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@人狼Game.  三、真【創作大賞2024 ホラー小説部門応募作】

 翌週、何食わぬ顔で登校した学校で、カケルはこっそりとイツキを呼び出した。日曜に家に電話をすることは憚られた。家族にも、誰にも聞かれたくなかったのだ。迷った末に、屋上へイツキを呼び出した。相変わらず、屋上の上空にも何羽か鴉が飛んでいたが、止まり木がなく、普段より距離も遠い。
(どうにもあの鴉は苦手だ)
 息を吐いて、グラウンドを見やる。今日の授業は全て終了しているので、残っている生徒は数少なかった。
 暫くすると、屋上にイツキがやって来た。
「驚いた。本当にカケルだ。机に手紙なんか入ってたから、誰かと思っちゃったよ」
「直接話すと、ユズリハたちに聞かれるだろうから、ちょっとな」
 イツキのあとを誰も尾けてきていないか、入念に確認する。屋上の入り口から続く階段、廊下まで隈なく見渡した。
「カケル?」
 イツキは不思議そうにしているが、護衛のようにイツキを背中に隠し、用心深く屋上の鍵を閉める。これで、どれだけ屋上の扉に張り付こうが、広い外のことだ。ちょっとやそっとのことで声が漏れることはない。
「イツキ。あの日別れたあと、何もなかったか?」
「うん、何も。カケルたちは、何かあったの?」
 薄茶色の髪を揺らし、おっとりとした顔立ちのイツキは、普段と全く変わったところがなかった。
(イツキは……この様子だと、村人か)
 もしも、人狼であればこんなに平常心を保っていられるはずがない。イツキは根っからの善人で、もし人を殺す立場に追い込まれれば、こんなのほほんとした顔はしていないはずだ。カケルは、掛け値なしにイツキのことを信頼していた。
「それが、こっちは大変なことになった。ユズリハが……」
 カケルは、儀式のあとにユズリハが「人狼」だと明かしたことを告げる。話すにつれ、イツキは顔色を失くしていった。
「ユズリハが、そんなことを……?」
 例え「人狼」になったとしても、堂々とそんなことを自白する者は村にはいない。それが、自身の身の破滅に繋がるからだ。
「俺も、どうしていいかわからない。しかも、ユズリハは交換条件を突きつけてきた。俺に、人狼側に寝返れ――ってな」
「そんな……」
「勿論、ここだけの話だが、そんな話に乗るつもりはない。――イツキは、村人側という認識でいいんだな?」
 もしも、イツキが人狼側であれば、カケルも人狼側に寝返ることを少しは考えたかもしれなかった。本来、役職は、誰にも告げてはならないこととなっている。しかし、カケルは、今回はどうにもそうは言っていられないような気がしていた。カケルの役職が早々に洩れていたことを考えると、うかうかしてはいられない。
「うん、誓って、僕は村人側だよ。人狼でも、狂人でもない」
 そう言ってから、イツキは考え込む。
「ユズリハが、カケルに人狼だって、言ったっていうけれど、もしかして、ユズリハは狂人っていう可能性もあるよね?」
「それは、確かにある。狂人も人狼側の人間だ。人狼を装うことも出来るだろう。ただ、狂人はあくまで人狼のやり方に準ずるという立場上、人狼の承認もなしに派手に動き回るとは考えづらいと思う。ユズリハが話を持ちかけてきたのは、儀式のあとすぐだ。状況から見て、村に何匹かいる人狼と、接触したとは思えないんだ。そんな時間はなかったはずだ。独断で動く狂人、という説は捨てきれないが……」
「確かに……。人狼側にとって不利な動きをすれば、狂人は簡単に消されてしまうことを思うと、狂人の動きとしてはあまり得策ではないよね。狂人が、勝手に動き回ったことで、人狼側が損をする場合だってあるものね」
 人口六百人のこの村で、役職は、狩人、占い師、霊能者、人狼が三匹、人狼に従う狂人、たったのこれだけ。この役職ですべてだった。
「ユズリハが狂人だとすれば、人狼側だとアピールする狙いがあるのは知らないが、俺にその話をしても意味がない。俺は村人側なんだから」
「もしかして……言いたくなければいいんだけど、カケルは役職を……?」
 両親にも伝えていないが、イツキにだけは、嘘を吐きたくなかった。
「ああ。持っている。役職は、狩人だ。誰にも教えていないけどな」
 イツキは柔らかい顔立ちを綻ばせて「そっか」と頷いた。
「変なことを聞いてごめんね」
「いや。イツキには話しておきたかったからいい。それよりも、ユズリハは、俺の役職を元々知っていたんだと思う。それを知らずには、昨日のようにいきなり人狼陣営に勧誘は出来ない。俺の役職を知らなければ意味がない話ばかりだった」
「でも、カケルが僕たちと合流したのは、一番最後だったのに……?」
「そう。おかしいんだ。ユズリハが合流したのはいつだ?」
「僕、カエデ、ユズリハ、カケルの順番だったよ」
 カケルは顎に手をあてて考え込んだ。
「そうすると、ユズリハが途中でどこかへ抜け出すことも不可能だったってわけか」
「ユズリハはどこにも行かなかった。神社から出てきて、すぐに僕たちと合流したはずだよ」
「とすると――俺の役職を洩らしたのは、もう人狼神社しかない」
 イツキはサアっと顔を青ざめさせた。
「まさか、人狼神社が……? 人狼神社は中立のはずだよ」
「本来ならばそうだろう。皆、人狼神社は村人に平等だと思っている。だが、おそらく実際はそうじゃないんだろう。神社側の人間は、誰が祈祷を終えていて、誰がまだなのかを全て把握していた。簡単な話だ。人狼神社を出る前のユズリハに、俺の役職を耳打ちすればいいだけなんだから」
「そんな……」
