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声をきかせて〔第10話〕

 
 
 
 呆然と立ち尽くすぼくを、何人かの通行人が不審そうに見ながら通り過ぎて行くのに気づいて我に返る。

 見てはいけないものを見てしまった。

 ……いや、違う。そうじゃない。

 見たくないもの、を見てしまったのだと、やっと気づく。

 専務と雪村さんが一緒にいたからと言って不倫とは限らない。限らないし、自分自身は信じてもいない。

 それでも。

 それでも、なお、見たくなかった、と心が叫んでいた。

 目撃した光景を頭から振り払いながら、急ぎ帰宅し、記憶ごと全て洗い流すようにシャワーを浴びた。

 ソファに沈み込み、携帯電話を手に取る。課長に話しておくべきなのか迷う。当然、シャワーなんかで流すことなど出来なかった光景は、『何かあったら』の『何か』になるのだろうか。

 そうだとしても、言いたくない自分がいた。誰かに話してしまうと、本当は幻だったものが現実になってしまう……そんな感覚。自分で現実だ、と認めてしまうような気がして。

 こんなにも動揺している自分に、自分自身が一番困惑する。

 それでも認めなければならない事実。

 それが、課長に危惧されたように、今井さんに指摘されたように、ぼくだけが気づいていなかった事実。

 仕事上の同期、仲間、同僚、その枠を超えて。

 ぼくは間違いなく、雪村さんに惹かれているのだと。

 それも堪らなく。自分でもどうにもならないくらい。抑えようがないくらいに強く。

 彼女のことを放っておけないのも、気になって仕方ないのも、いつも目で追ってしまうのも、全部そのためなのだ、と。

 ぼくはようやく自覚した自分自身の心に、ただ戸惑っていた。

 

 

 とは言え、自分の気持ちを自覚してしまうと、それはそれで楽になる部分もあった。もう、これは仕方ないのだ、と思える部分。ただし逆に、自覚したことで今までは気にならなかったことが気になる、と言う弊害も生じた。

 彼女の一挙手一投足が気になる。視界に映る彼女の全てが。彼女が視界に入らない時の不安が。彼女が電話で話している相手が。仕事上とは言え、彼女が他の男と話している時が。

