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@人狼Game. 二、 儀【創作大賞2024 ホラー小説部門応募作】

 
 ヒーリングは、まだ肌寒い四月一日に行われた。冬はとっくに過ぎたというのに、朝晩は凍えるように寒い。早朝から、人狼神社に詰めかけた村の住人は、境内の前にずらりと居並ぶ。今この瞬間、村には人っ子一人いない。歩ける者は例外なく、足腰が弱った者ですら皆、人狼神社にやって来ていた。そう思うと奇妙な習慣だ。宗教めいてすらいる。がやがやと老若男女全てが集まると、神社の境内から銅鑼が響き渡った。それが開始の合図だった。何やら大きな勾玉が七色に光を放っていて、それがオーロラのように空気に伝播する。村人の頭上を、七色のカーテンが揺らめく。そのさまはいかにも幻想的で、確かに神仏の不思議な力を感じずにはいられなかった。カケルはこのオーロラの下に居ると、僅かに足元がふらつく感覚があった。軽い酩酊状態のような、どこか正気では居られないような、不思議な心地だ。周囲も同じようで、何とか目を凝らしてみると、ゆらゆらとクラゲのように揺蕩う黒い頭が無数に見えた。
(これは……催眠か何かか……?)
 カケルは、心の奥底ではヒーリングが神秘の力などとは信じておらず、いつもこれが科学的に何なのか知りたいと思っていた。此処にこうして来る度に、それを暴いてやろうと、薄れゆく意識の中で何とか自我を保とうとする。しかし、どうしても敵わない。視界に靄がかかり、辺りに霧がたちこめ、手で搔き分けるが夢を見ているように一歩も進まない。やがて辺りに誰もいなくなり、うまく声さえ出せず、一生醒めない恐怖に陥りそうになったとき、再び、神社の屋内から鳴り響く銅鑼の音でハッと我に返る。そうすると、ヒーリングが始まったときと何ら変わらない状態で、頭は変にクリアになっている。狐に化かされたような気分、という言葉があまりにも言い得て妙だった。そうすると、人狼神社に来たときの、「オーロラの正体を暴いてやろう」などといった心持ちはすっかり消えて、帰り道はやけにスッキリとした頭で、まったく別のことを考えている。皆何も言わないので、こうなるのは自分だけなのだろうか、と考えたこともあった。しかし、不思議とヒーリングが終わると皆三々五々消えていき、ヒーリングの内容がどうの、と口にする者は一人もいないということに気付くのだ。
 おまけにこの日は、新成人ということで個別ヒーリングも予定されている。大人になると、定期的にそうした個別ヒーリングが行われるということだった。大人は子どもに比べて邪気を溜めやすく、折に触れて浄化が必要なのだそうだ。制服で来ればいいと聞いていたので、大した気構えもなくカケルやイツキ、ユズリハ、カエデらも普段の制服のままで境内に集まった。子どものうちは、境内の中に入れる機会はそうそうない。靴を脱いで境内に本日個別ヒーリング予定の村人が畳に座って並ぶと、それぞれ四人ほどの神職に就く者たちがやって来て、静かに案内を始めた。カケルもそのうちの一人に促され、境内の建物の最奥と思われる部分まで、暫く長い廊下を歩いた。
 境内の建物から繋がる奥に、御祈祷場所があるらしい。境内から細く長く続く廊下は、山の洞窟の中そのもので、薄暗かった。ところどころにある灯りが唯一の足掛かりで、雫が落ちる音すら反響しそうな静けさだ。カケルが案内されたのは「壱」と書かれた道で、案内係に付いて行かなければまず間違いなく辿りつけない場所だった。お喋りはご法度とされていたため、顔を隠した神職にも疑問を呈することも出来ず、ただ辺りをきょろきょろと見回すことしか出来ない。どれぐらい歩いただろうか。整備された洞窟とも言える廊下――床の歩く部分だけは、綺麗に板張りにしてあった――を抜け、いよいよこれは穴蔵ではないかと思ったところが、個別ヒーリングの場所だった。どことなく酸素が薄い。障子が開けられると、びっしりと円状に居並んだ人狼の首が一斉にこちらを見たような気がして、思わず息を飲んで一歩後ずさった。
