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冷たい桜 第3話【創作大賞2024 ミステリー小説部門応募作】

 正確に言うと、ゴーストスイーパーとは少し違う。上島は「霊媒師」だ。巫者とも言う。ゴーストスイーパーというのは、霊を祓って終わりだが、霊媒師は違う。霊媒師は、霊媒という文字通り、霊と意志を通じ合わせることが出来る媒介者だ。ただ祓うだけではなく、霊の意志を聞くことが出来る。また自分の中に霊を取り込み、その声を聞くという点で、ゴーストスイーパーとはかなりの違いがあるのだ。霊の意志を聞くとは言っても、良い霊だろうが悪い霊だろうが、根底にあるのは「成仏したい」という思いだ。その思いを聞き入れて、成仏させるのだと解釈して貰えれば、まずまず、間違いはない。ここでは「霊」と言っているが、上島はいつも「幽鬼」「幽魂」と呼んでいる。
 神楽には、この程度の話はしてあったが、実際に霊媒の場を見せたことは一度もない。それは、霊媒するときに見ている一般人が居ると、幽魂がその人を襲う場合があるからだ。何より、霊視の出来ない人間が、そういうことに関心を持つこと自体危険でもあるので、上島はあまり霊媒のことに触れないようにしていた。神楽も、それ以上は聞こうとはせず、「上島は、探偵を名乗っているが、本業はお祓い」以上の情報は知らない。それでも、高校以来、十六年の友情を保ってきた。神楽は上島の唯一といっていいほどの友人なのである。

「なぁ、本当にこんなことしていいのか?」
 上島は、着慣れぬ白衣を着て、車の後部座席に座っていた。下にはスーツを着ている。滅多にしない服装をしているせいで、体までもが自分のものではなくなってしまったようだった。神楽が用意してくれた遺体検分用の備品、カメラ。
「構わないよ。君は見習いということにしてあるから、何もしなくていい」
神楽が運転席から、上島に向かって呼びかけた。バックミラー越しに神楽を見て、上島は溜め息を吐く。神楽は、蓮北付属小学校の事件が、上島の過去に関係しているのではないかと考え、上島に一度現場を見に行ってみてはと言っていた。しかし、話をした直後に早速連れ出され、白衣を着せられ、「君は今から見習い検死官だから」と言われれば驚いても仕方ないだろう。
 しかもご丁寧に名札まで用意されている。プレートには、「見習い・上島勇朔」と書かれている。
「チセイ。最初から俺を連れてくつもりだったろ」
 平然と運転を続ける神楽を睨みながら、上島は後部座席の背もたれに体を預けた。
「いや、あわよくば、とは思っていたけれどね。無理に連れて行こうなんて思ってはなかったよ? 名札は、いつかこんなこともあるだろうと思って、前から用意していたんだ」
 前々からこんなことを準備していたとは、何て奴だ、と上島は眉間に皺を寄せた。
「バレても知らんぞ」
 バレないよ、と神楽は明るく言う。しかし万が一にも見破られれば、大変なことになるのではないだろうか。上島はそれによって神楽の立場が危うくなることを懸念していた。
 視線を前に向けたまま、神楽は言う。
「何でこんなに早々に連れて行くかっていうとね、死体が引き上げられてしまうんだ。今日の午後にでもね」
 予定外に早くマスコミに嗅ぎ付けられたので、本当はそれまでに何もかも終わらせて死体も運んでおくんだけど、と神楽は付け足す。
「本物をきちんと見られる方がいいだろう? 何か手がかりがあるかもしれないし」
 ああ、でも、と神楽は思い出したように言った。
「しばらく、肉は食べられないって覚悟をしておいた方がいいかもしれないね」
 押し黙る上島に、神楽は極上の笑みで笑いかけたのだった。