 こんな風に、自分の思考の全てが『彼女が』『彼女の』に支配されていることに気づく。

 当たり前に存在する日常のあれこれに、いちいち一喜一憂することに笑いすらこみ上げてくる。こんなことは初めてだった。

 そして結局、専務と一緒にいたことは片桐課長に報告できないでいた。この迷いが、いつも課長に念押しされる原因なのはわかっているけれど。

「主任!内線です!鳴ってます!」

 武藤くんの声で、雪村さんのことと手元の資料だけに固定されていた思考が解放され、慌てて受話器を取る。

「企画室、藤堂です」

 答えるが、受話器の向こうから返事が聞こえない。

「あの?藤堂ですが?」

 もう一度、名乗ってみる。受話器を動かす独特の音が聞こえる。そして。

「あ、藤堂くん?ごめん、ごめん」

「は……」

 妙に軽い印象の喋り口が聞こえて来る。聞き覚えはあるような気がするが。

「ぼく、式見(しきみ)だけど。今日の夜、時間あるかな」

 ……式見……式見って……

「専務っ!?」

 驚いて声を張り上げてしまったぼくの方を、皆が一斉に見る。ぼくは皆に身振りで謝り、受話器を握り直した。

「専務。いったい……」

「ごめん、ごめん。驚かせちゃったね。だから片桐くんを通そうと思ったんだけど。今、現地との通信中らしくて出やしないからさ~」

 ちっとも悪いと思っていないような明るい調子で言う。まあ、普段の専務はこんな感じなのだが、ぼくに直接内線が来ることなどないので驚いてしまった。

「あの、いったい……」

「うん。きみにちょっと話したいことがあってね。あんまり仕事とは関係ないから、夜、時間をもらいたくて」

 まさか、雪村さんとのことでは?それとも村瀬の件なのか。わからない。わからないが、気になることは間違いない。

「はい、わかりました。どちらに伺えば宜しいでしょうか」

「悪いね~。じゃあ、7時にぼくの車んとこに来てね~」

「わかりました」

 そう言って受話器を置いた。専務からの内線に不安を感じたのか、野島くんたちが遠慮がちにぼくの方を見ているのに気づき、「何でもないよ」と言いながら手を振る。

 専務の話は、多かれ少なかれ雪村さんに関係したことだろう、と思う。わざわざ彼女が企画室にいないであろう時間帯を狙った、としか思えないタイミングだったからだ。

 どんな話を聞かされるのか、半分は知りたい気持ち、半分は知ってしまうことへの恐れ。気持ちが先走るが、とにかく7時までに出られるように仕事を終わらせなければならない。

 雪村さんが近くにいる時は、相変わらず意識してしまってどうしようもなかったが、やはり自覚したことで変な疑問がなくなった分、自分の気持ちに対しては達観できるようにはなった。そのお陰で、比較的、順調に仕事を進めることができ、一区切りさせて仕事を上がれそうだ。

 7時近くになり、残っていた野島くんと藤川くんに声をかけ、ぼくは専務との約束通り駐車場へと向かった。

 専務の駐車スペースに行くと既に専務は来て、ぼくを待ってくれていた。

「専務!お待たせして申し訳ありません!」

 ぼくの言葉に振り向いた専務は、一見、柔和な笑顔を浮かべて手を振る。

「いやいや。ぼくの方こそ突然のお誘いでごめんね。じゃあ、そっちに乗って」

「はい。失礼します」

 そう言って助手席に乗ったぼくは、その車が昨日の夜、目撃した車とは違うことに気づいた。もちろん専務のことだ。車を複数台所有していても不思議ではないし、特に不思議には思わなかったのだが。

 走り出した車は、週末のやや渋滞気味の道路を走る。現在進行中の企画の状況などを話していると、30分もかからずに専務があるビルの駐車場に車を入れた。

「着いたよ~」

 そう言いながら車を降りたので、ぼくも専務に続いた。

「え~と……33階だったよな~」

 専務が独り言のように言いながらエレベーターのボタンを押すと、高速エレベーターにありがちな耳詰まりを起こすこともなく滑らかに上昇して行く。

 33階に着くと、専務はぼくに目配せしながら誘導し、高級そうな店の入り口をくぐる。

「式見さま。いらせられませ」

 女将と思しき女性が丁寧に挨拶をし、「こちらで先にお待ちでございます」と先導してくれた。「先にお待ちで」と言うことは、他にも誰か一緒と言うことなのだろう。

 緊張が強まる。いったい、これから何が始まるのだろう。

「失礼致します。お着きになりました」

 女将が言いながら戸を開け、専務とぼくを中に促す。専務の後ろから中に入ると、そこには既に3人の男性が席に着いていた。

 その3人を見たぼくは驚きのあまり、一瞬、固まってしまう。

「社長!片桐課長!……と」

 そして……そして……

(……専務……!?)

