ラストメッセージ(2)現代社会を生きる私に必要なもの

〔末期ガンをサーフする3〕

人が生きていくために必要なものやコトはたくさんあるけれど、ここでは末期ガン患者である私が個人的に切実に必要で大切であると判別したことを書いておきたい。
自分の生の限界が数か月後だと明らかになったとき、人はなにを大切に思うだろうか、という話だ。

いうまでもないけれど、モノなどどうでもいい。
モノや財産など、いくら持っていても、最後の日々はちっとも豊かにならないし、ましてや墓場に持っていけるものでもない。
と、かっこよくいいきりたいものだが、そうもいかない。
いま書いたのはタテマエである。

実際には最低限のモノがないと、寒いし、ひもじいし、不便だし、不安だし、おそろしい。
末期ガン患者である私のもっかの必要は、ガンの痛みを抑えることで、それは切実なものである。

「痛みは身体の声で、なにか必要があって生まれているものです。痛みによりそい、敵視せず、その声をよく聞きましょう」
などという美しい言質を聞くことがあるが、耐えきれない痛みにさいなまれる当事者にとってはきれいごとにすぎない。

経験すると、痛みは生の質そのものをいちじるしく浸食することを思い知る。
いまいっているのは、一時的な痛みではない。
たとえ激痛であろうと、一時的な痛みならそれは耐えられる(こともある)。
激痛でなくても、じわじわと継続するいつ終わるとも知れぬ痛みは、生きていることにいやけをささせる。
痛みを消すか、自分を消すか、どちらかを選びたくなる。

まだ生きていたければ、痛みをなんとかしようということになる。
さいわい、医療は進歩していて、さまざまなペインコントロールの方法が提供されている。
私の場合、いくつかの薬を使っている。
なかには麻薬もある。
もちろん医療用ではあるが。

薬を処方してもらい、それを購入するには、お金がいる。
健康保険が使えるといっても、3割は負担しなければならない。
そもそも健康保険料だってけっして安くはない。
高額医療の還付を受けようとしたとき、健康保険料の未納があるとできないといわれた。
数万円の還付を受けるために、数十万円の未納金を完済しなければならないという現実があった。

お金は最低限のモノのひとつといわざるをえない。
ゆっくり休むための家や寝具や空調や、食べ物や水道や電気やガスや電話線なども必要で、それらにはいちいちお金がかかる。
ところが、切実にこういうものが必要な者にかぎって病気であったり、高齢であったりと、生産手段を持たずに収入が途絶している。

というようなことをいいたくてこれを書きはじめたのではなかった。
モノは最小限必要だけれど、その上でさらに大事なこともいくつかあって、それがないと心安らかに最後のときを迎えることは難しいだろう、という話をしようと思っていたのだった。

ひとり静かにすごせる場所。
学びと成長の時間。
安心と信頼を持てるつながりのある仲間。
自分が自分自身であること。
あるレベルの質がある生活。
表現すること。

こういったことを実現するために私に役立っていることは……
共感的コミュニケーション(NVC)。
マインドフルネス。
ピアノを弾くこと。
ものを書くこと。
インターネット。
武術。

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