新規合成_2020-03-01_18-03-32

呼び合うもの〔伍〕〜かりやど番外編〜

 
 
 
 他愛ない話をして笑い合い、穏やかな時間を過ごした二人は、次の約束をして別れた。
 
 もちろん、優一(ゆういち)は和沙(かずさ)を送り届けてすぐ、副島(そえじま)と仲介の津野田(つのだ)に連絡を入れた。
 いくら個人的に約束を交したとしても、そこは建前としてであれ、仲介者を通して『三堂(みどう)家』にも伝えてもらわなければならない。
 報告を受けた副島は予想していたらしく、少し楽しげな声で「そうか」と答えたのみで、それ以上は何も訊ねなかったが。
 
 和沙との話が進展しそうな報告に、母・沙代(さよ)も大層喜んだ。
「まあまあ……じゃあ、娘が出来るのも夢じゃなくなりそうだわね」
 沙代にしてみれば、母ひとり息子ひとりの状況では、仮に結婚したい相手がいたとしても言い出しにくいのではないか、と考えていても不思議はない。相手にしても、やはり姑ひとり、と言う状況は手放しで喜べはしないだろうと想像がつくからだ。
 優一が今までそう言った話を出さなかったのも、自分のせいでは、と考えたことがないかと問われれば、それは否、である。
「明るくて頭も良さそうで、しかも綺麗なお嬢さんだったわねぇ」
「そうだね」
「お嫁さんが来てくれたら、明るく華やかになるわねぇ」
「そうだね」
 母に答えながら、優一は和沙の一挙手一投足、言葉の端々までをも思い起こしていた。何故か不思議と思い出せる。目や唇のほんの小さな変化、そして言葉の隅々までも。
 
 ただ優一は、この時にはまだ、自分と和沙の関係性について詳しく考えてはいなかった。

 和沙との何度目かの約束の日。
 忙しい合間を縫い、これまでに数度、ふたりは食事を共にしていた。
 
「お待たせしました」
 迎えに行った玄関先で待っていると、ほどなく和沙が姿を現した。既に何度か見たカジュアルな装いだが、そこにも育ちの良さが垣間見える。
 
「初めてお会いした日に行った店の先に、絶景ポイントがあるんです。少し距離がありますが、もし良ければ……」
「ぜひ、行ってみたいです」
 突発的な提案だったが、和沙ならそう言ってくれるような気がしていた。計画を立てたり、前もって話したりしなかったのも、敢えて、である。
 優一は頷き、静かに発車させた。
 
「お仕事の方は大丈夫なんですか? 今、お忙しいんじゃ……」
 和沙が黒沼代議士の件を知らないはずはなく、それ故の小半サイドへの気遣いであるとすぐにわかった。だが、昨今の副島の言動を思い起こし、優一は苦笑いするしかない。
「どうやら、あなたと会うのは副島にも推奨されているらしく……」
「ああ、なるほど。副島さんにも発起人としての何かがおありなんですね」
 正直に答えた優一に、和沙がさも可笑しそうに笑った。
「なら、安心して大丈夫かな」
 前方を見ながらも、和沙の表情が想像出来た優一の顔もゆるむ。
「何か音楽でもかけますか?」
「いいえ。会話の声だけで、流れて行く景色を追うの好きなんです」
 無言の間さえ、心地好く感じられる和沙との空間には、優一にとっても音楽は不要なものであった。同じ感覚であるのかはいざ知らず、気まずさなど感じていないとわかる返事に、心までゆるんで行くのを感じる。
「小半さんが何かお聴きになりたければ……」
「いえ。私も特に必要じゃないです」
 頷いた和沙が、再び窓の外に意識を戻した。リラックスした気配を感じ、優一も穏やかな気持ちでハンドルを握り直した。
 
 途中で昼食を摂り、ふたりは目的地へと着いた。駐車場に車を停め、優一が『絶景』だと評した場所へ向かう。
「わあ……!」
 和沙の顔が一段と輝いた。
「なかなかのものでしょう?」
「はい!」
 晴天の下、少し突出した岬からは輝く海の彼方まで見渡せる。
「こんなに素敵な場所なのに、人が少ないところもポイントですね」
 和沙のもっともな疑問に、優一は嬉しそうでいて、少しバツの悪そうな笑顔を浮かべた。
「少し外れた場所ですからね。……とは言え、元々、私がここを知ったのも、褒められた経緯(いきさつ)からじゃありません」
「どういうことです?」
 自分で言い出したにも関わらず、優一はフッと自嘲気味に目を伏せる。
「この辺りは本来、遊泳禁止区域なんです。学生時代に仲間とこっそり泳いでいて、海側から見つけたんですよ」
 一瞬、目を丸くした和沙が吹き出した。
「やだ、小半さん。本当なんですか、それ?」
「本当です」
 笑いっぱなしの和沙に目を細める。
「内緒ですよ」
「どうしようかなぁ……」
「えっ、和沙さん!?」
 優一は慌てた。が、上目遣いで舌を出す和沙の様子に冗談とわかり、二人は本気で笑い合う。
 