「疑うべきはもうそこしかない。人狼神社から出て、合流するまでの道に誰かが潜んでいたというのも可能性としてあるが、何人もの新成人が出てくるんだ。そんなところで待ち伏せていたって、見つかるリスクが増すだけで、そこまでする理由がない」
 イツキは、人を疑ったり、嫌ったりすることに免疫がない。だが、これから一体何が始まろうとしているのか。そのことに、二人とも漸く気付いたのだ。
「イツキ。人狼神社と接するときは気を付けてくれ。どうにもきな臭い。俺たちは今まで知らなかったけれど、人狼側は、いつもこういった戦略を立てているのかもしれない。もしかしたら、村人側の全役職持ちの情報すら洩れているのかも」
「もし、本当にそうなら……村人には勝ち目がないね……」
 イツキは何とか平静を保とうとして笑みを作ろうとする。その姿は泣きそうで、信じていた村の掟に絶望しているようにも見えた。カケルは思わずイツキの肩を抱いた。
「大丈夫。何とかなるさ。何とか――する」
 細い方を震わせて、コクリとイツキは頷いた。
「僕も――カケルを守れるよう、頑張るよ」
 
 ***
 
 一週間後に、定められたゲームがスタートする。
(いや、もはやこれはゲームなんかじゃない)
 新成人の儀式から一週間の間を、カケルは焦燥と共に過ごしていた。刻一刻と始まりの合図を告げる日が近づいてくるのだ。生きるか死ぬか。役職持ちとなった今では、こんな重責を背負いながら、何故村の人たちが皆、何事もなかったように生きているのかがわからない。皆狂っているとさえ思えた。四月七日を迎えた零時から、襲撃が始まる。それは役職を持つ者だけが知り得る情報だった。
「どうするか」
 六日目の夜、カケルは、部屋の中に古文書のように古びた地図を広げていた。これが狩人の主な仕事道具だ。どういう仕掛けになっているのか、狩人は、結界を作り守ることが仕事だ。自身で狩りをしても良いが、それには命の危険が付きまとう。地図は、遠隔操作が可能な、いにしえの魔具の一種だろう。この地図は村全体の地図になっていて、いつ作られたものか分からないぐらいに古びていた。その間に無くなった家は朱色のバツ印がついている。しかし、基本的に外界に出ることの出来ないこの村は、地図が作られた当初から変わらず、連綿と血縁に受け継がれていた。
(古い地図なのに、家を建てる場所を変えないから殆ど変わっていない……)
 随分前にも、そして最近も、カケルと同じように、狩人たちはこの地図を見て唸ったのだ。
 ――誰を守ればいいのかを、見極めるためだ。
 狩人が守る選択肢を間違えれば、次々と村人は死ぬ。村の役職を持つ者も、可能な範囲で救わなければならない。狩人が一人であるのに対し、役職持ちは占い師も霊能者も居る。何にしても、一夜でカケルが守れる人数は一人だけだ。
(まだ、始まる前だからか情報が少ないな……)
 考え込んでいて、うっかり夜更かしをしてしまった。人狼の襲撃があるのは明日なので、真っ暗な家の中を洗面所に向かって歩く。そうして、二階の階段から見える窓から、ふと玄関の方を見下ろすと、カケルはばっと壁に背を寄せた。汗が瞬間的に吹き出し、鼓動が早くなる。
(まさか、そんな嘘だ。嘘だ!)
 まだ六日目だ。襲撃は明日の夜以降だ。それだというのに。
 ――表を歩く人狼を見た。
 カケルは声を漏らさないように、掌で口を覆い隠した。心臓がどくどくと早鐘を打っている。身体中の血が一気に逆流しはじめる。まさか。何かの見間違いではないか。カケルがおそるおそる窓から外を覗き込むと、間違いない。人狼が、居た。カケルの視線を感じたのか、ぴたりと足を止めると、今カケルが居る二階を見上げている。
 そして、まるで人間のように、裂け切った口で、人狼はニィと笑った。二足歩行の、不気味な獣。それが人狼の正体だった。
 カケルの見間違いではない。人狼が、既に動きだしているのだ。
(どうすればいい)
 狩人の仕事はまだ何もしていない。まさか、定められた期間以外の襲撃など、誰が想像するだろうか。
(今夜、うちが襲撃されるのか。ユズリハは俺を助けると、人狼仲間には話しておくと言っていたのに……!)
 それとも、そんな口約束には何の意味もなかったのか。
 もし、襲撃されるのならば、寝ている両親をすぐさま起こして、神社へ逃げるよう言わなくてはならない。しかし、足が竦んで、動けなかった。身体中が震えて、てんで使い物にならない。「まさか」「そんな」ただその単語だけが思考を支配していた。
(このまま、死ぬ、のか――?)
 カケルがそう思ったときだった。いつしか観た、恐竜が人を襲う映画を思い出した。あの時と同じ、猛獣の激しい咆哮が響き渡った。獰猛な威嚇音は、飢え切った獣が獲物を狙って唸る声だ。人の争う音と、甲高い悲鳴。パンパン、と乾いた銃声が漏れ聴こえた。
(うちの家じゃ、ない……?)
 恐る恐るもう一度外を覗くと、カケルの真向かいの家の様子がおかしい。窓からの明かりで、中の様子がよくわかった。少し離れてはいるが、黒い獣の唸り声とガラスが割れる高い音がする。灯りで、人の形と人狼が、まるで影絵のようにも見えた。パン、パンと断続的に銃を撃つ音、間髪入れずに床を踏み荒らすような鈍い音が聴こえる。現実では、最悪のときは、映画のような派手な音はしない。ただ卵の割れるような、何とも鈍い音がする。何もかもがぐしゃりと潰れて終わる。人間の最期は、意外と地味だ。カケルはそれを知っていたがやはり直視出来るようなものではない。断末魔とも思しき金切声が聴こえて、カケルは耳を思わず耳を塞いだ。窓にどっ、と人間が背中から勢いよくぶつかった。あの、ぐしゃりという卵の音だ。そうして、人の形をした影は、項垂れるように力なく座り込むと、それから一切、動かなくなった。はずみで、部屋の灯りがふっと消えたので、中がどうなっているかは途端にわからなくなった。
(まさか、殺された――!?)
