ミーハーでいいかもしれない。
ミーハーと聞くと、どうもネガティブな感触がつきまとう。
確固たる信念をもって、物事を判断するのは実に難しい。
知識人・物のわかるフリをしようとして、情報を集めていくと なおさら判断に苦しむ。
「”本当に”自分がいいと思ったもの」を選ぶことはそれほどまでに難しい。
自分には確固たる尺度がなかったのかと落ち込む時もある。
もちろん誰もがそんな大義名分を掲げてモノを選んでいるとは考えてはいないが、「みんなが持っているから持っている。」理論は私は好きではない。
Android端末を持っていれば「なぜiPhoneにしないのか」と問われ、あえて逆張りをしていると思われている。
選んだ理由を説明し、なぜiPhoneを持っているのかと問い返すと「みんなが持っているから。」そんな感覚が好きになれない。
しかし、そんな人たちは楽観的に、いとも簡単に、世の中を楽しんでいるような気もする。それについては素直に羨ましい。
見方を変えれば、不見識なものに対しては考え悩む事を意図的にやめ、マジョリティに従う。即断即決である。さらに最良の可能性が高い。そして他のことを楽しむ余裕ができる。
対して私は、昔から人とは違うものを選択してきた。ミーハーな視点で見れば変なもの。
自身の尺度によって選択してきたものなのだが、周囲とはズレがある。センスがないと言ってしまえばそれまで。
音楽でもデザインでも、「ふーん、普通にいいじゃん。」というものほど流行る。自分が思っているほどエキゾチックでトガッたものは世俗に求められていない。
普通にいいじゃん。の中にある“いいじゃん。”の部分を認めて解釈する必要があった。 全くわからないワケではないので、歩み寄ることができそうだ。
普通の感覚。つまりミーハー感への嫌悪感を避けるあまり、選択がねじ曲げられていた。
シンプルに判断し楽しむためには“ミーハー”とうまくやっていく必要がある。
食わず嫌いせず、咀嚼を始めてみれば思いもよらない旨味にたどり着くかもしれない。
「小難しいことを考えている私へ」
頭でっかちはよくない。とりあえずミーハーに始めてみて、取捨選択をしよう。
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