第12話 やさしい終焉と明日への希望【最終話】

 いつのは予定日まで数か月となり、いよいよおなかも大きくなり寝返りすらつらくなっていた。
 それでも、おなかの中で元気に動き回っている子供を感じるたびに、母親としての表情が出てきていた。それに、出産が近づいてきていることで、胸が少しずつ大きくなってきていた。

「い、いつの……」
「ん? どうしたの? いつき……」
「これって、ぼにゅ……」
「なっ。そ、そう。この子のためにね。作ってるみたい。自然と出ちゃって……」
「へぇ~」

 胸も張ってきていたいつのは、布とこすれるだけでも、母乳が出てしまい肌着を濡らすことが多くなっていた。いつのも恥ずかしがっていたものの、いつのが次第に乙女から母親へと育ち始めているということでもあった。
 試しにいつきが吸ってみると、勢いよく母乳があふれ出てくる。子供が飲む分には十分すぎるほどだった。

「あっ。ちょっ、す、吸わないでよ。もう。この子のなんだから……」
「いや、試しにだって。」
「もう。いつきったら。」

 いつのの胸では、せっせと子供のために母乳を作り始めていた。そのため、肌着がこすれると、ピリピリと電気が走るような感覚になってしまう。そのため肌着は着なくなり、長襦袢<ながじゅばん>のような、和服を羽織るようになっていた。
 いつきがいつものように背中を拭いたりするときも、いつのの背中を見るとスレンダーだったいつのは、ふくよかになっていく。それは、やさしく子供を包むためにも、とてもいい兆候だった。
 それに、心配されていた消滅の危機も、出産が近づくに連れて、手先などの末端部分が薄く透けてくることはなくなり、このまま幸せな家族になれるような気がするほどだった。

むにっむにっ。

「あっ、ちょっと。何つまんでるのよ。」
「いや、いつのも、お母さんになるんだなぁ~って。」
「いや、それで、なんでつまんでるのよ。」
「えっと……。癒し?」
「い、いや。いつきを癒すためのムニムニじゃないんだけどなぁ~」
「そ、そう?」
「ふふっ。まったく……」

 そんな日常が、ずっと続くものだと思っていた矢先。とうとう、臨月になり陣痛が始まる。慌てて産婆を呼んだあと、男のいつきは追い出され、ただ願うだけになっていた。
 そして、数時間後……

おぎゃぁ!! おぎゃぁ!! おぎゃぁ!!

 元気な鳴き声が家の中に響き渡った。

「元気な女の子よ。ほんと、母親似みたいね。」
「ほんとですか?」
「えぇ。あれほど消えかかってたとは思えないほど、妖力が戻ってるわ。やっぱり子供のおかげかしら。」
「そうなんですか?」
「えぇ。この調子なら、しばらくは母親として育てられると思うわよ。ほら、お父さん。行ってあげて。大仕事をしたんだから。」
「はい!!」

 部屋の中に入っていくと、もう初乳を赤ちゃんに与えていたいつの。いつのといつきの赤ちゃんは、元気に母乳に吸い付いていた。
 小さな体の赤ちゃんのどこにそんな量の母乳が入るのかわからなかったが、それでもほほえましい光景だった。

「いつき。生まれたよ。」
「う、うん。元気に飲んでる。」
「あっ。」
「どうしたの?」
「さゆりたちに教えないと!!」
「い、いつき。」
「そうそう、あれも用意しないと。これも……」
「いつき!!」

 あまりの嬉しさに、あたふたと右往左往し始めるいつきに、くすっと笑いながらも、いつきを落ち着かせたいつのだった

「落ち着いて。まずは、さゆりね。出産報告くらいしないとね。」
「う、うん。そうだな。」

 それから、さゆりたちに連絡をすると、一目散に駆けつけたようで子供が寝入ったときに、家を訪ねてきた。

「生まれたの!? いつの様!!」
「さゆり!! 寝てるんだから……しー!」
「は、はい。」

 おなか一杯になり、いつのの横でスヤスヤと眠る赤ちゃんは、本当に気持ちよさそうに眠っていた。
 その様子に、さゆりも興味津々で、しきりに触ってみたりしていた。

「ちっちゃい。かわいい~」
「でしょ。」
「いつの様似だねぇ。」
「そう?」
「そうですよ、目元とか特に。」

 さゆりはひとしきり眺めると、お邪魔しては悪いと、そそくさと帰っていった。それからは、いつきといつの。そして、ふたりの子供。のぞみの三人の生活が始まった。
 縁側に出れるようになったいつのは、初めて二人並んで縁側での日向ぼっこを楽しんでいた。