 頭は混乱していたが、やっと力が入るようになり、転びそうになりながらもカケルは両親を起こしに走った。予想外の早さでやって来た襲撃に、両親ともがまさかと信じられないような顔をする。カケルの両親は役職持ちでないまでも、父親が役場務めだ。吊り会議の日取りは役場でも把握しているため、どうにも襲撃日が変だと首を傾げる。
「俺、俺行かなきゃ――」
 向かいの家を助けないと。半分混乱した頭でそう呟いたとき、父親が、カケルの肩をぐっと掴んで、かぶりを振った。
「規則だ。家にいなさい」
 父親は、冷静な瞳でカケルを見据える。
「人狼が、その家を襲撃しているとき、何人も助けに入ってはならない。――わかるね?」
 ぐっと詰まりながらも、カケルは心のどこかで安堵していた。
(助けに行かなくていいんだ)
 外に出れば、まだ人狼がうろついている可能性があった。鉢合せする恐怖と戦いながら、近所の住民を助けることは、自身を危険に晒すことだ。カケルは両親と共に、静かに向かいの家を伺う。父親は、これまでに何度か経験があるのか、カケルに比べるとどっしりと構えている。
「――襲撃は、どうやら終わったようだな」
「でも、今日七日じゃないのに……。どうして」
 父親の落ち着きようと、カケルの混乱ぶりは対照的だ。
「何故かはわからんが……。様子を見るなら明日が妥当だろう。まだ人狼が残っていないとも限らん。襲撃を受けた夜は、その家を捨て置くのが決まりだ」
「そんな……! うちが人狼に襲撃されたとしても、誰も助けに来てくれないということじゃないか!?」
「そうだ。ひとたび人狼に襲撃されれば、もう腹を括るしかない。その家だけで出来ることをするしか、道は残されていない。そうでなければ、助けに入った隣人が殺される可能性だって充分ある。襲撃されること、それは即ち一種の儀式だ。人狼に身を捧げる人身御供となる。それを妨げないよう、襲撃のあった家には夜が明けるまで近づいてはならないんだ」
(この村は、狂っている……)
 カケルは愕然とする。両親でさえこうなのだ。おそらく村全体が、こうした考え方の元、行動していることになる。
(襲撃されることが、儀式である――村の慣習や人身御供だとは……俺は思えない)
 もし、襲撃する側の人狼が、本当に神であるならば、その考え方にも少しは納得出来たかもしれなかった。しかし、人狼は明らかに村の誰かであって、決して神ではない。しかも、今回の人狼の中にはユズリハが居る。幼い頃から知っているが、まかり間違ってもユズリハは神などという次元の存在ではないはずだ。
(それなら――神というなら、まだイツキの方が)
 そう思いかけて、カケルは思考を振り払う。
「とりあえず、夜が明けるまで待とう。カケルも、寝ていないんだろう。少し休みなさい」
 まだ、空が白むまでには少しの時間があった。カケルはもう一度、二階から、表通りを見下ろした。村は静寂に包まれていたが、あれだけの音がしたのだ。カケル以外の家が気付いていないわけがない。皆、人狼に襲撃されないように、身体を縮こまらせていたのだろう。息を潜めて、人狼には決して気付かれないように。それが、生き残る唯一の方法だというのだ。
(そんなの、ある意味で、村人全体でその家を見殺しにすることと、同じじゃないか……)
 あれだけ屈強で邪悪な人狼に、太刀打ち出来るとは思わない。しかし、襲撃された家を、手をこまねいて見ているだけというのも、惨い仕打ちだと思う。
(もし、これまでに対策が為されていたら、太刀打ちの仕様があったかもしれないのに)
 そういえば、向かいの家から銃声が聞こえた。この辺は田舎ではあるが、猟銃の許可は下りていないはずだ。熊や猪が出たという話は聞かない。人狼が出る代わりと言っては何だが、害獣の類は一度も見たことがないのだ。
(人狼が祀られている神社があるぐらいだ。人狼を撃ち殺しても良いとは、言われなさそうなものだが)
 カケルは漸く自身の寝床に横になった。たった数時間のことだが、もう何日も眠っていないような気がした。もし、人狼が戻って来たらと思うと恐ろしかった。しかし、今宵は一睡も出来ていない。眠ることに抵抗があったが、この先、一度も寝ないわけにもいかない。これから先の為、体力を温存するためにも、睡眠は大事だ。
 ――早速犠牲者が出た。
 カケルの父親は灯りが消える前の襲撃を見ていない。窓にぶつかって動かなくなった人がいた。カケルの見間違いでなければ、向かいの人はおそらく亡くなっている。
(俺は狩人なのに……)
 まさか、人狼が襲撃日を違えるとは思わず、助け損なった。
(何とかして、守らないと……)
 大事な人を死なせないよう、万全を期す必要がある。カケルは、出来ることをするしかない、と深呼吸をすると、絶海の闇のように深い眠りに沈んでいった。
 
 ***
 
 数時間して、カケルは薄く目を開けた。あれだけ衝撃的な現場を目の当たりにしたのだ。疲れから、もっと眠っても良さそうなものだが、一階で音がする。
(まさか――襲撃か……!?)
