バイトの徳 #2-人は見た目じゃない。 2024.8.29thu

今日は朝から大風がやってきました。
数十年に一度の勢力を、とニュースにあったので、ライトを充電し、お風呂に水をため、飲み水も少し確保して準備をしました。
お隣、出水のコンビニや24時間スーパーも臨時休業の中、私は昨日の深夜まで通常通りバイトをしていました。

朝方、台風が近づくと一気に強くなりました。
古い団地の我が家の窓は、台風ではなくとも少し強い風の日も窓がガタガタと揺れますが、流石に今日は今までに聞いたことのない音が鳴っていました。
海風の吹く時は、私の自宅の棟と海の間にもう1棟あるので、直接の風はあたらず比較的風も強くはないのですが、山風に変わり、山から降りてくる風の時はベランダ側に直に風が当たるため衝撃も強くなります。
でも二度寝したら風も止んでいたので、そこまでひどくなかったんだろうとホッとしました。

ところで今回の台風10号。
私は台風の名前を調べるのが好きなのですが、台風10号の名前「サンサン(Shanshan/珊珊)」というそうです。
香港が提案した名称で、少女の名前が由来です。
おっかない割にいつもちょっとチャーミングな名前なところがツボでしょうか。

外見によらず、チャーミングなわけです。
では、人も、外見だけが全て、なのでしょうか?

外見が全てじゃない、なんて形式的なことは簡単に言えるし、そうでありたい、それが正とされるのが世の中でしょう。
でも実際は外見で判断されることなんて山ほどあるし、理不尽だと思っていても、人は自分でも気づかないところで外見で判断しています。
先入観は誰にでもあるものです。だから簡単に言えはするものの、その先入観なしに誰か、何かを見ることなんて不可能に近いと思います。

どんなに悪い人相をしていても、実際話したらすごく優しかった、理由を聞いたら自分の勝手な先入観に気付かされてハッとした。
なんてことも珍しくはない体験だと思います。

実際、私には地元にイナヤン(田舎のヤンキー)と呼ぶにふさわしい、ヤンキーの友人がいます。知らない人であれば話すこともまずないだろうと思います。
だけど私は小学生の頃からの友人です。
小学生の頃はもちろんヤンキーではありませんでした。なんなら朝から授業が始まる前の休み時間、クラスのみんなで学校周辺の地域のゴミ拾いをしていましたが、彼は毎日欠かさず、そして誰よりも朝早くに登校して率先してゴミ拾いをしていました。私は朝がとにかく苦手でいつも登校するのはチャイムがなる前。参加できない日も多かったのですが、彼は休むことなくゴミを拾い続けていました。

その結果、中学校に上がった頃、市だったか県だったか、何かの機会に私たちのクラスはゴミ拾い活動で表彰されました。私たち、というより彼の活動あってのものでした。
その後、大人になってもやっぱりヤンキーチックなのですが、車屋になった彼は、まだ熊本にいた頃はいつも私の車の面倒を見てくれ、気遣って手を入れてくれると大体やっぱりヤンキー仕様になるわけですが…(笑)とても優しいやつなんです。
バイクの事故に遭った後もバイクの処分をしてくれていました。
処分を頼んだものの、、、やっぱりまだ乗りたい…と思って彼にバイクのことを尋ねたら…自分で修理して売った。というところはいいのですが、バイクの写真を見せてもらったらまさかの真っピンク。。。そのセンスに声が出ませんでした。笑

でもヤンキーは情に熱いんです。
または仲間との情を大事にします。
中にはぐれたままの人もいるでしょうが、私の知っている彼はとても良い奴です。

そんな人の見た目について、高校の時に1年半お世話になったバイト先で考える出来事がありました。

最初にしたバイト先がどうも合わず、色々とあって1ヶ月も持ちませんでした。
その次に、見つけたのがあるラーメン屋さんのバイトです。

求人案内には、16歳〜、17〜21時、定休日…など募集要項が載っていましたが、私はまだ10月の誕生日が来ていないので実質15歳。
まあ歳で言うなら同じ歳だし、受けてみるか!と電話をしました。
数日後、面接を受けたら、その場で合格。
早速いつから働けるか、という話になって、働き始めました。

そこのラーメン屋さんは、通っていた高校と、両親の働く事務所の間にありました。事務所はもうとっくの昔になくなりましたが、そのラーメン屋さんは今は昼だけ開けているようです。
昨日久々に行ってみようと思ったら定休日で残念でしたが、今度行ってみようと思います。

学校が終わり、部活もしていなかったので、まっすぐ親の仕事場へ帰り、着替えてそのままバイトへ行く。という日々でした。
いっときして、突然学力のためにと補講授業が7時限目に行われるようになりました。しかしそれではバイトに間に合わない…と焦りましたが、16時半に学校が終わり、飛び出して、自転車を猛ダッシュで漕ぎ、一瞬で着替え、飛び出てバイトへ。17時に滑り込みセーフ、なんて日が週に1回必ずありました。
そもそも学業を優先しろよ、という話なので、まあ話を戻しましょう。