 ……いや、違う。

 驚くほどシルエットや雰囲気が専務に似ている男性が、社長の隣に座っていた。顔立ちも似ていると言えば似ている。

 専務は呆然と立ち尽くすぼくを片桐課長の隣の席に促し、自分は社長の、そのよく似た男性の反対隣に座った。

 ワケがわからずに、ぼくの目線は社長、専務、専務に似た男性の顔を行ったり来たりする。すると専務が口火を切った。

「藤堂くん。今日は本当に突然悪かったね。あ、片桐くんはきみが緊張したり混乱しないように配置しただけの置物だから気にしないでね」

 隣で片桐課長が苦笑いしている。悪気はないのだろうがサラリとひどいことを言う専務を社長が咳払いで窘め、ぼくに向けて言った。

「藤堂くん。本当に突然すまないね。きみのことだから薄々察しているとは思うが、今日はここ数日の一連の出来事について、少し話しておきたいと思う」

「はい」

 ぼくの返事に社長は頷き、専務に似た男性の方を見て続けた。

「まずは紹介しよう。こっちは私の上の息子で、元は式見仁志(まさし)と言ったんだが、今は結婚して相手方の姓を名乗っている」

 すると、その男性が会釈して自己紹介を始めたのだが、その名を聞いて、ぼくも、そして片桐課長も驚きを隠せなかった。

「はじめまして……かな、一応。礼志(れいじ)の兄で、今は護堂仁志と言います。何だかお騒がせしてしまっているようで申し訳ない」

「護……堂……!?」

 課長とぼくの声が綺麗にハモり、顔を見合わせた。どうやら課長も知らなかったことらしい。

 専務の兄と言うことは長男のはずで、本来なら後継ぎだったはずではないのだろうか。そんなぼくの心を読み取ったように、

「まあ、年子だからひとつしか違わなくてね。双子に見られたりもするんだけど」

 専務がそう付け足した。が、重要なのはそこではない気がする。専務らしいと言えば専務らしいが。黙って聞いていたぼくの隣で、課長が小さく呟いた。

「専務にご兄弟がいらっしゃることは伺ってましたが……まさか伍堂財閥との関係がこんな形だったとは……」

 頷いた社長が口を開く。

「片桐くんたちも不思議に思うだろうが、順当に行けば仁志が式見を継ぐはずだった。だが、まあ、少々事情があってね。礼志に継いでもらうことになったのだ」

 恐らく『事情』と言うのは伍堂財閥の後継者の問題なのだろう。護堂社長の子どもは令嬢がひとりしかいない、と聞いた記憶がある。きっと仁志氏は、その令嬢の婿養子になったに違いない。それにしても何故、長男の方が、とも思うが。

「まあ、片桐くんたちのことだから、たぶんこれだけ言えば大体わかっちゃうと思うけどね~」

 専務がそう言うと、仁志氏が微笑んで自ら話し出す。

「父と礼志の話を聞くに、お二人には知っておいてもらった方がいいみたいだからね。だから前置きなしで言うけど、しずと……静希と一緒にいるところを目撃されたのは礼志じゃなくてぼくの方だよ」

 『しず』

 『静希』

 いったい、この護堂仁志という人は雪村さんとどう言う関係なのか。専務に対する誤解が解けたことよりも、雪村さんを親しげに呼ぶ、その様子の方がぼくの心を揺さぶる。

「ほらほら、兄さん。ダメだって言ったでしょ~。藤堂くんが恐い顔してるよ~」

 専務がニヤニヤしながらぼくの顔を見ている。隣で片桐課長までが苦笑いを浮かべてぼくの方を見ていた。ぼくの心の中は顔に丸出しになっていたらしい。

「あ、あ、あ、ごめん。忘れてた。つい……ね。でも、藤堂くん。ぼくは彼女と変な関係じゃないよ。そんなこと考えたこともない。これだけははっきりと断言しておくね」

 仁志氏が慌てて弁明してくれたが、では、どう言う関係なのか、までは言ってくれそうにない様子だ。ならば、こちらから訊いてみるか。

「あの……では、雪村さんとはどう言った……」

 思い切って訊ねてみると、仁志氏は困ったような表情を浮かべた。

「う~ん。ぼくが説明しちゃうのは簡単なんだけどね。たぶん、彼女がそれを望まないと思うんだよね」

 彼女が望まないと言うのは、仁志氏の口から話されることを望まない、と言うことなのか。それとも、二人の関係自体を知られたくない、と言うことなのか。悩んでいるぼくの顔を見つめて呟く。

「そんな顔されちゃうとな~。言っちゃってもいいかな……まあ、ぼく個人としてはね。ぼくとの関係なんて、彼女が何でそんなに頑なに隠したいのかわからないくらいなんだけどね。話してしまえばどうって話じゃないのに」

「兄さんが護堂の婿養子ってことは、護堂社長が怖くて誰も口に出さないだけの公然の秘密みたいなもんだけどね。彼女のことはどうかな。社長は本当は公表したいのに、頑なに拒んでるのが雪村さんみたいだしね」

