感覚をアウトプットする練習

インプットは簡単で楽しい。

ものによっては、いくらでも熱中できる。頭が良くなった気がする。私は、そんな快楽主義者である。

アウトプットとなるとどうだろうか。

オリジナリティは薄れて、似たり寄ったり。困ったものだ。

インプットしたものを分析し、何が良かったのか。なぜ良かったのか。自問する。

感覚を言語化するプロセスを踏む。好き嫌いを抜きにして事実だけを言語化すること。かなり難しいが、ここで間違えると その後がなし崩しになる。

出てきたものを再解釈して、引き算をする。もとの姿が崩れないことが重要。

そしてほんのちょっと、ちょい足しをする。足そうとしているものは想像以上に大味である可能性が高い。一晩寝かせて、朝見返すとよくわかる。ほんのちょっとでいい。

それから人に見てもらおう。同じようなインプットをしている人に見てもらおう。全く知らない人に聞いてもアテにならない。

同じようなインプットをしている人に自分のアウトプットを披露することは実に恥ずかしい。外国語の授業で、外国語を使ってスピーチをするかのごとく恥ずかしい。

でも皆同じことを見聞きしているので、良し悪しの判断がつきやすい。素直に感想を求めれば、改良に繋がるはず。

気をつけるべきは、最終的なアウトプットに対して需要を想定すること。

最後に披露するのは、先ほどアテにならないと一蹴した“全く知らない人”のはずだ。エンドユーザー。一般大衆。

想定通りの反応には、まず至らないだろう。

渾身のアウトプットを受け入れてもらうには、自身の感じたインプットの教育が必要だからだ。だが、そんな教育をする暇はない。

感覚を正しく知覚しておくことがキモになる。だから事実だけを分析する。


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