(……悪趣味過ぎだろ)
 狼の首など見慣れず、もしユズリハやカエデがこれを見たら泣いてしまうのではないかと思うほど異様な光景だった。よくよく見ればその狼の首は本物ではなく、レプリカだと分かる。
「――進んでください」
 部屋の入口で後退した時にぶつかった神職が、感情のない声で畳の部屋に促す。眼の前には大きな祭壇と、何事かの文言を一心に唱えている僧侶がおり、室内にしてはかなりの大きさのお焚き上げがごうごうと燃え盛っていた。火の粉は天井を燃やす勢いで爆ぜ、しかし洞窟の天井であるからしてどうにか燃え移らない構造になっている。外を向いた人狼の首が円形に居並ぶ中に、神事用の座布団があった。そこに座るよう言われ、案内役は「ご祈祷が終わりましたら、また出口をご案内します」とだけ言いしめやかに障子を閉じた。
 僧侶はふと詠唱を止め、こちらに向き直る。
「それでは、これから、新成人になられる永墓ながつかカケル様に、御祈祷をはじめます」
 会釈と、短くよろしくお願いします、とだけ告げた。
「御祈祷中は、決してその円の中から出られることのありませんよう。また、騒ぎ立てたり、僧侶に話しかけたりする行動もお控えください。静かに、声を出さず、じっと炎を見つめてください。そうすれば、新成人としての浄化もよくよく促され、貴方様が果たすべき村の役割も良きものになりますでしょう」
 要は動くな騒ぐな話すなというわけだ。はい、と短く返事をすれば、僧侶は頷いた。
「どのような結果になろうとも、決して嘆かれることのなきよう。心を乱さず、ただ神仏にのみ帰依し、信心の心あらば、必ず道は開かれます」
(一体、どういうことだろうか)
 結果とは、何だろうか。ただ祈祷をするわけではないのだろうか。何か、吉凶を占うような何かが、個別ヒーリングでは行われるのだろうか。内心首を傾げながらも、僧侶の言葉には大した意味はなく、ただ今後の未来がどのようであろうとも信仰の心を持って生きよということだろうと、適当に解釈し、改めて正座をする。
 祈祷がはじまった。低い声での僧侶の詠唱は、反響し部屋中に響き渡る。護摩を焚き、ますます炎が赤く大きく燃え上がる。部屋の中が熱い。気付けばこめかみに汗が流れていた。着物を着ている僧侶は熱くないのだろうか。言われた通り、炎をじっと見つめていると、いつものヒーリングのように酩酊した心地になってくる。意識は朦朧とし、今にもがくんと崩れ落ちてしまいそうだ。しかし、何とか保った気力で、目の前の炎を見つめ続ける。くらくらと眩暈がする。炎は大きくなり、小さくなり、虚ろに揺蕩い、翻弄される。僧侶が人形ひとがたを鷲掴んで、炎の中に投げ入れる。白く人の形に切り取られたその白い紙には、「永墓カケル」の文字が赤く刻まれていた。それが炎に燃やされ、あっと思ったそのとき、炎の中に浮かび上がったものを見た。それは脳裏に焼き付いたと言う方が正しく、人から耳打ちされたものでもなければ、懇切丁寧に教えられたものでもない。ただ「わかった」ということに等しかった。自転車に乗れるようになったときの、身体の感覚が、脳に直接伝わったとでもいうのだろうか。己が「何者」であるかを、正しく知ることが出来た。永墓カケルは「学生」である。それと同じように「そう」であることがわかった。これまで、そんな感覚は味わったことがなかった。しかし、一旦そうとわかれば「そう」なのだと思うしかない。逆に、これまで何故「そう」だと思わずに生きて来たのだろう、とも思えた。これまでもずっと「そう」だった。村の役割として果たすべきものが、漸く見えた。すとん、と何の抵抗もなく心の中に落ちる。長年、カケルの知りたいことは「これ」だったのかもしれない、とさえ思えた。