店内は、カウンター席のみ。
私も小さい頃は母に何度も連れて行ってもらった店ですが、とにかく人気店で人が多かったのを覚えています。
昼に行っても、カウンター席の後ろから店の外まで人が並んでいました。
席数も多くはなく10数席くらいだったでしょうか。
のれんをくぐって店内へ入ると、カウンターのすぐ奥の厨房で店主がラーメンを作っていました。
手前にラーメンのスープが入った大きな寸胴鍋が2つ、L時の角をはさんで麺を茹でるための釜、その奥にどんぶりを並べ、できたラーメンにトッピングし、なみなみのスープがこぼれないように銀の受け皿に乗せ、カウンター越しにお客さんへ提供します。

バイトの仕事は、スープが注がれ、麺が入り、店長の”よし”の合図で、小ネギ、キクラゲ、ゆで卵のスライスをのせたら、最後に店長がチャーシューを乗せます。完成したら、店長が銀の受け皿に乗せ、店長周辺の人へは店長が、離れた席の人へはバイトの私たちが運びます。
バイトは二人おり、一人が席へ案内し、水を出して、トッピングやバッシングをし、もう一人が皿洗いでした。
と言っても小さな店なので臨機応変にどっちも動いていました。

メニューはいたってシンプルで、ラーメン、ワンタンメン、ワンタン、の3種類のみ。
ご飯はなく、おにぎりのみで、あとは瓶ビール、焼酎、日本酒があり、メニューはカウンター後ろに札がかかっているだけでした。
大将がおじいちゃん、おばあちゃん、店長にその息子の親子3人で経営していました。
昼間はおじいちゃん、おばあちゃんが裏でおにぎりをつくったり、ワンタンを包んだり、裏方の準備作業。夕方、一緒の時間にラーメンを作るのは店長でした。

実を言うと、私は豚骨ラーメンがあまり得意ではなかったのですが、博多ベースのコッテリしていない、あっさりとしてさらさらのスープのここのラーメンを食べて豚骨ラーメンが好きになりました。

バイトの終わりには、いつもお疲れさん、とパンやおにぎり、時々ラーメンを食べさせてくれたり、ワンタンやチャーシューなど、帰りには必ず何か持たせてくれました。
盆や正月も、いつも頑張ってくれて…とお中元やお年玉に5千円、給料とは別に包んでくれましたが、仕事場、というよりも、自分のじいちゃん、ばあちゃんのように優しくしてくれ、なんの不満もなく日々働きました。

そこに来る常連さんたちの話です。
小さなそのお店には、ファンがたくさんいました。
お客さんも、味や店の雰囲気が気に入ると何度も来てくれるようになり、顔馴染みになっていきます。
大抵の店は、商品もでしょうが、その人たちが好きで固定客になっていくことが大半です。
そこはラーメンが美味しいと人気だったので、若干無愛想な店長のファンというより、ラーメンのファンが多い店でした。

大体顔を覚えると、メニューも聞かずに確認だけして作り出します。
たまに接客業を、コンビニのようにレジを打つだけ、業務をするだけだと思っている人がいますが、接客業の重要な部分は、まずはお客さん本人、相手の好み、などを覚えていくことだと思っています。

自分のことを覚えてくれている、ことに嫌な思いをする人はいますか?

むしろ覚えてくれると、仲良いっというわけでなくても、ちょっと嬉しくなりませんか?

注文する手間も省けるけど、それを起点に話すようになり、単純にその場が楽しくもありますが、仕事でいうなら、そこからニーズを知ることもできるし、別の好みそうなものを教えることもできる。逆にお客さんも新しいものに触れるきっかけができます。

なんでもやってみる、働いてみる、ことはいいことですが、できればコンビニよりもコミュニケーションが必要な接客業は勉強することも多いのでおすすめです。でも気になったらまずはなんでもやってみることでしょう。

ポイントは楽ということだけでは選ばないこと。本当にやってみたいこと、好きなこと、を選ぶこと。

楽=楽しいは同じ文字ですが、体験すると全く違う意味だということに気づきます。そして大変なことはたくさんありますが、本当の意味でのやり甲斐、楽しさを知っていきます。精神的苦痛になることは、必要な苦労ではないので、そういう仕事はすぐにやめましょう。ただのストレスと、成すための苦労の違いもやってみればわかります。

そうしていると、そのラーメン屋さんにも何度も顔を見かける常連さんがいることに気づきました。
でも。。。
ちょっと強面です。
見た目で判断していけない、なんて小さな頃から教わっていますが、みるからにヤクザ屋さんでした。暴力団なんていうと、響きからよくないのでヤクザ屋さんと言うことにしてみます。

