ゆうちゃんは、華やかでもあり下町風でもあるこの街で生まれ育った。 ゆうちゃんの歩くペースでたくさん歩いた道。 ゆうちゃんから観える街の風景と大人から観える街の風景は同じものでも感じ方が違うのだろう。 子どもにも大人にも誰もに言えるのは、今観えている世界は今観えているだけしか見えていない。 世界観(視野)が広がれば観える世界(範囲)が変わる。 そうやって皆んな成長をする。
間違っていても自分が壊れるなら壊れなくて済む方を選ぶ。例えその道を選んで自分が壊れそうでも。 絶対に自業自得だということを理解しているのならその方がいいと思う。
馬鹿だから信じられないだけ。自業自得
そういう嘘がすんなり言える人はもともと嘘をつかない人だろう。いい加減で梅レベルの人間が相手のために嘘を言っていたらもっとダメ人間になる気がする。
温情、情け、思いやり、哀れみ、、私がどんな風に思われようととてつもなく感謝しかない。
全ては自分次第。どんなにハンデを持っていても、どんなに愚かでも、どんなに情けなくても、過去は変えられない。だから今から変える!
でも根っこには痛手は残る。。 それと共に生きていくから人は強くなる。
自分がどんなに苦しくても守らなくてはいけないものがある。
相手の今も未来も本当に考えたコミュニケーションで、障害だということがマイナスにならないことがある。
芸能人だったり、大企業の社長だったり、何かに優れた人だったり、本当にすごい人は沢山いる。 私の知るすごい人は、すごく無い様に見えてとてつもなくすごい人。 だから、自分の知る世界ですごい人だと思うのは、実はそんなにすごく無いのかもしれない。
自分が感じるものは自分の世界だけの話。もっと広いものがあってそれを元に本気で思ってくれるなら感謝すべきこと。
本当にひどい人は(悪気がある人も無い人も)どうにも他人とは付き合えない。 家族でさえも離れて行くかもしれない。
緊急事態宣言が解除され、夜にお酒も飲めるようになり、今日は華の金曜日。 そういう解放されることって心の安定を保つために必要だと思う。
神頼みや、誰かが守ってくれると思って生きてきたが、自分の力で生きていけるようになるために指導をしてくれる人がいると、本当に人は変われる。
楽しいことは大事だが、楽を選んでいては世界は広がらない。
変わるきっかけや、変わるために必要なものや気づきを与えてくれる人や一緒になって頑張ってくれる人は絶対に必要。 でも結局は自分次第。 人が関わってくれているのだからそれが罪に値することもある。