。二人の間にある、他の介入を許さない何かを感じ、無意識の内に嫉妬していた自分。
「朗くんの話では、昇吾くんは妹のように、けれど実の妹以上に妹さんを……美鳥(みどり)さんを大切に思っていると言っていました。
ぼくが『ならば、きみは?』と訊ねると、信じられないくらいに優しい、それ以上に全てを燃やすかのような熱い目をして『この手に残るものは彼女だけでいい程に愛してます』と。自分の彼女に対する想いは、昇吾くんのそれとは違うものなのだと……聞いてるぼくの方が圧倒されるくらいでした」
大樹の言葉を聞き、今となっては優一の中に嫉妬の念は浮かばなかった。
美薗(みその)──美鳥の存在が、優一の中で『妹』になりつつあることも影響していたが、何より、想いの強さで彼らに勝つなど、到底、無理だとわかってしまったからに他ならない。
「朗くんが彼女の元に戻るのと入れ替わるように……いや、正確には昇吾くんが姿を消したから、朗くんは彼女の元に戻った。ひとりにはしておけない、と。そして、ぼくは本当の昇吾くんと出会った。
正直、はじめは朗くんだと思って声をかけたんですが……見張らせていた者から聞いてはいたけれど、本当に驚くほど似ていました」
「それは……どちらも、必ずどちらかが妹の傍にいなければならないと……そう考えていたと言うことなんですね」
同時に、副島(そえじま)から聞いていた昇吾の死の顛末についても、氷のように疑問が解けて行く。
「昇吾は……何としても妹を救いたかったんですね。例え、己の命と引き換えにしても……」
「そう言うことだったんでしょうね」
優一はただ感じ入っていた。
あの時、新堂龍樹(しんどうたつき)と名乗っていた昇吾が見せた、美鳥に対する細やかでいて、決して本人には気づかせない心配りに。
「そして、それほど大切に守っていた美鳥さんの傍を昇吾くんが離れたのは、やはり彼女のために他ならない」
「それは、どう言う……?」
大切な親友を身代わりにしてまで、彼女の身を守ろうとしていた昇吾が何故、と疑問が浮かぶのは当然だった。だが、その質問をした一瞬、大樹がひどく躊躇ったのを感じる。
「昇吾くんは、これ以上、美鳥さんに何もさせないために……自らの手で決着をつけるべく、父の元に辿り着こうとしていたんです」
優一の驚きとは裏腹に、副島は予想していたかのように目を伏せた。
「……そう言うことか……」
大樹がちらりと父の顔を窺う。
「先生……?」
瞑目を解いた副島は、視線を下げたまま小さく頷いた。
「今の大樹の話で納得が行った。あの時……私が申し入れをした時だ。彼女が、三ヶ月ほど待って欲しいと返して来た……」
「はい。集中したい案件があるから、と……」
その仲立ちをしたのも、当然、秘書である優一であったため、さすがに記憶には留めている。
「あれは緒方昇吾のための『待ち時間』だ」
「あっ……!」
そう言うことか、と優一にも得心が行った。だが、大樹の『決着をつける』と言う言葉の方が気にはなる。
「昇吾くんは、自ら父の懐に入り、真意を確かめようと考えていたのでしょう。美鳥さんの代わりに、自分が全て決着をつけようと……結局、それは出来なかった訳ですが……」
優一の表情から読んだのか、疑問に答えるように、さらに大樹は付け足した。
「これはぼくの推測ですが、恐らく彼女も昇吾くんを真相に近づけたくないと考えていたのでしょう。昇吾くんに猶予を与えたのは、彼が決して真相に近づけないと、確信を持っていたからではないでしょうか」
「……互いが互いを想ってすれ違っていた……」
大樹が頷く。
「父から聞いた真相を知れば、美鳥さんが昇吾くんに知られたくない、と考えても不思議ではない。本当に気の毒なことをしました」
優一は、互いにそうとは知らずに出会い、そして知らぬままに永遠の別れとなった従弟に思いを馳せた。知っていたとしても、何かが変わっていたとは限らない。それでも、名乗ることが出来ていたなら、と考えずにはいられなかった。
「……妹は、今、どこに……」
返事にはわずかの間があった。
「申し訳ない。ぼくにもハッキリしたことはわからないんです。彼らが住んでいたマンションにも、今となっては人が出入りしている様子はなく……ただ……」
「ただ……?」
大樹は言い淀んだ。
「何か心当たりがあるんですか? あるなら教えてください……!」
優一が食い下がる。
