見出し画像

差別を受けたと感じる瞬間が、福祉系や当事者のアカウントの文章から感じる事が多い自分の脳内。

SNSアレルギーの、ただの愚痴です。
おそらく、文章を読んで不快に感じる方が多いんだろうなあと予測しながら

どうしても自分自身の中で消化しきれなくなったので、文章で愚痴ろうと思った次第です。
発達障害当事者でありながら、昨今自分自身が「これは差別だなあ」と感じた事をまとめます。

Instagramを触らなければいけなくなったこと、Twitterのおすすめ欄で目に飛び込んでくる情報などなど
そういった書き込みから、非常にストレスを感じる事が多い

個人を叩いている内容の可能性もあるので注意してください

「発達障害は、車で事故を起こしやすい」の文章

発達障害のお金の話か、車の運転の話かで出てきた文章だけど
事故を起こしやすいから、しっかり保険に入ってね!といった文章だった

これを見て、差別だ~と感じた

特性上、事故のリスクがあることは事実ではあるんだけど

僕もうっかりミスがあるから、運転するときはいつも以上に気を付けているつもり
自分が頑張っている事、起こさないように気を付けている事に対して
改めて特性を突き付けられるのが悔しかったりしたのだった

でも、保険に入らず車に乗る人はほぼいないんだよなあ
なのにわざわざ、発達障害は事故を起こすから、保険に入ろうなのか…?

事故みたいなヒューマンエラーは、人であればだれだって起こす
健康状態によって、時間によって、道路状況によって
どうしようもない回避不可能な事故だってあるはず

発達はうっかりミスするポンコツって言いたいのかな?

こうやって脳内でぷんぷんしてたら、この文章が当事者のアカウントからの発信でした

普段から多様化!本人の特性を理解しよう!って言ってる割に障害名でのレッテル貼りが得意そうですね
と、自分も差別や貶しの刃を突き立てておきます


「(行動について)制止するやつは支援者失格」の文章(そんなに強い言葉じゃなかったけど)

自分が一番アレルギー反応がでる、福祉系の啓発アカウントから

「制止するな、うちでは制止しなかった、だから結果がでた」といった内容だった

最近仕事で相手にする方が変わった事で、自分が対応している中でもこういった場面はある

そりゃ可能であれば壁一面に絵の具塗りたくって「見てください!この方のアートです!」って言いたいよ
湯水のようにお金と画材が出てきて、無尽蔵に使っていいならそうしたい

でも、画材にも予算にも限りがある。その限りのなかで、お互い我慢したり、すり寄せたりする必要がある
「今日使える絵の具はここまでですよ」と専用の容器にいれて、限りの中で楽しんでもらっている

そういった施設の方が多いに決まってる。みんな「もっと自由にやってほしいなあ」と感じながらやってる
でも限りがあるから知恵を絞って、行動制止することもあれば、画材に制限を付ける

専門的な施設であればできる事もたくさんあると思う。知恵もあるしノウハウもある
やまなみ工房さんの即席麵の作品なんか、価値観が変わったりした

でもそういった専門的な施設でない場合の方が多い
ほかにもかかる予算がたくさんある
悔しい思いをしながら、あきらめる事もたくさんありながら過ごしている

予算不足、画材不足は、努力不足ですか?

本当に制止していないんですか?
学校の壁に色を塗りたいとリクエストが出たら?窓に絵を描きたいとリクエストが出たら?カーテンを切り裂いてちぎり絵がしたいと言われたら?
それが何人、何十人になったら?

