見出し画像

泣いてもいいよ 〜ペットロスになった私からのメッセージ〜


《1》時は流れて

 愛猫ハッピーが亡くなって1年半が、
もうすぐ過ぎる。

「もう」なのか、
「まだ」なのか…

心はあの時よりは、穏やかでいられる。

 日にち薬とは、よく言ったものだ
 亡くなった頃は、
その言葉すら受け入れられなかった

 時が流れたって、生き返るわけでもなく。
 そんな言葉をかけてくる人に、
嫌悪感すら抱いていた。

「そのうち、忘れられるよ。」

そう、聞こえたから。

写真を見ても、泣かずにいられるようになった。
最近は、動画も少し見られるようになってきた。

声が聴きたくて、音量を上げる。

だんだん苦しくなる。
まだ、平気では観れないよ。

聴きたい声が、画面越しでしか聴けないから。

スマホの中の写真や動画は、あの頃のままだ。

生きていたあの頃のまま、時は止まっている。
新しいものを追加することは、決してない。

今想うと、もっと撮っておけば良かったな…だ。
当時使っていたスマホはAndroidで低画質だった。

よくブレた
ピンボケした

 ふとした瞬間に魅せる仕草を収めようと、
カメラを向ける。
 撮れた写真を見て、散らかった背景に
がっかりした事もよくあった。

「また撮ればいい」と、削除してしまった。
撮れなくなる事など、その時は一ミリも思わなかった。

変顔も、ブレ顔も、散らかった背景越しも…
余す事なく、保存しておけばよかった。



《2》絶望

こんなに苦しい思いは、
今まで体験したことがなかった

それだけ「死」に直面せずに
生きてきたんだな…と、
ハッピーを亡くして改めて気が付いた

父の死よりもはるかに辛かった
お父さん、ごめん

“猫“は人間の言葉を、話すことはない

気持ちや症状を言葉で正確に
私たちに伝えることはできない


健康で天寿を全うするコばかりではない

病になり、病院で治療を受けるコが多い

治療により回復したり、
痛みや苦しみを軽減させて旅立てるコもいる

けれど、中にはそうではなく旅立つコもいる

その姿が・・・
脳裏に焼き付いて離れない

その治療の全てが受け身
私たちの決断を受け入れてくれる

これは誰の為の治療なのか、自分のエゴなのか・・・
自問自答の日々を過ごした

獣医療の知識がないながらも、あれこれ調べた。

治療法が他にあるのかもしれないと・・・
 最良というべき治療が、
もしかしたら他にあるかもしれない・・・と


命の炎を私が消すわけにはいかない


必死だった

限られた時間が迫る中で選択した手術


そしてハッピーは旅立ってしまった





《3》出口の見えない闇


術後から命尽きるまでの一週間

ハッピーはどんなに辛かっただろう
どんなに苦しい思いを “させてしまった“ んだろう


まだまだ一緒に居たかったのに…
もっと愛情を注げたはずなのに…

なんてことをしてしまったんだろう
なんて酷いことを・・・

 ハッピーのいない現実を理解していながらも、
全く受け入れられなかった。

そして深く、深い悲しみと共に
強く、強い後悔の念に苛まれる


もっと一緒に居られる “はずだった“ という念が
悲しみと後悔をより深く強くさせる。

ペットロスという出口の見えない闇へと
誘い込むのかも知れない…


ひとたび迷い込んでしまうと、
そう簡単に1人では抜け出せなくなる


暗く冷たい闇

手足に絡まる蔦

自由を奪い、思考を奪い、
僅かな光を探す気力さえ奪い去る


ペットロスに陥ったからよくわかる。

どれだけ1人で泣いただろう。
何度「時を戻して欲しい」と願っただろう。


見えない姿を探しては、
蘇る残像に苦しく泣いた。

僅か3年6ヶ月のハッピーとの日々
その半分は病と闘う日々だった。


 愛情を注ぎ切れなかった「不完全な私の心」は
宙ぶらりんで彷徨っていた。


《4》共通点でつながる友

時の解決はもちろんあった。
けれど、それだけではなかった。

私の場合はInstagramだった。

 Instagramを始めた当初は、
ハッピーの可愛さを発信したくて投稿していた。

 始めて僅か1ヶ月半後には、
「お空へ旅立った」報告へと変わった。

辛かった。

 Instagramを開けば、
かわいい猫の投稿ばかりが上がってきた。

 猫のフォロワーさんが多かったため、
それは仕方のない事だった。

 わかっているけれど、
猫を見ることが辛かったのだ。

 ハッピーもしていた仕草や日常を見るのは、
とても悲しかった。

見なければいい。

もちろんそうだ。嫌なものから離れるのが得策だ。

 だが、