 専務も不思議だと言うように続ける。

「まあ、ここまで言っちゃったんだし……いいか。しずが本気で怒ったりしたら、それはそれで見てみたいし」

 仁志氏は開き直ったように笑った。

「藤堂くん。あのね。ぼくはしずから見たら義理の兄になるんだよ。彼女はぼくの家内の妹なんだ。腹違いだけどね」

「え……」

 村瀬に絡まれた時、彼女が言った言葉が一気に脳裏に甦る。

『私の父と母は籍を入れていない』

『私は嫡出子ではないけど私生児でもない』

『母が父と出会った時、父の前の奥様は既に亡くなっていた』

 あれはこう言うことだったのか、と。

「義父も家内も、もう何年も前から……それこそしずが産まれる前からしずのお母さんとの結婚を望んでいるんだけどね。何でだか、あの人も頑なで。だからしずもそこだけはお母さんに右へ倣えなんだよね」

 仁志氏は『困ったもんだ』と言うように溜め息をついた。

「まあ、でも。お母さんは兎も角、しずが危惧しているのはそのことじゃないんだろうけど。ぼくも皆も、そのためにしずがひとりで抱えるほどのことじゃないと思うし、あの子たちを必ず守るつもりでいるんだけど……あの子も昔から強情で」

 今度は苦笑いする。

 だけど、ぼくが気になったのは『そのことじゃない』のひと言。そのことじゃない『それ以外のこと』とは何なんだろう。

「あの……雪村さんが危惧していること、と言うのは……」

 気になって仕方ないぼくは訊いてみるしかなかった。仁志氏の表情が変わる。

「ごめん。それは今の話よりさらにプライバシーに関わるからね。そこまでは……」

「しかし……」

 ぼくは食い下がった。それがわからない限り、これ以上は彼女の中に入れないような気がする。彼女が『自分以外には知られたくない』と言っていたのはそのことなのではないのか。

「藤堂、落ち着け。先方にだって都合ってものがあるんだ」

 今まで一切、口を出さなかった課長が、堪り兼ねたようにぼくを窘めた。それでも引き下がれない、引き下がる訳には行かない、そんな思いに駆られる。

 ぼくのその様子を、専務は驚いたように、でも面白そうに見ていたが、仁志氏はじっとぼくを見つめ、これ以上ないくらいに真剣な顔で口を開いた。

「本当に知りたい?どんな答えでも?」

 真剣な目で訊いてくる。その様子に何かを感じながらも、答えは、YES しかない。どんなことであれ、彼女のことは知りたい。

「はい」

 そう即答したぼくに、さらに仁志氏はこう言った。

「それを知ることで、きみは、『きみの中にいるしず』を永遠に失なうことになるかも知れないよ?それでも?」

 『ぼくの中にいる彼女』とは?その表現の意味はよくわからない。わからないけど。

「はい……!」

 そんなことは……ぼくが、ぼくの中の彼女を失なうなんてことはありえない。絶対に。

「……そっか。しずが言った通りの男だね、きみは」

 仁志氏はふっと表情を緩めると、そう小さく呟いた。

「えっ……」

 雪村さんがぼくのことを?何て言ったって?……と言うか、ぼくのことを仁志氏に話していると?

「ならば、なおさら。ぼくからは言えない。彼女に直接訊いてみて」

 困惑したままのぼくに仁志氏は、

「しずが話してもいい、と思えば、話すはずだから」

 穏やかに、でもキッパリとそう言った。その目は真剣で、そして何故だか、とても優しい光を放っていた。

「……はい。わかりました」

 ぼくの答えに嬉しそうに笑う。

「きみはこの間の夜、ぼくとしずが一緒にいる所を見ていたよね?」

「え……」

 ぼくが車に乗り込む雪村さんを見ていたことを、何故、知っているのだろう。不思議に思っていると、

「しずは気づかなかったみたいだけどね。バックミラーに映ったきみを見て、一目でわかったよ。ああ、あれが藤堂くんだ、って。しずに聞いていた通りだったからね」

 そう言ってさらに目を細めて笑う。まさかバックミラーで気づかれていたとは。それにしても雪村さんは、ぼくのことをどんな風に話していたんだろうか。

「……って、え~と。これだけでいいんでしたっけ?話すことは」

 仁志氏が社長に確認すると、

「何を言ってるんだ。まだ肝心なことを話していないだろう」

 社長が呆れたように言う。

「社長、それはぼくから話しますね」

 専務が口を挟んだ。社長が頷く。

「え~と、藤堂くん。村瀬くんの件は片桐くんから聞いたんだよね?で、もうひとつ、雪村さんのことを嗅ぎ廻っていた男、って方の話だけどね。ぼくの方でちょっと調べさせてみたんだ」