私立蓮北付属小学校の校庭は凄然としていた。広い校庭のごく隅の一角に、ひっそりと佇む巨大な桜の木がある。小学校の校庭で起こった事件なので、学校は臨時休校になっているのかと思ったが、平常通り授業は行われているらしかった。
「授業、やってるんだな」
 車を降りると、それぞれの教室から聞こえてくるリコーダーの音楽に乗せて、ざわめきが聞こえてくる。上島が感嘆とも驚きともつかない声音で言うと、神楽は微笑んだ。
「そりゃあ、ね。事件が起こったのは昨日だし、そう何日も休みにしていられないんじゃないかな。ただでさえゆとり教育で授業数が少ないんだから。でも外で遊ぶのは禁止しているみたいだよ。それに、捜査に進展があれば生徒たちにもちゃんと報告したいというのが校長の意向らしくてね」
 そういった理由で、学校を休校にしてはいないらしい。ふむ、と息だけで応えて、上島は現場の方に目をやった。既に現場検証は終わり、警察も、誰もが引き上げようとしているところらしかった。
「ぎりぎりセーフだね」
 上島の耳元で囁くと同時に、神楽は急いで死体搬送の車へと駆けて行く。上島も慌ててその後を追った。
「待ってくれないか」
 神楽が、青いシートがかかった、明らかに人型をかたどっている担架を持つ救急の職員に呼びかけた。どうやら顔見知りらしい。
「あれ、神楽さん。お疲れさまっす」
 まだ年若い隊員は、神楽に向かってぺこりと頭を下げた。
 遺体は車の後部座席から入れられ、搬送されようとしているところらしい。
「お疲れさま。――昨日、検死に来たのだけれど、どうにも気になるところがあってね。もう一回見せて貰えないかな? 重要な手がかりかもしれないんだ」
 神楽はなかなかの演技派だった。上島も事情を知っていなければ、これが嘘だとは思わないに違いない。
「ああ、いいですよ。グッドタイミングでしたね、もう一分遅かったら病院の方まで来なくちゃなりませんでしたよ」
 人のよさそうな隊員は、あっさりと騙されてくれ、車から降りて、シートの上から遺体を括っていた紐を外しにかかった。そこで初めて、神楽の後ろにいる上島に気付いたようだ。
「そちらの方は……?」
 怪訝そうな瞳を向けられ、上島はぎくりとする。とりあえず不自然でないように、会釈をした。
「こちらは、見習いの上島くん」
 神楽が上島を庇うように割って入る。
「はぁ、見習いの方ですか」
 見習いにしては歳がいっていると思ったのだろうか。隊員の視線が、不思議そうに上島の上を上下した。
「よ、よろしくお願いします」
 声が上擦る。心の中で、こんな手を考えた神楽に悪態をついた。
 それでも、若い隊員はそんなに気にしたふうもなく、てきぱきと紐を解いていく。「現場の遺体を見るのは初めてですか?」とにこやかに上島に尋ねた。
「は、はい」
 隊員はシートに手をかけながら、上島の顔を見て、困ったように笑う。
「初めてかぁ、じゃあ、かなりの覚悟がないと吐いちゃうかもしれませんよ」
 僕も、最初はグロいなぁなんて思ってたんで、と隊員は気安く話しかけてくる。元々、人なつこい性格なのだろう。
「でも、そのうち慣れちゃいますけどね」
 と青年は晴れやかな笑顔を向ける。上島は顔では笑顔を装いながらも、こんなことに慣れたくはないが、と心の中でひとりごちた。
「あ、その遺体、手間だけど、木の下に運んでくれないかな」
 神楽が指示すると、隊員は億劫がるふうもなく、台車を使っててきぱきと遺体を運ぶ。まさか死んだ人間も、こんなにも慣れたふうに扱われるとは夢にも想像し得ないだろう。
「シート引いたままでいいですかね。これ取ると後が大変なんで」
 構わないよ、と神楽と隊員のやり取りを聞きながら、上島はどこか不吉な予感がしてきていた。見習いでないかバレやしないかと緊張しているのだと思い込んでいたが、今や心臓が早鐘のように打っているのが分かる。背中を流れるのは冷や汗だろう。
 上島は桜の木に目を向けた。かなり大きな桜だ。見事なものだが、四方八方に枝が伸び、その様子が半ば化け物じみた感じを与える。本当は桜の花は人をおびき寄せるための罠で、かかった獲物を次々に喰らっていくような気がした。ぞっとしない話だ。
 頭の奥がちかちかする。赤と黒のスクリーンを交互に見せられているような、その中で何かの映像が見えるような気がする。まるでサブリミナル広告のようだ。何かの叫ぶ声か、よく分からない。じっとりと汗ばんだ手を、意味もなく握り締めた。
 そのとき、何かの機械がピーピーと鳴った。
「あ、ヤベ」
 青年が車へ駆け寄り、無線か何かを手に取る。本部からの連絡でも入ったのだろうか、身振りで、神楽に「構わずやっちゃってください」ということを伝えたらしい。神楽が頷くと、こちらには背中を向けて何ごとかを話し始めた。
「勇朔、顔色が悪いよ、大丈夫かい?」
 神楽の気遣う声を聞きながら、小さく頷いた。気分は最高に悪いが、目は遺体に釘付けだった。神楽の白い綺麗な手が、ゆっくりとブルーシートを剥がしていくのを目で追う。