「これからは三人だなぁ。いつの……」
「うん。いつき。まさか、こんな日常が訪れるなんて、思ってもみなかった。」

 それから、いつきといつのは縁側で二人でくつろぐのが日常になっていた。それは、授乳期間が終わっても続き、のぞみが元気に走り回っていても続いていた。
 庭先で、のぞみが元気に走り回り、それをいつのといつきがほほえましい表情で眺めるという、この時間が永遠に続いてもいいとそう思っていた。

「ほら、あんまり走ると転ぶわよ?」
「大丈夫~」

 それから数日後……
 その日は来てしまった。

 朝、いつものようにいつのの部屋へといったいつきは、遠くを眺めてたそがれているいつのの姿があった。

「どうしたんだよ? 朝の準備してるよ?」
「あ、いつき……」
「『あ、いつき』じゃないよ。どうかしたのか?」
「うん、そろそろみたい……」
「えっ? そろそろって……あっ!! いつの! 姿が……」

 朝日を浴びたいつのは、うっすらと姿が消えかかっていた。
 出産を済ませ、授乳期間すら済ませ、のぞみはもう三歳になろうかというとき、いつのの体は限界を迎えていた。
 ショックを受けたいつきは、いつのとのこれまでの大切な思い出が、まるで走馬灯のように頭を駆け巡った。それと同時に、いつのに消えてほしくない、そう思ったいつきは……

「まって、今。さゆりに……」
「いつき。いいの、子供は抱けたしさ。」
「いや、こればかりは、ダメだ。さゆりを呼ぶ! いいな。」

 自分の消滅を悟り、覚悟を決め始めていたいつの。それでも、消滅してほしくないいつきは、いつのの静止を振り切りさゆりに連絡を取る。

『せめて、妖力の供給を……』

 さゆりに連絡を取り、消滅しかけていることを伝えると、『どうして!!』と怒られたものの、さゆりは一目散に駆けつけてくれた。

「いつの様!! 消えないでください!!」
「相変わらず、さゆりったら、私のこと。様づけで呼んじゃって……」
「だって、私にとっては、名付け親なんですよ。そんな人が、消えちゃうなんて!!」
「そうだ、いつの。消えるんじゃない。あきらめるな! のぞみだって……」
「いつき。それに、さゆり。聞いて……」

 さゆりが一生懸命に妖力を供給しても、貯めることができなくなってしまっていたいつのは、今にも消えてしまいそうになっていた。
 いつのの両手をいつきとさゆりが掴み、さゆりが妖力を送り込みながら、いつきが願っていた。

『戻って。戻ってきて! いつの様!!』

 そして、いつのは決心したようで、ふたりに最期の言葉を残す。それはいつのの最期の、とても強い想いだった。

「さゆり。あなた、いつきを好きだったわね。」
「えっ。それはもう、学生の頃の話ですよ? 今は、長としてそれどころでは……」
「いいの、長の仕事はそのままで、その合間に、いつきと一緒にのぞみを育てて。」
「そんなの、いつの様の仕事でしょ? 全う<まっとう>してくださいよ!! 今更、あの頃の恋心なんて……」
「それでいいのよさゆり。あなたなら、いつきと仲良くやれると思ってるから。お願い。」
「いつの様……」