 ひとしきり笑い、和沙は笑顔を納めると海の方に視線を戻した。
「小半さん」
「はい?」
 海を眺める和沙の横顔を見つめる。
「一度、ちゃんとお訊きしようと思ってました」
「はい?」
 和沙の声は、特に思いつめたものではなかったが、何か大切なことを確認しようとしていることは読み取れた。ただ、優一には特に思い当たることがなく、内容の予想まではつかない。
「本当にいいんですか?」
「え?」
「本当に、私と結婚していいんですか?」
 それを前提に、既に何度か会っている身であり、さすがの優一も今さらそこから確認されるなど考えもしなかった。自分の態度に、結婚に対する迷いがあるように取られたのか、と己の言動を省みても、特に思い当たる節もない。
「どうして……」
 和沙は困惑する優一の目を見つめ、やがて睫毛を翳らせた。
「……どなたか想う方が……もしくは、忘れられない方がいらっしゃるのでは?」
「………………!」
 とっさに回避する術を持たず、わかりやすく無防備に息を飲んでしまった。気づかれていたと言う思い、何か言わなければならないと言う思いが絡み合う。
 
 風と波の音がふたりの沈黙をさらって行く中で、優一は答えを探しあぐねていた。それは初めて感じる迷いの時でもあった。
 
「何となく、そんな気がしていたんです。違っていたらごめんなさい」
 このリアクションを見られて、今さら違うと答えても説得力はないだろう、と優一は思った。しかも、彼女は明らかに確信しているようにしか見えない。ならば、と考えを巡らせる。
「……ない、とは言えません」
 迷いながら口にした優一に、和沙は目で頷いた。
「それは……私もこの年齢です。今までに何もなかった、とは……到底、言えません」
「それはそうです。けど……」
「わかってます」
 和沙が真に訊きたいことの本質を、優一は正確に捉えていた。それでも、前置きせずにはいられなかった。
 それは、かつての優一なら考えられないことであり、自分でも変化に戸惑いを隠せない。ただ、その変化は相手が和沙であるが故、であることはわかっていた。
「……忘がたい人が……いたのは事実です」
「……いた……?」
 過去形の答えに、和沙が疑問形で投げかける。
「ええ。いました」
 不思議なほど穏やかな気持ちで答えた。
 本来なら、過去のあれこれなど話すべきではない、とわかっていながら、優一は和沙に打ち明けようと腹をくくった。
 
 水平線を眺めると、潮風が頬と髪をなでて行く。静かな間を噛みしめる優一を、和沙はただ黙って待った。
「手に入れたいと……望んだ女性(ひと)がいました。けれど……」
 横顔に和沙の視線を感じる。しかし、先を急かす気配はなく、それがむしろ優一の心を早めた。
「手に入れることは叶いませんでした」
「何故です? では、その方は、今……?」
 口元が自然に微笑む。
「……いえ、想いを伝えるどころか……もはや二度と会うことすら叶わない人です」
 和沙が小さく息を飲んだのがわかった。
「亡くなったのですか……?」
「ええ」
 躊躇いがちに訊ねる声に、迷うことなく答える。それは物理的に言えば『嘘』なのだが、優一の中では同義語であった。彼が望んだ『夏川美薗(なつかわみその)』は、もうこの世のどこにもいないのだから。
「そうでしたか……」
 訊いてしまったことを後悔している様子に、優一は己の言葉足らずを反省した。
「勘違いしないでください、和沙さん」
 再び、自分の方へと意識を向けさせる。
「もし、今、彼女が生きていたとしても、私はもう会うつもりも、想いを伝えるつもりもない……今となってはその必要はないし、既に気持ちの整理をつけたことです。
 でなければ、あなたとの見合い話を受けるつもりもなかった。ただ、既にいないことが……祈りと記憶に繋がっているだけです」
 はっきりと付け加えた。『妹』の無事と幸せへの祈りであること、それは確かであったから。
 和沙は真っ直ぐに優一を見つめていた。見つめ返し、優一は言い切った。
 
「私は本心からあなたとの結婚を望んでいます」
 
 揺らがぬ和沙の目線。
 言い切ったことで、優一の心の中にも揺るぎない確証として固定される。
 
「和沙さん、改めてお願いします。私と結婚してください」
 
 ストレートな優一の言葉に、和沙は頷くように睫毛を伏せ、そしてもう一度視線を合わせた。初めて会った時と変わらず、和沙の瞳は強い力を湛えている。
「よろしくお願いします」
 よどみのない返事に、優一はそっと和沙の手を取った。互いの体温が指先から溶け合って行くのを感じ、優一は初めて充足感を覚える。
「大変な思いをさせない、とは約束出来ません。けれど、必ずあなたと並んで行きます」
 後出しなど卑怯ではないか、と優一は自分でも思った。それでも気休めは言えなかったし、和沙なら受け入れてくれるだろう、と確信してもいた。
「……退屈はしなさそうですね」
 楽し気な上目遣い。
 
 案の定、いや、予想を上回る返事に、優一は負けを認めて破顔するしかなかった。
 彼女となら、きっと歩いて行けるだろう、と。
 
 
 
 
 
~つづく~
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


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