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片桐課長のチョーゼツ長い日〔前編〕

 
 
 
━おまえを嫁にもらう前に 
 言っておきたい事がある━

 

 こんな豪気な歌も世間にはあると言うのに━━。

 今のおれの心境を表すなら……こうだ……!
 

あなた様にお嫁様に来て戴く前に
申し上げておきたい事があります
……ご両親に

 

 今日は、里伽子のご両親に初めて挨拶に行く日なんである。

「……その格好で行くんですか?」

 その日、おれの格好を見た里伽子の第一声。

「……おかしいか?」

「……いえ、そう言うワケじゃなくて……何か堅苦しくないです?」

 ……普通のスーツだ。いつもと何ら変わらない。強いて言うなら、やや新しいだけ。

「そりゃあ、きみは実家に帰るだけだから普段着でいいだろうが……おれがそう言うワケにはいかんだろう」

「……はあ……そう言うものでしょうか……」

 あ・た・り・ま・え・だ!

 『お嬢さんをぼくにください』的なことを言いに行くんだぞ?これから、おれは。

『じゃあきみは、初めておれの実家に行く時、普段着で行けるのか?』

 つい、意地悪く訊いてみたくなる。後が怖いから訊かないけど。

「……よし。用意出来たら行くか」

「はい」

 ……話ははぐらかして、いざ、出陣。

「……広いな」

 里伽子の実家を見た、おれのつぶやき第一声。

 里伽子の育ちが良さそうであることは、普段の立ち居振舞いから感じてはいたが……この家構え、お父さんは公務員と聞いているが、一体、どんな仕事に従事しているんだか。

「こちらです」

 里伽子に案内され、門をくぐり、ちょっとした庭を通り、玄関の扉の前に立つ。

 ピンポーン。

 インターフォンを押した里伽子が、受話器の音を確認して「里伽子です」と告げると、何やら女性らしき人の声。里伽子には女姉妹はいないはずだから、お母さんだろうか?

 しばらくすると、中からパタパタとスリッパのような足音が近づいて来る。そして『カチッ』と音がした瞬間、里伽子が一歩、身を引いた。

(………………?)

 おれが不思議に思っていると、勢いよく扉が開け放たれた。……正直、一歩、身を引いてなければヤバかったレベル。瞬きも忘れて硬直するおれの耳に、可愛らしい声が飛び込んで来たかと思うと、里伽子に何かが抱きついた。

「里伽子ちゃーーーーーん!♪おっかえりなさぁ~い!」

 女版・東郷のようなノリ。おれは、ただただ、驚いて固まる。

「……ただいま、お母さん」

 いつもの平坦な調子で答える里伽子の言葉に、おれは別の意味で驚愕した。

(……っ……お、お母さん!?……この人が里伽子の!?)

 顔はまだ見えないが、雰囲気からして既に似ても似つかない……。

「久しぶりぃ♪里伽ちゃん、めったに帰って来てくれないからぁぁぁぁぁ♪」

 里伽子に頭を押しつけてグリグリしているこの人が、本当にお母さんなのか……!?

「お母さん……お客様が驚いてるから……」

 固まっているおれを横目で見た里伽子が、お母さんだと言う女性を引き剥がす。すると、『お母さん』がようやくおれの方に目を向け、やっと存在に気づいた、と言う体で里伽子から離れた。

 ゴクリと息を飲み、挨拶の言葉を引っ張り出す。

「……は、はじめ……」

「んまぁぁぁぁぁ!あなたが里伽子の!ステキステキ何てステキなの!あぁん、私の方がテレちゃう♪里伽ちゃんがこんなステキな人を連れて来てくれる日が来るなんてぇ♪」

 おれの決死の挨拶の言葉を塗り込めて、ついでにおれに抱きついて、口を挟む間もなく怒濤の口上。どうして良いやらさっぱりわからず、おれは簾に巻かれた酢飯のように、されるがままに、ただ固まっていた。

「お母さん、課長が困っているわよ」

 窘めた里伽子が助け船を出し、お母さんを引っぺがしてくれる。……これじゃあ、どっちが親だかわからん……。

「……は、初めてお目にかかります。片桐と申します。本日はお時間を作って戴き、ありがとうございます……」

 ようやく言えた……。

「まあまあ、ようこそお出でくださいました。里伽子の母です。娘がいつもお世話になっております。お噂は伺っておりましたが、まあ、本当に何てステキな方なんでしょう」

 普通の挨拶も出来るんじゃないか……。

「取り散らかしておりますが、どうぞお入りになってください」

 そう言って、おれたちは応接室に通された。里伽子に選んでもらった手土産を渡す。

「お母さん、お父さんは?」

 ギクリ。

 このお母さんにして、どんなお父さんが登場するのか……ものすごい不安が暗雲のように過る。正直、里伽子はお母さん似だとばかり思い込んでいたのだ。だが、似ても似つかない!

 里伽子を色彩抑え目の水彩画とするなら、お母さんはクレヨン画、もしくはパステル画、ってとこだ。

「朝、呼び出しがあって少し出ちゃったのよ。でも、もう戻れるって連絡があったから……」

 お母さんが、何だか里伽子の顔色を窺うように返事した。お母さんでも里伽子さまは怖いらしい。

「……お待たせして申し訳ありません」

 申し訳なさそうな里伽子。

「……いや……お忙しいのに時間を作ってもらったのはこちらの方だし……」

 ……心の準備をする時間が出来たと思えば、むしろありがたいような……いや、早く終わらせたい気持ちもあることはあるが。

「奏輔(そうすけ)は上にいるけど……呼ぶのはお父さんが帰って来てからでいいかなぁ、と思って。もうすぐ亮輔(りょうすけ)も来ると思うわ」

 ……想像するに、里伽子の兄貴と弟、だろうな。兄貴はおれよりひとつ下、弟は里伽子より4つ下、と聞いている。

 そうこうしている間に、玄関の扉が開く音が響き、「帰ったぞ」と低音の渋い声が聞こえて来た。お母さんの顔がピコンと明るくなり、小動物のような動きで応接室を出て行く。

(……いよいよ、来た……!)

 無意識に背筋が伸び切ったおれの耳に、「この格好では何だから、先に着替える」と小さく話す声。ふたりの足音が廊下を遠ざかって行く。

(……どんな格好なんだ……?)

 また執行猶予が延びたおれの手は、膝の上で握力100くらい出してそうな勢いで握られていた。

 頭の中に、秒針の音がこだますような時間。とろ火で炙られるような時間。

(……もう、早くしてくれーーー!)

 おれの弱い心臓がネをあげそうになった時━━。

「……失礼する」

 先ほどの低音が聞こえたかと思うと、扉が静かに開かれた。心臓がバク転した気さえする。

「………………」

 おれは初めて、里伽子のお父さんと対面した。
 
 
 
 
 
~つづく~
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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