 消えかかりながらも、声を振り絞って出すいつのは、最期にいつきに言づてを伝える。

「そして、いつき。ごめんね。先にいっちゃうみたい……」
「いつの……嫌だ!! 消えてほしくない!!」
「ほら、泣かないの。もう、パパでしょ?」
「それだって、泣くときは泣くんだ!」
「私たちの子供、のぞみをさゆりと一緒に育てて。お願い。」
「お、俺は……いつのと育てたい。」
「わがまま言わないの、ね。ほら、しゃんとして。うん、それでよし。」

 最後の最期まで、いつのの手はやさしくいつきの頬を流れ落ちる涙をぬぐってくれていた。急に騒がしくなったことで駆け付けたのは、さゆりだけではなく、のぞみもだった。
 その姿を見つけたいつのは、のぞみに手招きをすると、自分のところに呼ぶ。

「のぞみ?」
「どうしたの? ママ。透けちゃってるよ?」
「あぁ、これね。ママはね、お星さまからお迎えが来ちゃって、それで姿が透明になっちゃってるの。」
「ええっ。いや、ママと離れるのは。いや!」
「ごめんね。でも、もうすぐそこまで来てるのよ。だからね、ママの代わりにね、さゆりお姉さんを、お母さんと思って。」
「いやだよ。ママはママだもん!!」
「そうよね。でも、ママはもう、のそみのそばには、いられなくなっちゃうの。わかって、聞き分けのいい子でしょ?」

 母として大人になるまで見守れないいつのは、必死に涙をこらえながらのぞみを諭すように、頭を撫でる。
 のぞみも母を確かめるかのように抱き着いたまま、離れようとはしなかったが、次第に体が消え始めていく……

「あ、ママ? ママは?」

 触れることができなくなった母を探すかのように、バタバタと手探りを繰り返すのぞみに、最期の言葉が届いた……

『のぞみ。ママは見えなくなっても、いつもあなたのそばにいるから、大丈夫よ』
「ママ? ほんと?」
『えぇ。だからね。これからは、さゆりママに……』

 それからのぞみは、母の言いつけを聞くかのようにおとなしくなって、一回り大人になったようだった。そして、そばに居たさゆりにしがみつくようになっていった。

「ママが、さゆりママにって……」
「そうね。のぞみちゃん」
「のぞみ……」
「パパ。ママが……」

 三人で抱き合うようにして、涙が枯れるまで泣きつくした。


 それから数年……

 縁側でくつろぐいつきの横には、もう六歳になったのぞみの姿があった。
 いつのの消滅時こそ、ふさぎ込んだ時もあったが、さゆりが定期的に通ってくれたこともあり、心が壊れてしまうことはなかった。
 今では、あの頃のことを思い出しても、急に泣き出すことはなくなってきたが、いつきの方が泣き上戸になりつつあった。

「なぁ、いつのはこんなに美人でさ……」
「うん。そうだった……」
「……あれっ?」

 時々、のぞみと昔話をするようになっていたいつきは、あの頃を思い出し、自然と涙が出るようになっていた。

「あれ? おかしいな。涙が勝手に……はは、変だな。なぁ、のぞみ……」
「……。ママ。」
「なんだ、お前も泣いてるのか? はは。」

 のぞみのあたまを撫でながら、いつきとのぞみはあの頃とは違った暖かな涙を流した。その後、いつきとのぞみがアルバムを見ていると、さゆりが家を訪ねてきた。

「いつき~いる~」
「あ、さゆり。」
「さゆりママ~」
「のぞみ。また大きくなったねぇ~」
「えへへ」

 後から来たさゆりも一緒に縁側に座り、あの頃のアルバムを眺める。複雑な顔をするさゆりの一方で、いつきは気にしていないようだった。

「ほんとなら、ここにいつのさんが……」
「それは、もういいんだ。」
「いつきさん。」
「それに、いつのもさゆりさんにお願いしたことだし、それに……」
「それに?」
「そろそろ、呼び捨てにしてくれてもいいのに。さゆり。」
「い、いつきさん!?」

 今では、さゆりとも親しい間柄になったいつきは、ちょくちょくさゆりをドキッとさせて楽しむような間柄になっていた。
 そんな二人の間柄を、いつのも空から笑顔で眺めてくれていそうな気がするいつきだった。fin...

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