常連の中に何人かいました。
組の親分さんと一緒にくる子分さん、ダボシャツの隙間から体に模様が見える人、お酒を飲むととにかく陽気でグラスを受け取る手の先から桜の花が咲いている人。小指が…

他のお客さんから注文を取る時より、ほんのすこし、でも無意識に自分の中でキュッと気が引きし締まります。
でも話すと大抵気さくな人か無愛想な人か、職業がヤクザ屋さんだからというわけでもありません。
当然ですよね。おっかない野生の猛獣相手にしてるわけではなくて、相手もただの人間ですから。

その中で一人、時々一人できたり、親分さんと一緒にくる人がいました。
いつも黒のシャツに黒のスーツを着て、髪は短髪で必ず固めてセットをしていて。怖そうというより、きっちり身なりを整えていて、お店に来ると挨拶をされます。
注文も確認するとハキハキと答えられ、"お願いします"と必ず最後に言っていました。
注文のラーメンを持っていき、カウンターに差し出すと、また必ず"ありがとうございます"と行って受けとり、食べ出すのです。
無言で食べ終わったらカウンターに器を乗せ、"ごちそうさまでした"と言い、食べた時に飛んだスープをテーブルだけではなく、カウンターの壁の部分まで拭いて帰っていきます。

時々ニコッと"ごちそうさまでした"と言われると、なぜか私が嬉しくなって"ありがとうございました"と返していました。
こう言う嬉しさも、相手から連鎖するものなんですね。
とても好きなお客さんでした。

一方で、夕方自転車でやってきて、カウンターの必ず一番奥の席に座るサラリーマン的なお客さんがいました。
ポロシャツ姿のラフな格好で、普通の会社員という印象です。
ラーメン屋さんですから、そんなに愛嬌のいい人なんで来るわけでもなく、その人もラーメンを頼んだら、一気に食べ干し、すぐに帰るお客さんでした。
しかし。
配膳から後片付けまでが私たちの仕事です。
だから片付けていくことまで願ってはいません。。
しかし。。。
帰った後で食べ散らかしたようなところを見かけてしまうと、なんとなくちょっとショックだったりします。
使ったティッシュが机のあっちこっちに散らばっていて、スープも机や壁に飛び散らかっている。
ん〜。。。
それを片付けるのが仕事ですが、なんだかなと思いました。

その二人の所作を見て思いました。
見た目ってなんだろう。。。
見た目で判断するって、大事な部分を見落としてしまったり、誤解をしたままのになってしまうような気がしました。

私にとって前者が圧倒的に、気持ちよく仕事をできるわけです。
後者は普通なのかもしれないけど、仕事は仕事ですが、何かが腑に落ちません。

でもヤクザ屋さんが皆そんな人かというとそうではありません。
そして、サラリーマンも同じです。

〜だから、真面目なわけではなく、
〜だから、不真面目なんてこともありません。
その属性だけで見ることは危険です。

人は世の中で生きていく中で、さまざまにカテゴライズされていきます。
カテゴライズが先にあって、そこに当てはめていくのではなく、自分が何者か、何を行うか、考えていった先、考えなくても何かの先にカテゴライズがあるものと思います。

人は、"見た目"で無意識にカテゴライズを行い、簡単に良し悪しで分けることがあるでしょう。
今回の場合は極端ですが、ヤクザ屋さん→世間体で悪、サラリーマン→善、善と言わずとも普通の人と分けられないでしょうか。

高校の時の嫌いだった同級生の振る舞いに理由があったように、"理由"と言わなくとも、その人たちの素性があります。

災害現場でずっと肉体労働で支援を続け、別の場所で災害が起きたら真っ先にまた駆けつけ肉体労働で支援をする。
誰よりも影で支援をしてくれた人たちは、元ヤクザ屋さんのグループでした。その職業を肯定したいわけではありません。
だけどもある復興イベントでも、そのメンバーが嬉しそうに会場で過ごしたり、被災者との関係をみていると、見た目で判断してしまう世の中がバカらしく思えてしまいました。

確かに人は見た目で判断してしまいます。
無意識のうちに人はそんな目を持っているものです。
確かに見た目通り、と言いたくなることもあります。
見た目も考えも近しいと、親近感も、気が合うことも多いかもしれません。
でもなんとなく世界や視野を狭めてしまっているような気がします。

知らないものに触れた時、自分のなかに新しい思考が生まれる時があります。価値観も変わります。
国をでればもっとです。思考が広がるだけでなく、形も変わっていきます。
それを柔軟になるというのでしょう。

私は高校生の時、ここのワンタンメンが大好きでした。
でもそれ以上に、人は見た目では何にも判断できないということ。
まずは中身を知ることを教わりました。
当たり前のようでいて、当たり前ができなかったり、当たり前でもなかったり。
授業をぼーっと聞いてテストの点で得するより、働いてみたら人として考え方の徳をした気がしました。

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