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かりやど〔伍拾弐〕

 
 
 
『 も う も ど れ な い 』
 
 

 
 
夢も目標もいらない
後は結果だけでいい
 
終わりさえ来れば
それでいい
 
 

 
 

 自宅の書斎で、黒沼はひとり苛立ちを持て余していた。つい先ほどの事が、脳裏に焼き付いて離れないのだ。
 

 
「……誰だ?わしの名を……」
「ああ、チヤホヤされ過ぎて、『先生』などと大層な呼ばれ方をしないとダメなのかしら?でも、一体、何の先生なの?教師でも医師でもないよね?……おっかしいの」
 電話の向こうで、さも可笑しそうに言っている。カッとなった黒沼が、秘書の手から電話をもぎ取った。
「……貴様……小娘が、何者だ!わしを誰だと思っておる!」
 クスクスと楽しげに笑う声。
「……寂しいですわ……私の事がおわかりにならないなんて」
 商売女であるにしても、こんな無礼な女がいるはずはない、と黒沼は馴染みの店を思い起こす。
「……何が狙いだ?」
「……プレゼントはお気に召しまして?」
 質問には答えず、意味のわからぬ質問返し。
「……プレゼント……?……何の事だ……?」
「……お集まりを盛り上げて差し上げましたでしょう?……後は、ご自宅に着いてからのお楽しみ、ですわ」
 黒沼の目が見開かれた。
「……貴様……!わしの集まりをめちゃくちゃにしおったのはお前か!一体、何のつもりだ!」
 電話口からは、弾むように楽しげな息づかいが聞こえ、それが黒沼の心を更に煮え立たせる。
「……おい……!」
「……近いうちに、また」
「……何!?おい!もしもし?おい!」
 一方的に電話は切られた。秘書と護衛の男が、歯軋りする黒沼の顔を見遣る。
「……くそっ!小娘が……!」
 黒沼は、忌々しげに携帯電話を秘書に向かって投げつけた。
 これほどに腹立たしい気持ちになる事などない、と言うくらい、普段はご機嫌ばかり取られているのである。
「……一体、誰なんだ……あの小娘……!必ず調べ上げろ!」
 秘書の顔を睨み、怒鳴りつけた。
「は、はい……!」
 小さく縮こまりながら秘書が返事をする。──と。
「……ん?何だ、あれは……?」
 護衛の男が乗り出すように前方に目を向けた。
「どうしました?」
「ご自宅の前に……」
 訊ねる秘書に、男が前方を指で示す。
「……え……」
 驚きの声が洩れる。見れば、黒沼の自宅前に停まった車の列、そして人だかり。
「……今日は何かあるのですか?」
 護衛の男が、予定外の事は困る、と言う口ぶりで訊ねると、秘書はぶんぶん首を振って否定した。
 車が門に近づくと、たむろっていた者たちがワッと押し寄せた。その出で立ちから、どうやら雑誌やテレビ局の関係者らしい事がわかる。
「一体、何事だ!?まさか、さっきの事ではあるまい!?」
 黒沼も驚きを隠せない。その時、車に押し寄せた記者らしき男のひとりが叫んだ。
「数年前の松宮財閥の事件について!亡くなったとされていた、緒方グループの社長夫人が実は生きていて、隠していたのは黒沼代議士だそうじゃないですか!」
 黒沼の顔に衝撃が走る。
「……ええい、構わん!突っ切れ!」
 車を強引に敷地内に入れ、集る記者たちを遮断した。
 
「どう言う事だ!あの件は内々に処理したはずだろう!」
「……は、はい……一体、どこから漏れたのか……」
 秘書がしどろもどろで答える。そうは言っても、この秘書は比較的新任のため、数年前の事に関しては引き継ぎでしか知らされておらず、詳細は知らないのだ。
「……どうでもいいから何とかしろ!いいな!?」
「……は、はいっ!」
 普段から気分屋の黒沼ではあったが、かつてない剣幕に秘書が飛び上がった。
 その時、ノックの音。
「旦那様、失礼しま……」
「何だ!」
 苛立ちをそのままぶつけると、使用人の女がビクリと怯え、おずおずと花束を差し出した。
「……夕方、旦那様宛に届きまして……」
 見事な花束ではあるが、黒沼には心当たりがない。
「誰からだ!」
「あの……カードが入っているとの事で……」
 女がビクつきながら手渡すと、何も書いていない封筒を乱暴に開けた。中からカードを取り出して目を通すと、その細い目が見開かれる。
「……何だ!これは!」
 叫んだかと思うと、めちゃくちゃに破り捨てた。肩で荒い息をする黒沼の足元から、護衛の男が破り捨てた紙切れを拾い、内容を確認する。
 
