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「根っこ」があれば、何があっても大丈夫。

人間の根っことは何でしょうか。
仕事でもお金でも人間関係でもありません。
いのちのつながりへの気づきと、感謝の気持ち。
そこに安らいでいれば、何があっても大丈夫です。

人間の根っことは、「こころ」のこと。
それも何かを感じる「心」ではなく、
何を思って生きようとしているか、という「意(こころ)」のことです。

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94歳の鞍馬寺貫主である信樂香仁さん「すべておまかせ」という本からの一節です。


とても素敵な言葉で、そしてきっと色々な人が行き着く
真理や真実というものなのだろうと感じます。


昨日ライオンキングを観ていたのですが、
ばっちり歌にもありました、circle of life ですね。
巡るいのちの中で、巡り合わせにより生きている私たち。

全ては影響し合い、支えあっている。

私がこうして生き続けるということは
その裏で亡くなったいのちがあるということ。

私が亡くなれば、きっとそれによりいのちを繋ぐいのちがある。

無条件に生じるものなんて何一つなくて、
いつだって縁りて起こることばかり。
他によって生じることばかり。

常に全てのことは相互に依存しあう。
因果の間には必ず縁がある。
これを縁起というのでしょう。

自と他は身体を共有し、生命を与え合い、
一体となり地球や自然を巡ってゆきます。

そうした思いが柔らかく自分の中に流れ始めると、
“私“と“私以外“という区切りは
どんどん薄くなってゆく。

どんどん薄くなり、そのうちきっと消えるときがくる。

そのときはどんな感じなのだろう。
ちょっと想像してみる。

きっとそのとき人は、


足るを知り、分かち合う。
相手に楽しみを与えようとする。
相手の苦しみに向き合い一緒に取り除いてあげようとする。
相手の善を妬まず、相手の悪を憎まないのでしょう。


いつ何時もこうあれたら素敵だなと思います。

そしてみんなもこうなったら良いのにと願うより、
いつだってそれを始めるのは自分から。

自分が制御できるのはいつだって
自分の行い・思い・言葉・受け取り方だけだからです。


誰も否定できない真実のようなことが世界にはたくさんあるように思います。
宗教や年齢・性別関係なく、疑いようのない心地よいと感じる
そしてもう心のどこかでもう知っていたような真実。
それらはきっとはじめましてではなく、おかえりなさいを言いたくなるようなもの。


そうした真実にたくさん出会いたい。気付きたい。

私にとってそれを教えてくれるのは、画家さんであったり
映画監督であったり、ヨガの聖者であったり、小さい子供であったり、
自分の祖母であったり。

知っている人はもう知っている大切なこと。


その大切なことにいつでも気付ける自分でいるために、
自分を心地良く整えておくこと。
そしてそれらが、優しくて強い自分の根っことなってゆくと信じて。


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