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春の終わり、雨と共に、命を尽すまで舞い踊り、この世にせめて跡を残そうとしているように、浮世の花は散り散りと。過程が美しく、記憶に残るような素晴らしいダンスで、最後の一瞬を演じ終え、そして輝きを失い、腐って地に帰る。瞬時的で、終わりに向かう「終えの美」。この晩春にふさわしい景色とも言えるであろう。
未来に羽ばたくもの、過去にひきずるもの、出会いを楽しみもの、旧縁と別れを告ぐもの。晩春と呼ばれた季節で様々な物語が起き、終わりの始まりで舞い踊り、世という舞台で、百年足らずの美しさを演じる。
人生も花、終わりがあるからこそ美しい、終わりがあるからこそ眩しい、終わりがあるからこそ人が惹かれる。終わりがあるからこそその過程が何よりも大切で、いつか腐ったとしても、輝きが失ったとしても、宝物と呼べるなにかが残る。
宝物、それは形のあるものか、ないものか、その宝物の持ち主でしかわからない、その価値もその人でしかつけない。大事に抱かれた小石もいい、手入れの跡が残した錆びた彫刻もいい。どれも思い出が溢れていて、それぞれの始まりや終わり、物語がある。花の脈のように、宝物は人を組み立てるための欠片。本のタイトルを象徴するもの、人を定義するための根拠。その宝物を巡って、人と人の繋がりが産み、点と点が線となった。
そして宝物が忘れ去れ、踊りが終え、花が腐っても、線だけは跡となってこの世に留まる。この世とあの世の唯一無二の繋がりとも言えるのだろう。
言い換えれば、本当に残されるのは線だけ。どう足掻いても、線しか残されない。受け入れるべきかな、逃げ出すべきかな。


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