 ――――桜の花。

 突如花びらが風に乗ってザァッと舞い散る。寒くはないはずなのに、思わず身震いした。不吉な何かが風に乗って流れてくる。そんな予感がしたからだ。
 上島は、せり上がってくる嘔吐感を、体を折り曲げることで耐えた。目の前に映るそれは、人間――かもしれない。もし人間であったなら、今まで見てきたどの人間とも違う、と上島は断言出来た。皮膚―のようなものは既になく、滑らかなものはどこにもない。ただれ、裂け、穴が開き、じくじくと水が染み出してきそうで、そのくせ水分など一切なさそうな「ソレ」は、酸っぱいような、腐臭を漂わせて上島を襲った。
「ぐっ………!!」
 反射的に鼻と口を手で押さえ、身を引く。
「我慢して」
 小さく、だが鋭い声で神楽は上島の腕を掴んだ。遺体に面したときは、まず手を合わせて合掌せねばならない。
 だが上島にはそんな余裕はなかった。神楽の手を振りほどき、怖じたように二、三歩下がる。猛烈な吐き気と、がんがんと鳴っている頭の中で、古ぼけた一つの場面が見えたような気がした。白黒の、昔の映画のようなものだった。
「桜の花」
 上島は自分でも何を話しているか分からぬまま、遺体を見つめた。どっと噴出す汗を感じながら、上島は空を仰いだ。いや、実際には空を仰いだつもりではなく、意識を失う際に、自然に頭が空を向いたに過ぎなかった。
 しかし空に広がる蒼はなく、桜貝のような、淡い桃色が一面に敷き詰められた色しか見えなかった。
「勇朔!!」
 神楽の悲鳴が聞こえたような気がしたが、それもすぐに、桜の花びらの群れにかき消された。
――空さえも、桜に支配されてしまったのか。
 意識の端で、そんなことを思いながら、上島は気を失った。