 まだ放心状態のカケルの前で、僧侶はしずしずと向かい合った。気付けば、祈祷の詠唱も終わり、あれだけ激しく燃え上がっていた炎も、ただの小さな薪のように、パチパチ、とごく小さく爆ぜているだけだった。
「御気分は如何ですか。息苦しかったり、辛かったりしませんか」
 大丈夫だ、とカケルは小さく頷くことしか出来ない。「そう」であることはわかったが、今この場では、自身は無力で、ちっぽけな存在でしかない。酷い無力感が共に在った。
「今はまだ、少しふらつくかもしれませんが、それはこの洞窟に立ち込めている神仏の『気』のせいです。呼吸が苦しくないようであれば重畳。此処を出れば、徐々に体調も元に戻るでしょう。新成人の儀式ですから、通常より念入りに浄化しています。何か異変がございましたら、お気軽に神社をお訪ね下さい」
 礼を言い、洞窟の部屋を出ると、案内係が控えていた。手に何か荷物を持っている。結婚式で貰う引き出物の大きさにも似ていた。
「もうすぐ、出口です。出口は、神社の裏手になります。すぐお分かりになるでしょうが、出口を真っ直ぐ辿って行きますと、神社の入口と合流致します。そちらからいつものようにご自宅にお帰りください」
 大分ふらつきも収まって来ていた。出口の光が見えたところで、案内役から大きなつづらのような荷物を手渡される。思っていたよりも重い。
「こちらは、新成人の方にお渡しする着物が入っております。そして、御祈祷の際に与えられたお役目を、完遂出来るよう準備されたものも一式揃っております。神聖なものですので、まかり間違っても他人の中身を見たり、自分の荷物の中身を見せることはお控えください。神罰がくだることがございます。取り扱いはくれぐれも丁重にお願い致します」
 恭しくも、厳しい口調だった。決してしてはならないということだけが、ありありと伝わってくる。
「あの」
 気分が大分ましになっていたので、声を出すと喉が少し掠れた。
「どうされましたか?」
「この後、友人と待ち合わせをしているのですが、今日はよした方が良いでしょうか」
 案内係は頷く。
「今日は新成人の儀式を行われたあとで、目には見えませんが大変お疲れになっておられます。また、お勤めを果たす道具なども一式揃っておりますので、誰にも見せることが出来ない以上、まっすぐ帰られた方がよろしいかと。この箱は中身と共に高価なものです。盗人に狙われないとも限りません。再発行は出来かねますので、どうか」
 訥々と諭すような口調だったが、その裏には、もし従わない場合はどうなっても知りはしない――そのようなニュアンスが含まれていた。
「わかりました。ばかなことをお尋ねしてすみません」
「もし差支えなければ、御祈祷の終わっていないご友人に、伝言させていただきます。どなたとお約束ですか?」
不死川しなずがわユズリハ、鬼頭きとうカエデ、百日紅さるすべりイツキの三人です」
 ぺらり、と手帳を捲って案内係は答えた。
「その御三方でしたら、既に御祈祷を終えておいでですね。もし外でお待ちのようでしたら、先ほどのお話を皆さんにお伝えください」
「わかりました。もし見かけたら、今日はもう解散するよう伝えます」
「お願い申し上げます。本日は御祈祷、お疲れ様でございました」
 まるで貴人にでも相対したときのような、酷く丁寧な扱いに違和感を覚えながら、カケルは外へ出た。眩しい。整備された森の中は、ひんやりとしている。炎が熱かったので、冷たい空気が心地よかった。洞窟の中は、やはり酸素が少なかったのかもしれない。一つ、大きな呼吸をすると、ようやく光に目も慣れた。徐々に具合も戻ってくると言われたので心配はしなかったが、やはり祈祷中は息苦しかったのだ。