 入ってくる「いいね」やコメントを無視できなくて
チェックするために一日に一度は開いていた。

それも、画面を手で隠して…

通知の欄だけ見えるようにしながらチェックした。


 それでもInstagramを辞めなかった理由は、
二つある。


 一つは、
 状況や感情を文字にすることで、
心が落ち着いてくる自分がいた。

 何に悲しみ、何に怒り、
何に思いを巡らせているのかを、ひたすら綴った。

 ハッピーへの想いを込めた、
「手紙」を投稿した事もあった。

 文字にすることで、
自分を見失わなかったのかもしれない。

 もう一つは、
フォロワーさまの優しい言葉に支えられたからだ。

 ペットロスを経験された方はもちろん、
そうでない方からも温かいコメントを頂いた。

悲しい気持ちを投稿しても、共感してくれた。
批判せず、優しいコメントで寄り添ってくれた。

 新たに悲しむ方に出会えば、
少しでも力になれば…と思い、励ました。

共に、頑張ろう!と励ました。

泣きたい時は一緒に泣こう!と励ました。

 今、振り返ってみると
励ましながら、自分自身をも励ましていた。

顔も、どこの方とも分からぬ者同士。

 ただ「猫が好き」という共通点で繋がったご縁に、励まし励まされた。

《5》悲しみを乗り越えるその前に・・・

 幾年月が流れても、今も悲しい…と、
打ち明けてくれる方もいた。

同じように、強い「後悔の念」を持っていた

「悲しみを越えられずにいる」ということ。

 深い深い悲しみに堕ちた時、
そこから出たいと苦しむ。

それを乗り越えなければと、もがき苦しむ。

 笑顔と涙を繰り返し
気づいたことが一つある

悲しみは
「乗り越えよう」とするよりも
「受け入れる」方が先なんだと。

ずっと私は
「乗り越えて」から
「受け入れる」と思っていた

そうではないと、気がついた。

悲しむのは、「亡くなった」事を認める感情。

 悲しみを認めて、
 その感情のままの自分を許して、
それでいいんだと受け入れる。

 それを何度となく繰り返し
乗り越えていけるんだと、気がついた。

《6》言葉の魔法

 簡単に立ち直れないからこそ、
寄り添ってくれる言葉がとても支えになるのです。

同じ悲しい気持ちを持つ方の言葉
同じ愛する気持ちを持つ方の言葉

「泣いてもいいんだよ。悲しんでもいいんだよ」
 悲しみは溜めるのではなく、
流すことを教えてくれた。


「ハッピーは今でもそばにいるからね。
見守っているよ」
 見えなくなっても寄り添ってるよと、
教えてくれた。


「ゆっくりでいいよ。慌てなくていいよ」
早く忘れようと、無理をする私を気遣ってくれた。

 私を心配してくれるフォロワーさまが
こんなにも温かい言葉をかけてくれた

 ハッピー同様に姿は見えないけれど、
寄り添い励ましてくれた事がどれほど心強かったか・・・

「言葉の力」がどんなに大きかったことか。

 悲しくて涙が出る時もまだあるけれど、
悲しみを知ったからこそ、わかったこと。

そんな私が、今できること。

 それは、
 ペットロスの闇の中の人に、
小さな光を届けること。

 同じように悲しみにいる方を、
私が私の言葉で支える番。

そう思い、この記事を書きました。

大好きなハッピー

《7》メッセージ

〜悲しみの中のあなたへ〜

 悲しみの感情があるうちは
悲しんでいいんだよ。

それでいいんだよ。

 無理に笑顔を作るより
泣いていいんだよ。

 そのあとは必ず、
自然な笑顔になれるから!

 大切なコを亡くした私たちは
時に笑って、時に泣いて・・・

 語る想い出を聞いてもらう事で
ゆっくりと悲しみは癒されていくんだよ

 そうやって私は、
絡まる蔦を切ってゆっくり立ち上がれた

このペットロスの闇から出るために・・・


だから私は、今でも時に泣きます。

そして・・・

笑ってハッピーとの想い出を綴ります。


『悲しむ時間にタイムリミットも、

受け入れる日にちに期限もありません!

 焦らずしっかり悲しむことで
少しずつ心が整理されていきます

 しっかり泣くことで
溢れる感情は流れていきます

 そんな時はきっと、お空のコはそばに来て
寄り添ってくれているはず。

 全ての感情を見せるあなたを、
理解し、優しく見守ってくれています。

それでいいんです

だからゆっくり、一緒に乗り越えよ!

必ず乗り越えられるから!!』

                                     おわり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?