「松宮家が所有していた施設の内、どこかにいるとは思うのですが……特定出来ません。あまりにガードが固くて確認すら出来ない上、我々が知らない施設もあるはずなので……」
申し訳なさそうな大樹に、優一は熱くなった脳がやや沈静化するのを感じた。
「……すみません……つい……」
「いえ。ただ、報告から推測するに、彼女が使っていた夏川と言う苗字……これは、松宮家の主治医であった夏川医師からではないかと。父の話では、彼の息子が後を継いだらしい、と聞いていますので」
副島が同意するように頷く。
「では、妹はその夏川医師の元にいる可能性も……」
「はい。彼を探せば、美鳥さんの居場所に行き当たる可能性は高いと思います」
優一の胸の鼓動が大きく波打つ。
優一の中で、既に美鳥に対する気持ちは『夏川美薗』に対するものとは完全に別物へと変化していた。『唯一、血を分けた存在』として。
だが、静かに副島が言葉を挟んだ。
「もう、探す必要はないだろう」
大樹には特に驚いた様子はない。何より、優一本人にすら、『普段の自分なら持ち得なかった感情』を冷静に俯瞰させる効果があった。
今さら会ってどうなると言うのか。恐らくは彼女も、既に自分の素性など知っているであろうに、と。
ところが、食い下がったのは意外にも母・沙代(さよ)だった。
「副島さん。仰る通り、今さら会ったとてどうなるものでもないかも知れません。けれど優一の気持ちは……血を分けた妹に兄妹として一目会いたい、と言う気持ちはどうなるのでしょう。今となっては美鳥さまだけが、唯一、優一の血縁者なんです」
逆に母の言葉には、さらにいつもの優一に戻す効果があった。
「いや、母さん。先生の仰る通りだ。いつか、偶然が引き寄せない限り、ぼくと妹は会う運命ではないんだ、きっと……」
「優一……」
いつもと変わらぬ表情に戻り、優一は副島たちを見つめた。
「先生、大樹さん、ありがとうございました」
「繋がるものは、また繋がる。少し状況は違うが、きみのお祖母様が良く仰っていた口癖だ」
「はい」
四人は目礼を以って応え合った。
その中で優一は、自分を見る大樹の視線に何かを感じ、彼がまだ開示していない何かがある気がした。だが、今後、二人で話す機会は持てるだろうと、敢えて問い質すことはやめた。
この日を起点として運命は交わった。二人の道は、全く違うようでありながら、この日を境に、不思議と同じ方向へと並行して伸びて行くことになる。
これよりしばらく後、優一は見合いの席に臨んだ。
*
当日、優一は、母を伴い、副島に指定された場所に向かった。
迎えに行くつもりでいた優一に、副島は世話役と行くので沙代と二人で来い、と指定したのである。
「良い御縁になったらいいわねぇ」
「そうだね」
嬉しそうな様子を隠さない母。
自分の結婚話に心躍らせてくれているのを感じ、優一の胸の内にはどこか申し訳ない気持ちが湧いた。実の親以上に大切に育ててくれた母がこんなにも喜んでくれるのなら、もっと早くに考えるべきだったのに、と。
(母さんを安心させることなんて、本当に簡単で小さいことなのに……おれはそれすらして来なかったんだ)
むろん、仕事が忙しかったことも事実ではあるが、目を向けないようにしていたことも否定出来なかった。
それは、『夏川美薗』に出会う以前からの話で、気になる女がいるからどうこう、と言う問題ではない。つまりは、単に引き延ばしていたのである。
そんな優一に、沙代は結婚の話も、まして『孫を抱きたい』などと言う類いの言葉も、ただの一度も洩らしたことはなかった。
副島から自身の出生の秘密を聞いて帰宅した時、沙代から彼女自身の過去について、そして松宮(まつみや)家に関して知っていることを打ち明けられていた。結婚に関しても、彼が好きなようにすれば良いと思っている、と。
『孫』の話が出なかったのは、彼女が偏に『松宮家の特性』を知っていたからなのだと、優一はその時になって初めて気づいた。
「先生のお墨付きだから、きっといい御縁になるんじゃないかな」
前向きな言葉に沙代が目を細める。
断られるのは別として、もうこの時点で、優一は自分の方から断るつもりはなかった。その覚悟で臨んだ見合いであり、ある意味、副島の見立てを信頼してもいた。
何より、どんなに望んでも、もう『夏川美薗』はいないのだから、と。
〜つづく〜
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