 専務の言葉に気持ちが一気に切り替わるのを感じる。

「最初は村瀬くんが興信所でも雇ったのかと思ったんだけどね。どうもゴシップ関係みたいなんだよね。だから、むしろ村瀬くんの方が乗せられちゃった感じらしいんだよ」

 専務のわかりやすい、しかし簡単過ぎる説明に社長が呆れたように溜め息をつく。

「礼志、私が話す。……今、話したように、どうも護堂の失墜を狙ったもののようなのだ。それに村瀬は乗せられてしまったのだろう。そして暴露しようと狙っているのは、静希くんの出生や母上のことなどではないはずだ。そんな公然の秘密など暴露しても意味はないからな」

「つまり、他の何かを探っている、と?」

「恐らく、な」

 社長のその言葉に、専務も仁志氏も黙り込む。それは、つまり、その探られている情報と言うのが、そのまま彼女が知られることを恐れている情報だと言うことなのだろう。

「今、そちらは私たちの方で手を打っているので任せてもらいたい。そのために、村瀬のこともそのまま放っておいて欲しいのだ」

「……わかりました」

 不安が拭えた訳ではないが、社長にそこまで言われてしまっては仕方ない。

「藤堂くん」

「はい」

 仁志氏がぼくの目を真っ直ぐに見つめる。

「静希のこと、頼む。きみの目の届くところで、あの子を守ってやって欲しい。例え……」

 仁志氏は一度目を伏せ、再び強い視線をぼくに向ける。

「あの子の秘密を知ってしまっても。それがきみにとって受け容れがたいことであっても。あの子には何の罪もないんだ」

 仁志氏の言葉は義兄としての思いに溢れていた。縋るような眼差し。

「はい。必ず」

 それこそ、ぼくが望んでいたことだ。ぼくに『否』はない。

 

 
 その後、社長たちと食事を共にし、専務が手配してくれたタクシーで課長と帰途についた時には既に11時を廻っていた。

「ふぅ~」

 タクシーに乗ると、課長がホッとしたように一息ついた。ぼくも肩の力が少し抜ける。

「課長。今日はご一緒して戴いてありがとうございました」

「い~や、おれも聞けて良かったよ。ま、今日のおれは置物だけどな」

 笑いながら言う課長に気分が解れる。……が、

「あとは、きみの努力しだいだ」

 すぐに表情を引き締めた課長が言う。それは即ち、ぼくが雪村さんの中に入り込めるかどうか、と言うことだ。

「はい」

「それでもな。やっぱり何かあった時にはちゃんと言えよ。社長たちも言っていたように、きみだけの問題で済まなくなる可能性もあるからな」

「はい。確かにその通りですね。肝に命じます」

「しかし、あんなに熱くなったきみを見たのは久しぶりだ。おれでさえ久しぶりなんだから、他の人が見たらびっくりするだろうな」

 優しく笑い、からかうように言う課長の言葉に思わず赤面する。

「それにしても……」

 課長が呟くように言う。

「まさかウチの社が縁戚関係にあったとはなぁ~。おれも初めて知った。公然の秘密って言っても、本当に上層の人間しか知りそうもないな」

「はい。驚きました」

「まあ、だからと言って、おれたちの仕事上の何かが変わる訳でもない。変わるとすれば……」

 言葉を飲んだ課長の横顔を見つめる。

「きみと雪村さんの関係だけだ」

「……………………」

「護堂仁志氏が望んでいるように、きみの気持ちが彼女に届くことを祈ってる」

 課長の言葉に、ぼくはただ頷く。

 彼女がひた隠しにしていること━それを話してくれるとすれば、それはぼくを心から信じてくれた時だけだろう。

 

 その事実を彼女から引き出すこと。

 それが、彼女にとってどれほどの勇気を必要とすることなのか、この時のぼくはまだ知らなかった。
 
 
 
 
 
~つづく~
 
 
 
 
 
 
 

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