生産性のないことを取り留めもなく考える。
なんのためにこれをやっているのか?
わたしの頭の中には、それはそれはよく、この問いがもたげてくる。
ブログを書いていても、
YouTubeを撮っていても、
コラムを書いていても、
何をしていても、
なんのためにこれをやるのか?
すぐにここに立ち返り、
正確なことばと道筋を探して、作業を中断する。
本当は答えなんて分かっている。
分かっているはずなのに、
何度も何度も何度も何度も同じ問いに手と足を止め、時間をまた、費やしてしまう。
分かってる。
考えている間に行動しよう。
分かってる。
動きながら考えよう。
分かってる。分かってる。分かってる。
そう思っている時点で、本当の意味じゃ分かっちゃいない。
現実逃避をしているのか?
ただことば遊びを楽しみたいだけか?
作業がめんどくさいだけなのか?
きっとどれも当たっている。
でも、だったらやらなきゃいい、というのも違う。
だって、やらなかったら、きっとわたしは退屈で退屈で、ならば自分をどう使おうか、また、考え始めるのだから。
そして、たどり着く場所は、今と同じだ。
それも、分かってる。
何度も何度も繰り返しながら、ここまでやってきたのだから。
こんなめんどくさい思考のときは、
こうやって文章を書くに限る。
今までは出す場所がなかったけれど、
今は、ここがある。
なんの生産性もないことに、
価値を感じたっていい。
なんの意味もないことを、
じっくり味わったっていい。
そう思わないだろうか。
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