 がばりと布団を跳ねのけて耳を澄ました。両親はまだ気付いていないのだろうか。一階で僅かな音がする。家の中か、外か判別はつかない。物音を立てないように、ベッドを抜け出した。
 およそ獲物と呼べるようなものはない。狩人が持たされる、対人用の革の防具が精一杯だった。カッターを携え、一階へとそろりと足音を忍ばせる。両親が起きて狙われるとマズい。せめて、自分の目で確かめてからだ。昨夜の人狼の襲撃で、気持ちが昂っていなかったかと言えば嘘になる。目だけを血走らせながら、カケルは音の正体を追った。階段下まで来ると、いよいよその音が鮮明になって来る。
(台所か……!?)
 ガサガサと袋の音が響いている。人間を探すでもなく、ずっと台所に居るようだ。
(人狼にしては、様子がおかしい)
 カケルは足音を立てないよう、ひたひたと廊下を忍び歩いて、ドアの隙間から何とか中を見ようとした。
(誰か、居る)
 人狼でも、また知り合いでもない。村の人間は大抵面識があるので、見覚えのない姿であれば、余所者の可能性が大きい。
(包丁を持っていなければ――勝てるかもしれない)
 侵入者に、台所にある包丁だけ先に取られなければ、という思いがあった。丁度、包丁は入口側の、カケルの近くにあり、侵入者は向こうにある冷蔵庫を物色している。ドアさえ開いてしまえば、相手が包丁を手に入れることは困難だ。
「――誰だ!」
 カケルは言うと同時にドアを開けた。
 確かに今カケルが発した問いには違いなかった。しかし、対面した相手の顔を確認して、カケルは怪訝な面持ちになる。振り返ったのは、まったく見知らぬ男だったからだ。
「お前――誰だ?」
 まだ年若い、二十代半ばの風体の男だった。髪はカケルが見たことのない――淡い空色をしていた。目までも青く、この村の住人ではないことは一目瞭然だった。風貌は一見して、日本人離れしている。白の防護服のような服装で、カケルの家の食べ物を漁っている。家の者に見つかったというのに、男は慌てるでもない。
「あー、案外早かったなぁ」
 冷蔵庫から取り出したちくわを咥えながら、当然のように呟いた。
 
 カケルは混乱する。
 そもそも、この村に余所者が居ること自体が、おかしい。村は厳重に管理されているはずだ。この村は、特別自然保護区「特級A」レベルに制定されている。通称“K”なのだ。出て行くことも、入ることも許されないのではなかったか。カケルは生まれて初めて、この村の者でない人間に出逢ったことになる。
「おっと、そのままだ」
 カッターナイフを構えているカケルをものともせず、男は飄々とカケルに近づいてくる。包丁さえ取られなければいい。そう思っていたが、男は武器を持っていた。丸い形の銃口がカケルの方に向けられている。
(そうだ、向こうが武器を持っていれば終わり――)
 不思議なことに、見たこともない武器だった。銃だとかろうじてわかるものの、全体的なフォルムが丸い。銃身も短く、白い。一見無害なものにさえ見える。
「おっと、動くなよ。これは普段人狼に使うモンだ。何てことない見た目だが、威力はお前の頭が軽く吹っ飛ぶほどだ」
 カケルは、外からの来訪者に太刀打ち出来ず、両手を下ろす。敵わないと悟り、カッターナイフを引っ込めて、床に放った。
「言う通りにすれば、殺しはしない。変わりに、俺の情報をやろう」
(――情報?)
 カケルはぴくりと反応する。カケルが今一番欲しいもの、それが、情報だった。
「人狼に関する情報だ。こちらの比重が重すぎて、とても等価交換とはいかないが、ここで出逢ったのも何かの縁だ。俺を助ける代わりに、お前に情報をやる。ひとまず、そのまま食える食いモノを集めてくれ。――そうだな。二日分あれば充分だろう」
 カケルは言われた通り、そのまま食べられるものを、手当たり次第集め出す。銀行強盗に襲われた銀行員よろしく、大きな袋に煎餅、黒糖付きのパンなどを詰め込んで行く。暫くすると、「よし、そのまま運べるか」と背中に銃口を食いこまされた。男は、雨合羽でも着るかのように、防護服のフードを被り、顔がまったく見えないようにする。そうして玄関までカケルを促し、外に出るよう命令した。
「外だからって、逃げようとか思うなよ。俺の存在が明るみに出れば、まず間違いなくお前という存在も消されるんだからな」
(一体、どういう意味だ――)
 カケルが頭を悩ませても、答えは出ない。ひとまずは男の言う通りにするしかない。
「左隣の家が空き家のはずだ。そこに避難する」
(どうして、左隣が空き家だと知っているんだ)
 カケルの隣家は、去年襲撃に遭い、誰一人生き残っておらずに廃屋となった。あのときは、恐ろしく静かな襲撃で翌朝両親から話を聞き、驚いたことを覚えている。空き家は、掃除はされたが、取り壊されることなく、今も残っている。しかし、その事情を知るのは、村人だけで、余所者にまでこんな情報が出回っているとは思えない。
「鴉は、いねえだろうな」
 男は、注意深く辺りを見回した。まるで中空で誰かが見張っているかのような素振りで、カケルは首を傾げる。
「いない、と思います」
「まだ明け方の四時だからか。それとも村人が寝静まっている時間だからか。どちらにせよ助かった」
 そうして、背中にぐいぐいと銃口を突きつけられて、カケルは隣の家の扉までやって来た。
「鍵が……」
「壊しゃいい」
 男が一瞬鍵に銃口を向けると、鍵は一閃されガシャンと外れ落ちた。鎖で何重にも固定された、到底外せないような重い錠前が、玩具のような銃で一瞬にして切断された。切れ味は、刃物をも凌駕している。先ほど、カケルの頭がふっとぶ威力だと男が言った脅し文句は、嘘ではないらしい。太い鎖が巻き付いていたが、男は器用にそれらを外した。
「この中に食糧を運び終えたら、お前の仕事は完遂だ。永墓カケル」
(やはり、この男、この村のことをよく知っている……!)