 イツキたちが見当たらなかったので、荷物を抱え直し、一本道を進む。やがて、大きな岩の近くに三人の姿を認めた。ユズリハ、カエデ、イツキの三人共が揃っていたが、目を見かわして話すでもなく、言葉少なに石に凭れたり、樹の根元に座ったりしている。妙に重くるしい空気だった。
(皆、祈祷で疲れたのかもしれない)
「お疲れさま」
 カケルは、荷物の紐を肩にかけて近づいた。
「カケル……」
 近付くと少しは表情が柔らかくなったが、三人とも伏し目がちだ。祈祷で何かあったのだろうか。
「お待たせ。ごめん。皆疲れているところに、待って貰って悪かった」
 軽く前置きして、案内係から告げられた内容を話す。
「今日はこの荷物もあるし、寄り道せずに帰れってさ。先にわかってたら、皆を待たせることもなかったのにな」
「大丈夫だよ、カケル。丁度、今日はもう解散しようかっていう話になっていたんだ」
 カケルを安心させようとしてか、イツキも賛同を示す。それにしても、どうしたことか。イツキ、ユズリハ、カエデ、三人とも疲労の色が濃かった。
「そっか。なら有難いけど。ユズリハとカエデもそれでいいか? 皆で出掛けるのは、今日はもう夕方だし止めておいて、今度に延期ってことで」
 いつもは、もっとカケルに激しく絡んでくるユズリハでさえ、「うん」と力なく頷く。元々おっとりとしたカエデは尚更だ。言葉なく頷く姿を見て、皆カケルが言わずとも帰りたかったのだと察する。
「じゃ、また学校で」
 イツキとカエデは、カケルとユズリハより家が神社に近い。別れると、ユズリハと二人きりになった。普段なら、しきりにその日あったことをカケルに話しかけているユズリハだが、今日は終始無言だった。
 日没間近の空は、朱色に染まり切って、不吉だ。鴉の多いこの村は、鳴くでもなく、じっと電線に止まってカケルたちを見下ろしている。四月だが、夕方になると急激に冷え込む。肌寒さを感じ、帰宅する足を速めようとすると、突然後方から切羽詰まった声が聴こえた。
「待ってよ!」
 怒りと焦燥が詰め込まれた制止の声は、呪詛にも等しかった。ざあ、と裏手の山がユズリハに呼応するようにざわめく。
「待ってよ、カケル……」
 その口が紡ごうとしている言葉を、何となく聞きたくないと思った。
「どうした。早く帰らないと――」
 何かを言いかけているユズリハを急かす。山際に夕陽が沈みかけていて、眩しいほどの残光が射しこんでいる。陽が沈めば一気に夜になる。しかし、ユズリハは一歩も動かなかった。全身に夕陽の血のような朱色を浴びて、か細い声でこう告げた。
「さっきの祈祷で――私、人狼だったの」
「え……?」
 反射的に声が出た。人狼は、村人から自然発生するものではなかったか。突然変異で起こりうるものではなかったのか。
「まさかと思ったけど、私、新成人の役職として、人狼が、割り振られたみたい。言おうかどうしようか迷ったけれど、カケルには知っていて欲しくて」
 ユズリハは目にいっぱい涙を溜めて、カケルに縋りついた。
「どうしよう……。どうしよう、カケル……。私、人狼になんかなりたくない。まだ死にたくない。村の人も、誰も殺したくないよぉ……っ!」
 壊れたブリキの人形のように、カケルはただ突っ立っていることしか出来なかった。錆び付いた首元をやっとの思いで動かすと、ユズリハは泣きながらカケルを離すまいとしがみついている。ぞわりと、身体が総毛だった。
「とりあえず、落ち着けよ。ユズリ――」
「私、カケルのことが好き」
 泣きぬれたユズリハの瞳は、大きいがゆえにギョロリと動いて、逃がさないとばかりカケルの制服をきつく握った。あまりに力が強く、ユズリハを引き剥がすことが出来ない。
「例え人狼になったとしても――私、カケルが好き。カケルだって、ずっと気付いてたんでしょ?」