***
 上島が呻き声を上げながら目を覚ますと、既に辺りは暗くなっていた。
 ここはどこだ、と見回すが、何分暗いのでよく分からない。寝台らしいものの上で身を起こし、右往左往していると、扉が開いて誰かが入ってきた。
「勇朔? 気がついた?」
 聞き慣れたその声は、神楽のものだ。同時に、入り口付近にあった電灯のスイッチを入れる音がすると、途端に室内は明るくなった。
「う……」
 目に光が染みて、思わず手で顔を覆う。神楽が苦笑する気配を感じながらも、ようやく目が慣れたあたりで覆っていた手を外した。
 今更になって気がついたが、服も着替えさせられていた。薄水色の着物のような合わせだ。辺りの白い壁、調度品から見て、ここは病院に違いなかった。僅かにする消毒薬の匂いも、考えてみれば病院でしかありえない。
「大丈夫かい? 突然倒れるから驚いたよ」
 神楽が上島の顔を覗き込む。途端に、上島は何処でどうなって倒れたかを鮮明に思い出した。
「俺は……」
「桜の木の下の死体を見に行ってね。運よく見られたんだけど……覚えてる?」
 上島は頷いた。遺体を見て――――そして倒れたのだ。
「…う…っ」
 ツキン、と頭の奥が痛む。ああ、やっぱりまだ駄目だね、と神楽は呟いて、コップに入れた透明な水をくれた。
 一口、二口と飲んで、手の甲で拭う。冷たい水が心地良かった。体の中に染み渡るようだ。
「これを。……飲める?」
 気遣わしそうに言う神楽から錠剤を幾つか貰って、口に含んだ。体内へと押し出すようにして飲み下し、息をつく。
「俺は……倒れたのか……」
 死体を見て――いや、見る前からか――何とも不吉な気配が辺りを覆って、それが死体を見た瞬間ピークに達して――意識が無くなった。そういうことだろうか。神楽は寝台脇にある、丸い簡易椅子に座った。
「とりあえず順を追って説明するよ。まず、ここは南野大学病院。あの小学校の近くだよ。分かるね?」
 ああ、と上島は頷く。だったら、上島の家とも近い。
「君は、検死官見習いと称して、私と一緒に死体を見に行って、そこで具合が悪くなって倒れた。――本当に驚いたよ。勇朔が倒れるなんてところを初めて見たからね。大丈夫?」
 上島は実際、ひ弱なタイプではない。今まで救急車に運ばれたことも、入院したこともない。ただし冬になれば風邪ばかり引いているという、小まめに体調を崩すが、大病はしない類の者だった。
「俺も……倒れるなんて初めてだ」
 上島はどこか呆然と呟く。ドラマか何かで人が倒れているはしょっちゅう見るが、まさか自分の身に降りかかるとは。
「青山くんもびっくりして、無線機放り出して駆けつけてきて。慌てたよ。『救急車呼びましょうか!? あっ、それよりもこの搬送車で運びましょう!』って言われて」
 神楽は思い出したようにくつくつと笑った。
「で、救急車呼んだのか?」
「いや、私の車で運んだよ。本当は呼びたかったんだけど、何故こんなことになったかっていう理由も色々は話さなくちゃいけないだろう? 事情も聞かれるし。状態を見て、大丈夫そうだって判断したんだ。でもって、医者の権限を使った」
「医者の権限?」
 上島が怪訝そうな顔をすると、神楽はコレ、と白衣を指す。
「裏口からお尋ねして、早々に診て貰った」
 本来なら神楽に診て貰っただけで充分なのだが、万一のことがないようにだろう。
「すまん……迷惑をかけた」
 上島は頭を下げる。何かトラブルがあれば、神楽の身に降りかかるようなところで――倒れるとは。もし神楽が素直に救急車を呼んで、身分偽装のことがばれていたら、神楽も上島も、罪に問われていたかもしれない。
「いや、私が悪かったんだよ。検死官の見習いにさせたのも私だ。勇朔が死体を見て様子がおかしかったことにも気付いていたのに、無理に……」
「謝るな、チセイ。俺の立場がない」
 神楽は上島のためを思って、協力してくれたのだ。その神楽に、上手くいかなかったからといって謝らせるような真似は、上島はさせたくなかった。
「それに、収穫はあった――と思う」
「本当かい!?」
 神楽は、身を乗り出した。
「おそらく――だが。古い――映画のような、場面が見えた。今と同じに」
 目線を上げると、神楽が頷いて、先を促した。
「もしかしたら――俺は、あの小学校に、通っていたのかも…しれない」
「蓮北に?」
「ああ。思い出したのは、大きな桜の木の下に、今みたいに死体があるという場面だ。あの死体ではなく―何というか、死んで間もないという感じはない。むしろ死んですぐ、と言った方がいいな。その死体は、女の人だった。スカートで……。首を吊ってた。そして、夜、だった。満月がとても大きくて、それを覆い隠すように、巨大な桜の木が――あった。あの桜の木は、蓮北にあるのと、同じだ」
 つっかえつっかえ、上島は、頭の中で見た映像をゆっくりと再生するように説明した。たどたどしいが、一語一語が、重い。失った記憶分の言葉の重さかもしれなかった。神楽は黙ってそれを聞いていた。
「勇朔の経歴上では、小学校は北龍、というふうになっていたんだったね」
「ああ、でもそれは嘘だ……と思う」
 冬馬が買った経歴だ、とは言わなかったが、上島はそのことは伏せておいた。
「じゃあすぐに調べさせるよ。勇朔がここで寝ている間に、全て過去のことが分かるかもしれない」
 勢い込んで神楽が立つのを、上島は止めた。
「何だい、勇朔?」
 不思議そうに見返してくる瞳を真っ向から見返すことが出来ず、上島は視線を床に転じた。
「調べるのは……少し待ってくれないか」
「どうしたんだい? 何で――」
 神楽の責めるような声を途中で断ち切る。
「俺が、自分で調べる。……人に調べて貰ったことを、はいそうですかと簡単に納得は出来ないと思うから……」
 何とか神楽を説得しようとしても良い言葉は見つからなかった。何と言えば諦めさせられるのだろう。四苦八苦している上島の心情を分かってか否か、神楽はふっと微笑んだ。
「分かったよ。勇朔が元気になるまでは、何もしないと約束する。……まあ、考えてみれば己の過去を他人の口からは聞きたくはないものだしね。今日のところは、ここまでで止めておくよ。じゃあ、また」
 神楽は丸椅子から立ち上がって、片手を上げた。
「ああ、迷惑かけて、すまん」
 上島の言葉に、神楽は笑みで答えると、長身の体躯を翻して病室を去った。足音が遠くなるのを耳で確かめて、上島は病室のベッドへどさりと倒れこむ。ひどく疲れていた。まだ額が熱い。おそらく熱があるのだろう、体全体に重しをつけられているようだ。上島は身を横たわらせたまま、前髪をかき上げた。
「まいったな……」
 どうすれば、神楽を止められるだろう。上島は、自分の過去について知りたいのか、知りたくないのか決めかねていた。封印された箱をこじ開けて、果たして自分にとって良い結果になるのかどうかも疑問だった。何より、今の生活を失いたくないというのもあった。
 上島は煙草を探したが、生憎元の自分の服に入っているらしい。それにここは病院だということを思い出し、軽く舌を打つ。
 誰か神楽を止める方法を、教えてくれないだろうか。そう考えて、うとうとと眠りに落ちた。
 おそらく、見る夢は高校時代のものに違いなかった。


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