 カケルの名前を知っていることと言い、隣が空き家だということを把握していることと言い、この村のことに非常に明るい。村の住人ですら、離れていればそこまでのことは知らないはずだ。
「殺すつもりはない。恐らく、俺は相当な財産になるはずだ。お前にとってのな。こんな取引は趣味じゃねえが、明日死ぬんなら、それも致し方なしだ」
(この男は、何を言っているんだ?)
 男の話している言葉が日本語だというだけで、その他はさっぱり意味がわからなかった。言語が分かるだけにもどかしさが募る。どっさりと食糧を入れた袋を隣家に運び入れて、カケルはようやっと落ち着いて口を開いた。
「もう、話しても構わないか」
「ああ。やっぱ近くで見ると整ったご面相だな。永墓カケル。女に人気があるのもよくわかる」
 男は、カケルを警戒するふうもなく、フローリングの床にどっしり胡坐を掻いた。
「先ほどから、一体何の話をしている? 意味がわかるように、その“情報”とやらを話して貰えるか」
 男は、銃から完全に手を離して仕舞い込み、食糧を漁っている。カケルはそれをチラリと横目で見やった。
「まあ座れよ。まず、信じて貰えるかどうかの話をしなきゃならない」
 男は袋の中にあったパンやパックジュースをカケルに一つずつ投げる。そして、まるで子どものように、菓子パンにかぶりついた。
「悪く思うなよ。こちとら明日で消える命とくれば、空腹ぐらい満たしても、罰はあたらないだろ」
 カケルは眉を寄せた。
「今こうしているのに、明日で死ぬというのか。そんなの、人狼に襲われるぐらいしか、有り得ない」
 男は今日明日死ぬほど弱ってもおらず、むしろ健康体に見える。そんな人間が明日死ぬ、明日死ぬと言う根拠がわからず、知らず剣呑な声色になった。しかし、男は何食わぬ顔で「そ」と人差し指を立てた。
「人狼が明日襲うのは、俺だ。それも、秘密裏にな」
 カケルは、この男があまりにも胡散臭く、詐欺師か居直った強盗の可能性も考え始めていた。それなら、さっさと逃げればいいものを、カケルまで家の中に招き入れて、留め置いている理由がわからない。自棄になって、カケルは紙パックのジュースに、ストローを刺した。チープなミックスジュースの味は、母が今でも好んで買ってくるものだ。幼少期から慣れ親しんだ味が舌の上に広がると、カケルも徐々に平静を取り戻しはじめた。
「順を追って、話して貰えますか。納得出来なければ、貴方を交番に突き出します」
「信じて貰えなけりゃ、そうなるな」
 カケルの脅しにも、怯える素振りもない。そうして、勢いよく、買い置きの菓子パンやソーセージにかぶりつき、パックの茶をごくごくと飲み干している。カケルはその様子に唖然とする。行き倒れた人間を助けたわけではない。この男はカケルを脅迫しているのだ。男は、甘いものが好きなのか、お特用の小さなドーナツ菓子の袋を破る。カケルにも一つ手渡されたが、そんな場合ではないと固辞した。そして漸く、男はぽつぽつと話し始めた。
「信じて貰えるかはわからない。が、一宿一飯の礼ってやつだな。とりあえず、すべて話してやろう。意味のわからないことが殆どだろうが、とりあえず聞いてくれ。――俺は、簡単に言えば、この村よりも遙かに文明が進んだ未来からやって来たに等しい。この村は、ある設定の元に作りこまれた、架空の世界だ」
 相変わらず、カケルには首を傾げるしか出来ない。それでも、もう少しでも聞いていれば、何かがわかるような気もして、なるべく口を挟まないようにした。
「今は西暦二三〇〇年。それには間違いない。そういう意味では、俺とお前は同じ時代に生きている。が、この村は、特別自然保護区――通称“K”と呼ばれる人狼村だ。ここは、平成に入る手前の昭和時代に設定されていて、それ以降の文明は、一片たりとも入っちゃいねえんだ。そうだな。今、この村にある通信機器は何がある?」
「各個人宅に電話が、ある。通信というと、それぐらいしか」
「まだ、ネットも発達しちゃいねえのか」
「ネット?」
「わからねえと思うがとりあえず聞いてくれ。俺達の世界では、個人で持つ通信機器があって、それも長い進化を遂げている。テレビなんてものは過去の遺物だ。各家に設置する固定電話ももうない。パソコン――ぐらいは聞いたことがあるか? 全世界にパソコンが普及して、大分前から、世界中とリアルタイムで連絡を取ることが可能になっている。言うなれば、仮想電脳空間だな。それすら、今より遙か昔の話だ。そんな進化を遂げて行く中で、何故、この村が完全に取り残された形になっているかを説明する」
 ――そんな時代が、いつか来るかもしれない、と社会の先生は話していた。いつか来るどころか、この男が言うことが真実だとすれば、この村は、本当に世界から取り残されていることになる。
(耳慣れないネットという言葉、テレビは既に古いものという扱い。男が嘘を吐いているとは――思えない)
 もし男がただの居直り強盗だとすれば、こんな嘘を吐く必要すらない。さっさとカケルを撃って逃げればいいだけの話だ。それが、「一宿一飯の礼」とは言え、食べ物を提供した礼としてこうした話をしている。こんなまどろこしいことをすること自体が、男が真に未来から来たことを現しているようにも思えた。それに、この、青い髪と目は、どうにも慣れない。この村には、そんな人間は一人もいないのだ。
「煙草を持ってくりゃ良かったな……」
 男は呟いたが、話を続けることにしたようだ。