『あなたの大切なもの、全て戴きます』
 
「……これは……どう言う意味だ?読みようによっては殺人予告にも取れるが……」
 その言葉に秘書は慄き、黒沼は更に怒りを顕にした。
「……あの小娘の仕業に違いない。わしに逆らうとどうなるか……思い知らせてやるわ!」
 
 ひとり憤る黒沼を尻目に、護衛の男は文面を凝視している。
(……何だ?この言い回しは……)
 命を取る事が狙いなら、こんなに回りくどい言い方をするだろうか?そして、あの集いの会場の脅しにしても疑問があった。それとも、油断させるつもりなのか?とも。
 
 頭の中で考えながら、その文面を何度も読み返した。
 

 
 本多と伊丹が、報告と次回の打ち合わせのために美鳥の元を訪れた。
 
「すんごい剣幕だったね。ホントにチヤホヤしかされた事ないんだ、って笑いが止まらなかった。その堪えてる感が、尚更、癇に障ったみたいだけど」
 美鳥がクスクスと楽しげに笑った。だが、ひとしきり笑うとすぐに表情を切り替え、伊丹に目を向ける。
「……黒沼の自宅前に報道陣が集まっていたそうだけど?」
「はい。張り込んでいた者からの報告に寄ると、黒沼が集いに出かけた後、いつの間にか集まって来た、との事でした。計画が変更になったのかとすら思ったそうで……」
 伊丹の返事に、美鳥が眉根を寄せた。黙って話を聞いていた朗も、その答えに驚いた表情を浮かべる。
「……あれは美鳥の指示じゃなかったのか?」
「違うよ。方法としては効果的ではあるけど、松宮や曄子叔母様の名前を出さなくちゃならない事は出来るだけ避けようと思ってたから……緒方グループへの影響が心配だし、義叔父様にだけは迷惑かけたくなかったから……」
 即答する美鳥の答えは、朗にとっても納得の行くものであった。
「……じゃあ、あれは一体誰が……」
 美鳥も考え込んだ、その時。
「美鳥さま。あれは小松崎家のご当主、つまり朗さまの父上がリークした情報です。突き詰めて言えば、斗希子さまの案と言う事です」
 本多が静かに答えた。
「父さんたちが……!?」
「朗のお父さんとお母さんが……!?」
 ふたりはほぼ同時に叫んだ。特に朗の驚きは大きく、目を見開いたまま微動だにしない。
「……でも、それじゃあ……朗のお母さんは緒方の義叔父様の実のご姉弟なんでしょ……?そんな、緒方グループに不利になるかも知れない事を……」
 美鳥は、昇吾との最後の別れに訪れた時の、斗希子たちの様子を思い出しながら呟いた。そのひと時の様子を垣間見ても、昇吾に対しても、義叔父に対しても、愛情は深かったように思えた朗の家族。
「斗希子さまが、緒方社長とご相談の上でお決めになり、小松崎氏が実行された、と言う事のようです。さすがに緒方社長も、曄子さまが昇吾さまを殺害した事までは公表出来ない、とされたようですが……」
「……どうしてわかったの?」
 美鳥の問いに、本多は頭を下げた。
「計画実行の直前に、斗希子さまから私に連絡がありました。この事で、松宮の親衛隊の行動に差し障りが出る事はないか、と確認のために。もし、支障が出るようなら取り止める、と」
「朗のお母さんから?直接?」
「はい」
 美鳥は自分が療養していた時期の、斗希子や本多の繋がりに関して、それほど詳しく知ってはいなかった。それ故、ふたりが直接、そんなやり取りをしていた事に驚く。
「叔父は本当にそれを了承したんですか?」
 ようやっと、朗も言葉を出せるまでに落ち着いた。
「斗希子さまが仰るには、そのようです。緒方グループの方に問題がないようであれば、こちらとしては逆に好都合でもありましたし、ちょうどその時は私にも余裕がなく、美鳥さまにリアルタイムでのご報告が出来ませんでした。申し訳ありません」
 淡々と事実を事実として告げ、報告を怠った事を認める本多。美鳥は確信的なものを感じつつも、それ以上は追及する事も出来なかった。
「……本当に……良かったのかな……義叔父様……大丈夫なのかな……」
 朗に確認するかのように美鳥が呟く。
「……母は何だかんだ言って、叔父の事を尊重している。だから、無理やりに実行した、と言う事はないはずだ。叔父もあれでいて、芯は強い人だから、いくら母の提案でも、受け入れられない事ははっきりと拒否する」
 穏やかな朗の返事に、美鳥の表情はまだ不安気だった。これ以上、緒方にだけは迷惑をかけたくない、と言う決意の表れが見える。
「……大丈夫だ」
 そう言いながら自分の頬に触れる朗の手に、美鳥はそっと手を重ねた。
「……うん……」
 それでも浮かない顔の美鳥に目を細め、朗が本多に目を向ける。
「美鳥の名前も出ていませんよね?今のところ、ニュースを観ても出ていないようなので大丈夫だとは思いますが……母の事だから、どこまで気づいているか、正直ぼくにも読めなくて……」
「その辺りは大丈夫のようです」
 その返事に安堵して頷き、打ち合わせの続きを促した。
「次回は、十日後の講演会を狙う予定ですが……黒沼は予定通りに行なうでしょうか?」
 本多の言葉で、目の前の現実に戻った美鳥が薄く笑う。
「……大丈夫。自意識が過剰な男だもの。脚光を浴びるために必ず出張るよ」
「では、予定通りに……」
 本多に向かって頷き、
「……本多さんが?」
 朗には意味不明の質問。
「……いえ……伊丹に任せようと思っております。宜しいでしょうか?」
「本多さんの采配に任せるよ。その辺は信頼してるから」
 自信ありげに答える美鳥に、本多は目を伏せて返事をし、伊丹は表情と身体を引き締めた。
 