いいところだけを切り取りすぎているし
制止する事=悪 と感じてしまう文章に、支援者差別だと感じた

こういった思想の強い人が福祉を殺していると思っている
もっと考え方が自由だったらいいのに

対象者の自由は守られているのに、支援者の自由はちっとも守られていない

絵の具がもったいないということを教えるために制止する意見も正しい意見でないといけないと思う
理想はお互い平等な立場で異なる意見も言い合い、検討して、最終は管理者が方向決めればいいと思う

自分の置かれた場所で、できるカードを切る
それに納得した保護者がその施設を選ぶ
そういう風にできているはず

制止=悪なんて、支援者差別だ

そもそも、自分が関わる人の功績を個人のSNSに書くなんて、プライバシー意識の低い支援者の方がどうかと思いますけどね
と、自分も差別の刃を向けておきます

この件のアカウントさん
自分のファンのDMをさらしていて

自分の本を勧めまわっている保護者さんの事を「クール」とほめたたえていて
やっぱりこういうのって馬鹿を相手にビジネスは回ってるんだなあと思ったりした

「支援の手法は多様だから、用法容量守ってね」ぐらい言ってほしい

偉い人ほど、個人の気持ちややり方を尊重して、それベースに伸ばしてくれるよ

現実世界に、あんまり差別を感じない。無知と差別は違うから

地下鉄無料で乗らせて頂いて
美術館に行ってもお金を落とさず
映画館も割り引いてみてしまっている自分が
他者の無知に対して腹を立てるのは申し訳ないなあと感じている

無知に対してあーだこーだいうのは違うと思うし
支援者に対してあーだこーだいうのも違うと思う

あーだこーだいう事が、言葉の刃を突き立てていること、差別をしていることを意識してるのかな?って感じる事が多い
それが同じ土俵に立っている当事者や福祉のアカウント

現実世界に、差別はほとんどかんじない
転職の時に「次はオープン!」と決めて面接に回ったが
「発達障害は、言い訳にならないからね」と最終面接で落選したことも、微塵も差別だと感じなかった

ああ、この会社は発達のこと、精神障害のこと、あんまりわからなかったんだと感じた
誰だって知らないことはあるし、どの会社だって前例がない事に対して慎重だ
この先どっかで、そういった事を知るきっかけがあればいいなとも感じた

でも昨今のSNSでは、「障害があるのに騒音問題でクレームが入った!防音にこんなにお金かけているのに!差別!」とか「合理的配慮!配慮!」的な語気の強い言葉がいーっぱい生まれてる

知らないことに対して、「勉強しろ!」はあまりにも無理がある

自分だって知らないことを勉強するの、エネルギーいるはずなのに

「知らないこと」と「差別」は別のフィールドなのになあ、と感じる

サッカーと野球じゃ戦えないもんね

だからこそ、福祉のアカウントや、当事者のアカウントにぷんすか腹が立つ事が多い

無知差別だ!

もちろん、いいアカウント、ためになるアカウントもたくさんある

事実だけを伝えてくれる人
「こんなことしました!」「こんな面白いことしました!」と
客観的事実だけ伝えてくれるのはすごく信頼できる

自分の価値観が変わる事もあるし
最近の流行や、情勢など疎い自分にとって、SNSを完全に断つことは難しい

だからこそこういったアカウントに助けられてる
いつもありがとう

特にレクリエーションを動画で上げている高齢者施設のアカウントがあって
そこが本当に刺激になるし、参考になる

マジでいつも助かってる、ありがとう。感謝します。

自分のこの文章が差別だ、人を傷つける言葉だということも理解してる

むしろ、自分の方が差別的だと感じている
いやだ、嫌いだ、とすぐに言うし、人格もそんな優れてない

でも自分の中でモヤモヤが解消されなかったから文章にした

立派な事をしているのは、活動している人だろう
一般的に

自分は何にもしてないから

ここまでお付き合い頂いた人がもしいたとしたら、ありがとうございます
すみません。

でも知らない事を糾弾することも差別だということ
支援の方法を施設をまたいで行う事も差別だということ

なんかすっと来た人がいたら、共感できる人がいたらいいなあとか

思う事は言っていいと思う。無知に対して、他者の支援に対して腹が立つこともあるだろう。自分もある。
けどその時は自分個人の考え方なんだと伝えたほうがいいなあと改めて感じた
主語でか言葉に、自分も気を付けよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?