「わからなくてもいい。とりあえず聞いてくれ。テレビというモンが、俺達の世界には既にない。それは、動画配信サイトが、台頭したからだ。ニュースでも、趣味の動画でも、何でも好きなものが好きなときに観られる。テレビが衰退するわけだ。個人で動画を撮って配信する者も大勢居た。何故こんな話をするかというと、それが、この村の成り立ちに深く関わってくるからだ。人狼は、言うなればただのゲームだった。パソコンが出来てから、見知らぬ人と人狼ゲームを嗜む者も増えた。人狼は、ゲームとしちゃ刺激的なもんだ。瞬く間に人気を博した。人狼ゲーム自体が爆発的な人気を起こしたんだ。そうして、人々は考えた。これがゲームではなくて、実際に現実で起こるとしたら、どうなるだろう、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、と。奇遇にもその時代、恋愛リアリティショーという番組が流行していた。素人に近い男女たちを一緒に住まわせて、どういう恋愛が起こるかという、視聴者が観察する番組だ。それを、人狼でもやればいい、とある主催が言い、融資を募った。村が開拓され、人狼ゲームを楽しみたい者たちが移住した。そうして、人狼ゲームもまた、リアリティショーとして、完成されたんだ。その舞台が、この村だ」
 カケルは、信じられないという顔で男を見た。
「ま、そうなるわな。恨むなら先祖を恨むんだな。そうして、最初のうちは、ゲーム好きな仲間内で、リアルの世界で人狼ゲームを楽しむだけで終わっていた。あくまで、ゲームだ。人が殺されることはない。それらも織り込み済みで、ショーとしての出し物として、リアリティショーは行われていた。しかし、いつしかこの村ごと買い上げた主催が、リアリティショーなどつまらないと言い始めたんだ。ゲームに参加しているとわかっている参加者など、何の面白味もないとな。確かに、見られるとわかって参加している参加者は、当たり前だが視聴者の目を気にする。そんな取り繕ったものより、本当の人狼ゲームをしようという話になった。本当に襲撃され、本当に命を落とし、人間が本当に人狼になる。命賭けの人狼ゲームが執り行われることになった。その時、多くの脱走者が出た。当たり前だ。ゲームを楽しみたいだけなのに、命を落としたい奴なんて存在しない。だが、片っ端から掴まえられて、この村から出ると毒が回る薬剤を打たれた。もう逃げだすことも出来ず、この村で人狼に怯えるしかない――ある意味で、真の人狼ゲームが、始まったんだ」
 男は大きく息を吐いた。
「人狼ゲームは、その時から参加するものではなくて、観察するものに変わった。それが、この村だ。この村は、いつも多くの人間に監視されている。住人は、そんなふうにショーの舞台に立っているとも知らずに、ゲームに参加させられている。だから、この村の者は皆プレイヤーとされ、特定のプレイヤーにも沢山のファンが付いている。永墓カケル。お前は、狩人の役職を貰ったよな? お前には女性ファンが多い。その期待に応えようとしての、役振りに違いない」
「そんな、馬鹿なことが……。俺は、監視者の姿なんて見たことがない!」
 これまでの生活が、全て見られていたかと思うと気味が悪く、カケルは声を荒げた。
「気持ちはわかるが、見たことがあるはずだ。この村にはいつも――鴉が沢山いなかったか?」
 カケルはハッとする。
「実際に監視者の姿は見えないはずだ。奴らは、鴉を通じて、お前たちを観察しているんだからな」
「この村では、鴉を殺してはいけないというしきたりが――ある」
 ぞわりと背中が粟立った。あれが、あのおびただしい鴉の数が、観察する人間の数というならば。カケルたちが見ているものもほんの一部で、それこそ、何万という鴉が存在するのではないか。
「それだ。嬉々としてお前たちを観察している人間たちは、多少なりとも金を出して鴉を遠隔操作している。その商売になる機械を壊してもらっては困るってことだ。まぁ、飛翔出来るから易々と村の人間に捕まることはないが」
「まさか」
「何か、わからないことがあれば説明するが――腑に落ちてはいるようだな」
 カケルには、動画配信など耳慣れない言葉もあったが、大体の意味はわかった。そして、男の言うことがこの村での不可解な掟と照らし合わせて違和感がないことに、カケル自身が一番衝撃を受けている。わかりたくないのに、わかってしまう。あの鴉の視線がどうにも嫌だったことを含めて、あれが人間の視線だったとすれば、嫌悪感から、カーテンを閉めていたカケルの挙動にさえ説明がついた。
「訊いても、いいか」
「どーぞ。もうすぐ死ぬ身だ。大サービスで何でも答えてやろう」
「不死川ユズリハは――人狼か?」
 この世界が虚構であれ、取り残された村であれ、カケルたちが逃げだせないことには違いない。
「最初の質問がそれとはな。ユズリハには――男性ファンも多いが、女性のアンチがかなり多い。あ、アンチってのは嫌われている要素だと思っていい。ユズリハは一定の女性ファンには嫌われる傾向にある。人狼を振り分けられたのも、そういった点だろうな」
 カケルは目を瞑った。役職は神の采配などではない。れっきとした人間が――監視者側の人間が、カケルたちを駒のように弄ぶ為に、与えた役職なのだ。
「まぁ、ランダム要素もあるとはいえ、視聴者側の意向はデカい。テレビが視聴率を稼ぎたかったのと同じだ。再生回数を稼ぐこと、それが目的だ。それに関しては、動画が台頭した頃と何も変わってねえか。アーカイブの動画に加えて、リアルでいつでも村の様子が見られる。視聴者にとっては二十四時間楽しめるコンテンツってわけだ」
 男の話が途切れるのと同時に、カケルは大きく息を吐く。
「アンタの名前は?」
「俺は、カンナギだ。こんな偉そうにしちゃいるが、この仕事に就いたのは、まぁ職がなくて、ただぶらぶらしてたからだ。こんなものは、本来仕事とも呼べない。アングラの住人だけの、汚れ仕事だ。ヤクザと一緒だな。今日のように、おかしな動きをした人狼が居れば、戦って追い払う。殺さなけりゃいけない奴がいれば、殺す。命懸けの、使い捨ての駒だ。人狼ゲームを正常に運営するための、汚い仕事ってやつだな。普段は、この味気の無い服に、村人からは姿を見えなくする透明ガスが仕込んであるんだが、今回の任務中に故障した。不運だが、何にしても、この場所に取り残されたってことは、俺は人狼に始末されるほかない。哀れな末路ってわけだ」