 ユズリハから幼馴染以上の好意を寄せられていることに、カケルは薄々気付いていた。普段から必要以上の接触が多いことにも気付いていた。偶然を装った待ち伏せをされたこともある。シングルマザーのユズリハの母親も、出逢うと昔からカケルのことをよく褒めた。そんな狭い村社会での窮屈さを感じなかったと言えば嘘になる。ユズリハの未来の婿として、着々と地盤を固められているような気がして、慄いたことさえあった。
(俺も、ユズリハのことが好きであれば、こんな気持ちにはならなかったんだろう)
 少なくとも、縋りつくユズリハが老婆のように不気味に見えることはないに違いない。その力の強さを疎ましく感じることもなく、全ては可愛らしく見えたはずのものだった。
(だけど、俺は――)
 気付けばもう陽が落ちていた。それにも関わらず、電線上の鴉は山のねぐらにも帰らず、カケルたちを監視するかのように見下ろしている。
「ねぇ……! 返事してよ! 私のことを少しでも可哀想だと思うなら、私に味方してよ! ずっとカケルしか見てこなかったのに、こんな、こんな死に方するのは嫌……!」
 何も言わないカケルに、痺れを切らしたのかユズリハは泣き叫んだ。 もし、ユズリハのシナリオというものがあるならば、カケルの役割はそっとユズリハを抱きしめるべきなのだろう。しかし、カケルはユズリハに対してそこまでの気持ちを持ち合わせてはいなかった。ただの幼馴染であり、それ以上でもそれ以下でもない。だが、今はそれを言う場面でないこともまたわかっていた。
 墓から出てきた死人に縋りつかれている気がして、怖気が走る。思わずユズリハの華奢な腕を振り払う。強い力で薙ぎ倒されたユズリハは、勢いよく地面に転がった。酷く荒い息が漏れる。危険信号だろうか。震えと怒り、そして拒絶の視線をユズリハへと向ける。振り払われたにも関わらず、ユズリハは追い縋った。
「ねぇ。助けてよカケル。もう貴方しかいない……。こんなこと、話せるの、カケルだけなんだよ……。私、まだ死にたくないよ。お願い……!」
 地面に這いつくばっても、諦めないユズリハに、カケルは逃れられない恐怖を感じていた。振り払っても振り払っても、血だらけになりながらも自身を追ってくる怪奇のようだ。カケルは泣きじゃくるユズリハに手を差し伸べることもしなかった。幼馴染としてのユズリハではない。もはやただの幼馴染ですらない。ユズリハは「人狼」だという。それが本当であれば、ユズリハはカケルらを脅かす敵ということになる。カケルは、嫌悪と、忌避と拒絶を露わにして、這いつくばるユズリハを見下ろした。
 暫くそうして、地面に這いつくばるユズリハに手を差し出すでもなく、どうすることも出来ず、カケルは事の成り行きを見守っていた。否、見守るなどというのは建前で、何も動くことが出来なかった。
(何しろ、ユズリハは「人狼」だという。もしかしたら「狂人」の線もある。下手なCOカミングアウトはすべきじゃない)
 新成人の儀式で、カケルの与えられた「役割」を考えると、ここは慎重に動くべきところだ。そう思ったのも束の間、棒立ちになっているカケルに縋りつかんばかりだったユズリハが、ゆらりと立ち上がる。
「ねえ。どうして、何も言ってくれないの……? カケルは私のことが好きじゃないの……?」
 今度こそ、思い過ごしではなかった。ユズリハは病人のようにふらふらとしながらも、血走った眼をして、山姥の如く醜い形相でカケルを睨みつけた。
「私、知ってるよ……。カケルが、今日の儀式で「役持ち」になったこと。だから、私に味方してくれないんでしょう?」
「そういう、わけじゃない。まだ……人狼が村人にあてられる役割なのが、信じられないだけだ。自然発生だと思っていたから」
 誤魔化したわけではなかったが、ユズリハはそれを下手な小細工と受け取ったようだった。