 ふたりが去り、ふたりきりになると、朗はまた美鳥の横顔に意識を向ける。
「……また何か訊きたい事、ある?」
 口元に笑みを浮かべた美鳥の、悪戯っぽい確認の取り方。
「……わかってるくせに」
 ちょっと面白くない、と言う風な朗の首に、美鳥はするりと腕を巻きつけた。猫のように膝の上に滑り込みながら。
「……怒った?」
 下から朗の目を見上げ、ふんわりと笑いかける。
(……どうせ、この笑顔には勝てないんだ……昇吾もぼくも……)
 情けなさと同時に、それでも良いか、と言う気持ちも湧き上がった。端から負けを認めている自分を、否応なしに自覚させられる。
「……少し……」
 せめてもの抵抗を試みても、やわらかい唇に小さなささくれなど一瞬で持って行かれる。
「……まだ怒ってる?」
 もう一度、上目遣いで訊かれ、朗は少し目を逸らした。試されて、遊ばれて、それでも抗えない極上の翠玉。
「………………」
 無言を貫く朗に、美鳥の口角が持ち上がる。
「……今までは本多さんがやってくれてた……例えば狙撃、とか、そーゆうのを、今度は伊丹が担う事になるみたい……」
 その答えに、朗は驚いて目を合わせた。
「……本多さんはね……その手の腕前は群を抜いてるんだよ。滅多に見せてくれないけど……その本多さんが任せる、って言うくらいだから、伊丹も期待出来るはず……」
「……翠(すい)……まさか、黒沼を……!?」
 殺さない、と約束した時の事を思い起こす。
「……殺さないよ……それは違えないから大丈夫」
「……本当に……?」
「……ホントだよ」
 自分の目を、真っ直ぐに見つめる翠玉に嘘はない、と信じたかった。だが、信じたい、と思っている時点で信じていない、とも思う。
「……黒沼は殺さないよ……」
 心の内を読み取ったのか、美鳥が繰り返した。
 
 朗の返事は、重ねた美鳥の唇に直接吸い込まれた。
 

 
 十日後、黒沼が講演を行なう会場──。
 
 『先生でなければ』などと言う言葉に目がない黒沼は、意気揚々と控え室に入った。
「先生!この度はお忙しい中、このような小さな団体の講演をお引き受けくださり、本当にありがとうございます!」
「いやいや、わしを応援してくれる方々がいるのは嬉しいこと。こんな年寄りの話などで良ければ、いつでも話させて戴こう」
「ありがとうございます」
 揉み手で挨拶をする講演会の責任者に、黒沼が上機嫌で答える。
「それでは、先生……そろそろ会場の方に……」
「おお、そうか」
 会場は、三方を囲まれた中庭のような場所であった。立派な演台が用意され、聴衆は既にいっぱいで、所狭しとひしめき合っている。
 
 その会場の中、伊丹は確かな腕を見せた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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