 カンナギの言うことが本当だとすれば、この村には、姿は見えないものの、かなりの余所者が出入りを繰り返していることになる。そして、人狼ゲームの規則から逸脱する者が居れば、殺す、と聞いてカケルは背中に冷水を浴びせられたような気がした。
「もし、アンタの――カンナギさんの話が本当なら、村は大騒ぎになる。真相を話せば、村は変わるかもしれない」
「無駄だな。誰もそんなことを信じるとは思えねえ。それに、お前は洗脳がどうも薄そうだから話してはみたが、村人全員が、神社で洗脳受けてるだろ? 週一ぐらいで。他の奴らなら、この話を聞こうとすら思わないはずだ」
 確かに、目の前に村に居るはずのない人間が居て、こうして話を聞くから信じられることもある。カケルがこうした実態を話したとて、きっと誰も信じてはくれない。それどころか、妄言だと後ろ指を指されることになるだろう。現に、カケルでさえまだ混乱しているのだ。
「あれは、やっぱり洗脳だったのか……」
 人狼神社で定期的に行われるヒーリング。それを受けることが村の義務となっているが、要するに、この村が――人狼ゲームなどしなくて良いなどという――根本的な疑問を抱かないように、巧妙な手口で、村人を洗脳していることになる。
「最初から疑惑があるから、辻褄も合う。この世界を疑問にも思わない奴には、話は通じないだろうな」
 そういえばとカンナギは言う。
「この世界って、そろそろスマホ? とか携帯はなかったか。まだ暫く先だったか」
「すまほ、もけいたい、もわからない。俺たちの村には、そんな物はない」
「だよなぁ。レコーダー代わりぐらいには、使えたか」
 ごそごそとポケットを探ると、カンナギは四角く薄い板を取り出した。金属で出来ているのか、掌サイズの機械だった。
「これをカケルにやろう。大昔の機種だが、何かの役には立つだろう。この時代では、これが精一杯だな。充電は、この線と一緒にコンセントに繋いでおけ。レコーダーなら、この時代にもあっただろう。ぎりぎり違反にはならないはずだ」
 カケルはスマホの基本的な使い方を教わった。
(コンセントは、変わらずあるのか)
 遙か進んだ文明器具が、同じようにコンセントで使えると聞いて不思議な気分になった。しかし、充電、というのは聞いたことがない。電池を溜めておけるとしたら、便利な道具だ。音楽と言えば、カケルたちの世界では、未だカセットテープが主流だ。レコーダーは中でも、特に持ち運びが大変な機械だった。
(俺たちの世界にはない、進んだ時代のものなのに、それでも大昔の機種だって……?)
 同時並行で進んでいる世界のことだとは、信じられない。しかし、文明に関することはともかくとして、カケルには気にかかっていたことがあった。
「あの、今日の人狼は……どうなった?」
 男は、規則に反した人狼を罰する仕事だ。予定されていた襲撃開始日時を破ってやって来た人狼を、どうしたのだろうか。
「追い払った。殺すまではいっていない。人狼を無闇に殺すと、ゲームバランスが途端に崩れるんでな。簡単には殺傷命令は出ない。村人は、比較にならないぐらい多いんだが」
「でも、今日襲撃された人は」
 男は感情のない目でカケルを見つめた。そして、何でもないことのように、煎餅を齧る。
「死んだな。まあ役職なしの村人だ。ゲームバランスが崩れることはない」
 カケルは不意に恐ろしくなった。カンナギにとっては、ゲームが無事遂行されることが第一で、それ以外にはてんで頓着していない。
「同じ人間が死んだのに、そんな風に……!」
 向かいに住んでいた中年の夫婦は、いつもカケルに優しかった。それなのに、カケルは狩人でありながら助けることも出来なかった。カンナギが冷めきった視線を寄越す。
「ま、いずれわかる。ここは舞台だ。閉鎖された箱庭だ。俺たちは黒子のような存在で、舞台が如何に劇的に、面白く、悲劇的に見えるか。それを監視する。足りなければそっと足し、不要なものがあれば舞台裏で排除する。ただそれだけの役回りだ。優しさも、悲しみも、何も感じなくていい。俺たちはただの駒なんだからな。永墓カケル。お前は、その舞台の役者だ。スポットが当たる、光に満ちた場所だ。お前は、人気があり、役職を持つ、勇敢で重要な役回りだ。本来、俺とお前は、こうして言葉を交わしちゃいけないんだよ。役者が黒子と舞台上で話す禁忌を思えば、今この時間がいかにありえないかはわかるだろう。だから、俺たちは厳しく管理されている。もし、人狼に逆に殺されるようなことがあっても、ひっそりと回収されるだけだ。村人と接触してもアウト。もう、元には戻れない」
 男は伸びと欠伸をした。まるで隙だらけだ。
「そんなことは契約書の一行目に書いてある。俺たちの命は使い捨てだとな。それをわかってやってるんだ。まあ、核燃料の運び屋みたいなもんだ。危険を承知で、引き受ける。それだけの金――見返りは貰っていた。俺は失敗したが、悔いはない」
「どうして、そんなに、冷静で居られるんだ。明日死ぬってわかっていたら……」
 カケルは、本当にカンナギが明日死ぬということを、徐々に信じつつあった。だが、男がこんなに落ち着いている理由がわからない。
