「欲望」

授業で提出したミケランジェロ・アントニオーニの「欲望」という映画の感想文です。



まず、物語が始まるまでの説明に30分かけ、広場で男女を見かけたのでこっそり写真を撮るというだけのことにたくさんのカットを使い、しつこいくらい長々と描写する、そこから感じるのはこの時代の、またこの監督の作品に許された“ゆとり”である。
そんなゆとりのある時間の中でも、車を見送る女たちからパンして運転手を映しそのまま車が発進するシーンなどは見応えがあり、恐らくカメラマンをボンネットに乗せて撮ったのであろうと考えるとアントニオーニの画に対するこだわりが伺える。また、go awayの看板が風に煽られて車から落ち、その直後に別の車に轢かれる、このショットは偶然ではあろうものの素晴らしく、この作品において意図的に破壊されたストーリーに依らない、魅力の一つである。

男が問題の写真を他が激しいのでこんな長閑な写真も効果的であると説明し、“peaceful”だと表現するシーンは、ここから徐々に物語が不穏になっていくことを予感させる。

この作品に一貫してあるのがデッドパン的なシュールギャグで、例えば椅子の下に電話がある意味もないし、ベルを何度か聞いたあと急に機敏になって這って部屋中を探す意味もないのだが、そういうことを作品中にちりばめることである種のポップさを演出し、シリアスな空気とのバランスを取っているように感じられる。


フィルムを取り返しに来た女が、タバコをゆっくりと吸えたのなんだのという男の遊びに一通り付き合ったあとで言うWhy don't you say what do you want?というセリフが、単に何が欲しいの?と訳されているのには若干の不満がある。
このセリフは、焦らすばかりでフィルムを返す代わりの要求を男が一向に言おうとしないことが彼女を不安にさせている、という描写だからだ。

脱いだ服の上に男が投げたフィルムにズームアップするショットは説明的すぎる気もする。


やはり特筆すべきなのはこの映画で最も優れたシーンであるラストシーンだ。
男がエアテニスをする若者たちに付き合わされ
ボールを取りに行き、投げる。そこで若者たちにカットが切り替わるかと思いきやそうではなく、そのまま男顔が長回しで映され、次第にボールを打つ音が聞こえてくる。
これとリンクするのが、女が男に指示された通りゆっくりとした動きでタバコを吸い、またゆっくりと男へ手渡す、男の肩舐めのショットで男の笑い声が入ったかと思えば、切り返すと男は真顔であるシーンだ。
現実と虚構の境を曖昧にするような意味深なシーンを残したまま、今までの話が一体なんだったのかを観客に掴ませないですっと終わらせる、それがこの作品の美学なのだと思う。

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