「嘘。カケルも知ってるでしょ? 儀式の最中、自分たちが何者かって、あんなによくわかった、、、、じゃない。今まで知らなかったなんて、それこそ悪い冗談。役職は、すんなり私たちの中に入って来た。生まれたときから、この役は決まっていたんだって、わかった。皆同じなんでしょ? だったら、わからないなんてことはありえない。カケルも――役、貰ったんだよね?」
 言葉の上では優しそうだが、ユズリハは明らかにカケルが何者かを知っている。ひたひたと、裸足で追い詰めるようなユズリハの話し方に、カケルは戦慄した。
「それは――秘匿すべき、ことだろ」
 何もかも見透かされているようで、カケルの声が上擦る。役持ちだとバレてしまえば、早晩、人狼の襲撃を受け死亡することが確定している。そうでなくとも、役職をべらべらと他人に話すことも、本来は論外なのだ。だからこそ、ユズリハがこんなことを打ち明けてくるとは予想も出来なかった。
「ふぅん。白を切るなら、まあいいや。ここで話したことは勿論秘密ね。私は人狼として、カケルを襲わない。見逃してあげる。カケルのことは襲わないよう、仲間に伝えるわ。命を救ってあげる。その恩恵として、カケルは将来私と一緒になることを誓ってくれればいい。簡単なことでしょ? うちのお母さんも、カエデたちも、きっと祝福してくれる。私は、カケルに『人狼こっちがわ』に来て欲しいの」
 ユズリハが何をどうとち狂って、人狼であることを打ち明けてきたかと思えば、カケルに交換条件を持ちかけるためだったらしい。
(命の保証をする代わりに、寝返れだと……)
 どこからカケルの役職が洩れたのかわからないが、最早ユズリハはカケルの役職を知らないとは思えない。カケルは役職に関することを誰にも教えていないが、この短時間でバレたというなら、カケルではない誰かが洩らしたのだ。
「もうゲームは始まってる。村と人狼、どちら側であっても、所詮は生き残れば勝ち。そうは思わない?」
 ユズリハの言うことはある意味で真実だが、カケルは村側の人間だ。しかも役職持ちとあっては、寝返ることは全村民を裏切る行為だった。ユズリハの白い頬には、もう涙の筋一つ残っていない。清々しいほど、晴れやかな顔つきだった。
(さっきのは、演技だったのか)
「カケルが絆されてくれるタイプなら、もっと楽だったのになぁ。でもそんな性格じゃ、どの道生き残れないか。で、どうかな? 人狼側につくこと」
 冗談じゃない。そう言いたかったが、ここで即答することもまた、命を危険に晒すことに違いない。
「考えさせてくれないか。すぐに答えを出せることでもない」
「そうやって、引き伸ばして時間を稼ぐつもりなら、命の保証はないけれど」
「一週間欲しい。ダメか?」
 ユズリハはふぅ、と溜め息を吐いた。
「ま、学校でも話は出来るし。とりあえずそこ期限ね。じゃあね、カケル。――人狼に襲われないように気をつけて」
 口の両端を上げて、不気味にユズリハは嗤った。カケルに縋りついて泣いていたユズリハは、どこにもいない。
 ユズリハと別れてからすぐ、カケルは起こった出来事を思い起こす。
 ユズリハと話していた場所は、脇に廃材が散らばった、舗装もされていない山道だった。昼間でも薄暗くて、あまり村人は近づかない。話は誰にも聞かれていないはずだ。
(もう、ゲームは始まっている。人狼側は早々に――動き始めている)
 人狼神社を出たときから、いや出る前から既に駆け引きはスタートしていた。
 カケルは神社で預けられた重い荷物をごとごとと響かせる。この中には、カケルの役職を完遂する荷物が入っている。

 ――狩人。
 それが、カケルが村から与えられた役職だった。

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