「だから、何度も言うが、とうに覚悟は出来ている。この職に就いてる奴は皆そうだ。社会の落伍者が就くような仕事で、まともに家族が居るような奴もいない。俺を含め、他の誰もが、いつどこで野垂れ死んでもいいような人間しかいない。だが、お前は違う。永墓カケル。両親が居て、友だちが居て、頭も顔も良い。オマケにこの村では一番の女性ファンが付いている。運営も、お前を適当に死なせることはないだろう。お前は、どうやら洗脳も薄い。お前の生存確率を上げるため、この世界の仕組みを話した。馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばしてもいい。――頭の良いお前なら、俺の言うことがそう間違っていないと、感じているだろう。俺の渡した情報は、好きに使うといい。あんまり表に出すと、今度はお前が疑われる。上手くやるんだな」
 社会の落伍者、と言うが、カンナギはカケルの目から見ても、二十代そこそこにしか見えない。更に、容姿もどちらかというと良い方で、一体外の社会がどういう構造になっているのか、まるでわからなかった。
 しかし、中止されることなく、そして人狼の数も減ることなく、襲撃は始まるらしい。カケルは、気にかかっていたことを、カンナギに尋ねた。
「正常なゲームを、と言うけれど、俺が狩人であることが、祈祷直後に人狼であるユズリハに洩れていた。漏らしたのは、誰か聞きたい」
 カンナギは、両手を後ろの床に着いたまま、溜め息を吐いた。
「――人狼神社だ。お前にはもう、わかってるんだろう」
 絶対中立のはずの人狼神社が、人狼側に加担している。それは紛れもない事実だった。
「どうして、人狼神社がそんなことをする? 神社は、この儀式のすべてを取り仕切っているはずだ。どちらかに肩入れするのはおかしいだろう」
 カケルの剣呑な口調を、宥めるようにカンナギは答える。そうして、口淋しくなったのか、二個目のパックのジュースを開けた。今度はいちごミルクだ。
「それも仕方がないことかもしれない。人狼神社は代々、ゲームで勝ち続けて来た人狼側の人間が、指揮しているからな」
 何気なく放たれた言葉だったが、カケルは呆然とする。
「人狼神社が、人狼側の人間……?」
「正しくは、“元”だな。元人狼側で、村人に勝利した人狼チームの人間が、儀式やそのすべてを行っている。だから、自分たちが苦労してきた分、人狼側に甘い組織になっていることは、否めないな」
 カケルは思わずカッとなる。
「それこそ、絶対のタブーを犯していることにならないか。人狼側が、すべての役職を知っているとしたら、村はすぐ崩壊するはずだ」
 人狼神社が、人狼側に付いているなど、本来なら言語道断だった。人狼神社は、人狼を神聖な獣として崇めてはいるが、襲撃があって村人が避難する先もまた、人狼神社なのだ。
「流石に、全部の役職を漏えいさせたりは、しないだろうが――そればかりは、俺にもわからない。ただ、村人を殺してのし上がった連中のやることだ。それ相応の覚悟はしておいた方がいいだろうな」
 カンナギの言うことが真実ならば、カケルたちは、とんでもない舞台で、踊らされていることになる。逃げれば死に、残っても死ぬ。村から出ることも出来ず、一生この村に飼い殺される。
「この村の、占い師は誰だ。それぐらいは良いだろう。連絡を取る」
 もしカンナギから、真占い師の情報を貰えれば、ゲームはかなり有利に進むはずだ。だが、その答えはにべもなかった。
「そこまで教えることは出来ない。ただの殺し合いになっちまうからな」
「そんな……!」
 これでは、人狼側からの一方的な虐殺になる。カケルは立ち上がった。
「ただ殺されるのを待てっていうのか……!?」
 このままでは、カケルも、イツキたちも、皆死んでしまうかもしれない。
「座れ」
 カンナギは、低い声でカケルに促した。手には、先ほどの銃を持っている。その威力を思い出し、カケルはすとんと、力なく床に頽れた。
「これは、お前の為でもある。すべての事情をはじめから知っている素振りを見せれば、カケル。お前が人狼神社に消されることになる。狩人はとにかく、目線が狼になりやすい。一度怪しいと誰かに言われれば、お前が村会議で吊られることだってある。役職が村会議で吊られないという保証はどこにもない」
 カンナギは、カケルがすべてを知っていると見るや否や、人狼神社に疑われ消されるのだという。カケルは絶望した。今のままでは、何一つ希望がない。
「じゃあ、どうやって生き残れば……」
「考えろ。今までも、この村がおかしいと、疑ってかかっていたんだろう。人狼は本来そういうゲームだ。直感を信じて、推測し、戦え! それしか、お前が生き残る道はない」
 頼みの綱は、カンナギから与えられた情報と、このスマホという近未来的な道具のみ。ユズリハは完全に人狼である。そのことだけが、唯一カンナギから教えられた確固たる事実だった。カケルは与えられたすべてを使って、村人側を勝利に導かなければならない。自身が村会議で吊られることなく、このゲームを取り仕切っている運営にも疑われずに、早急に。
「ま、俺はお前を応援してる。生き残れよ。カケル」
 カンナギは明日死ぬという。その真偽さえよくわからない。悲愴な顔つき一つせず、ごろんと横になり、カンナギはひらひらと手を振った。スマホと、コンセントに差し込めば充電出来るという線を握りしめ、カケルは追い出されるようにして隣の空き家から出た。
(作戦を、立てなければ)
 この機械の使い方を教えられたときから、あらかた戦法は定まっていた。あとは、機を見て実行に移すだけだ。
 人狼側に、易々と勝利を渡すつもりはない。役職となってしまったことには同情するが、今回の人狼陣営のやり方は、慈悲を持った敵のそれではない。
 人狼は、ルールを破り、必要のない殺戮を行った。
 ――村人を、必ず勝利に導いてやる。
 燃え盛る炎の瞳で、カケルは前を見据える。
 ゲームスタートは、既に明日に迫っていた。

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