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人とお日さま 2024.7.20 sat

いよいよ夏だ。
朝も早くから暑さを予感させる日差しが降り注いでいる。
暑いのは苦手だけども、前に比べると夏の暑さを少し楽しめるようになった。

昨日は、朝から津奈木町の福浦へ。
住所で言うところの、津奈木町福浜にあたる。
袋湾とはまた少し違い、時間が穏やかに流れる心地のいい小さな浦がある。

そこが福浦ということを知る前、芦北フォトフェスティバルがあった頃だからもう10年以上前だろうか。イベント内で何を撮ろうかと沿岸を通ってたときに小さな入江のようになっている港町の福浦を通った時、やけに景色や海に沿った家屋の雰囲気が好きだった。それ以降、水俣を訪ね熊本へ帰るとき、年一で写真展企画があっていたつなぎ美術館へ行くとき、今は熊本や黒岩、坂本からの帰りに時間があると海浦から沿岸沿いの道を遠回りする。

昨日、福浦を訪ねたのは景色を見たいからではない。
先日、相思社で環境省との再懇談の際に話していた人を訪ねたかったからだ。少し前にその人のことを聞き、再懇談の日に紹介してもらうことになっていたが、当日はマスコミの多さで現場も慌しかったことと長時間に及ぶ懇談から疲れもあっただろうと、その日は話すことはなく終えた。
福浦は小さな町だ。黒岩より戸数は多くても、現地で数人聞いたらすぐにわかる気がした。何より、いつもはバイクで通り過ぎるだけだけど、歩いてみたい。

日が昇りきってしまう前にと思ったものの、早く行きすぎても早朝から人を訪ねるのも…と思い、無難に9時頃に現地に到着した。

町を一通り通り過ぎようとしたところに、二人見えた。
バイクを止め、少し話す。
新しくできた公民館の敷地にいた二人はバスを待っているのだという。
公民館の少し先にT字路があるのだが、そこまでが津奈木町、そこから先が芦北町で町の境になるそうだ。
バスも津奈木と芦北、両方の町から時間が決まっているわけではなく、電話で事前に予約する必要がある。
津奈木は月〜金、芦北は月〜土、で運用しており、芦北の方が少し便利で中心地は町としても津奈木より大きく買い物もする場所があり、おそらく病院も近くて芦北だとおもうのだが、その二人は芦北のバスを待っているとのことだった。ここでまず訪ねたい人のことを聞いたがわからなかった。

引き返すと、歩いている男性に尋ねた。
そうすると数件隣だという。
バイクを堤防近くの空き地に止め、近くも少し歩くことにした。
この周辺は、〜水産と看板の出ている水産会社が2件ほどある。
外には箱がつまれ生簀には水があり、人の気配を感じるあたりは会社としてもまだ動いているようだ。
男性が教えてくれた家に一人、玄関先に立っている人が見えた。
近寄っていくと見覚えのある顔で、尋ねたかった人本人であることがわかったので声をかけた。
最初、名前を知っているのはなぜだろうと不思議そうな表情だったが、挨拶をして経緯や共通の知人のことを話していたら、不安が薄らいだのか自宅で少しお話を聞かせてくれることになった。

水俣の市街地からも10kmもない距離にある。
道のりをくれば時間もかからないので近いのだけど、曲がりくねった沿岸の道路と水俣周辺とはまた違った町の雰囲気から、実際の距離より遠く感じる気がする。
福浦も水銀の影響を受け、その人も親子3代で戦ってきた人だが未だ未認定だ。再懇談の日、メディアなどへは出ない人たちが報道のカメラと同じ向きに座っており、その人は、皆の状況も何か変わるならと報道を前に今の現状を訴えていた。
その後、悪質な電話などが続き辛い思いをしているということだったが、こうした電話や手紙の主はどういう気持ちだろうかといつも不思議に思う。

自身の体も感覚障害や節々に痛みを抱え、その体で親の介護をする。
老老介護自体が、体力・精神共に蝕まれ、あまりの疲れから事件につながることも少なくはない。
大抵幼少から身体に見て分かりづらくとも影響があれば、普通に学校へ行ったり、働きに出ることにもなんらかの影響があり満足にはできない。
まして、今のご時世は70,80でも元気に働ける人もいる中で年金受給の年齢も引き上げられようとしているが、同じように皆が働けるわけでもなく、元々の病像に老いで体の自由や運動能力は下がり、負担は一層ましていく。その中で、今の国民年金だけでは誰も生活できる人はいないのではないか…

話を聞いていて、自分に何ができるのかと考えればできることはなく、報道は訴えることができるかもしれないが、私は報道とはまた役割が違う。その中で自分には何ができるのだろうか…

時折、話の中で浜の話が混じる。
身体が痛いが、潮が引けば体がウズウズして浜へ出ずにおれないのだという。
「もずきが好きでね〜もずきば塩で…それば人に配ってさるくとも好きだい」
もずき=もずく
もずくのとれる12〜3月、洋服に長靴をはいて海へ行き、肩まで浸かるくらいの浅瀬でもずくをとるのだそう。
中学を出て養殖の会社や、小鯛とりの仕事をしていたことも聞かせてくれる。そんな話をする時の目と表情が一気に活き活きする。
もう少しゆっくり聞きたいのでまた訪ねよう。
そして、私はその人と浜へ行きたい。

山の人と海の人は話し方から違う。
漁師は喋りも荒いとよく聞くが、確かに荒い。
だけど怒っているわけではなく、海ではじっくりゆっくり判断なんてしていられない、咄嗟の風や波を読む必要があるからだろうか。
結論を先に、説明は必要ならその後という。
対して黒岩のような山は、順序を追って進め、説明をして結論、という話し方をする。山は閉鎖的にも感じるが、入り込めば包まれるような安心感がある。私はまた海の人を知らない。もう少し知りたいと思う。

生活リズムは人によるところが大きいだろうし、都会ほど、日のリズムとは無縁の生活に思う。

いつも散歩をしていると日の塩梅で人の動きが見える時がある。
大抵日が昇り暑さのます10時〜15、6時は人に会うことがない。
日が昇る前から人の動きが見え出し、日が傾いてきた頃にまた動き出す。
17時から日の長い今は19時頃まで、人に出くわすことが多い。
そして家付近の家庭菜園で畑仕事をしている人とも、この時間帯によく出くわす。
日が昇る前、沈んだ後のマジックアワーは、景色にもマジックをかけるが、
近所では、人にもマジックがかかったかのように、外にででて海を眺めている人によく出くわすのがこの時間帯だ。
何をするでもなく、海を眺めている人がいる。

昨日は19時台の茂道の漁港で二人、別々に波止場に腰をかけていた。
一人は爪切りをし、もう一人はただ眺め
「そらなんですか?」と視線の先を聞くと、
「船虫ばい、小さかともほぉ」と、満ち潮で逃げてきた船虫の大群を手で払いのけるような仕草をする。
そんなことが積み重なっていくうちに顔見知りになることがある。
そしてこうしたゆっくりとした時間にふらりとあった人と話し、そんな会話の中で聞く言葉に土地の時間や暮らしが時折滲み出すようで、その温度を大事に持ち帰り何か表現したいと思うことがしばしばある。

したいことは山ほどある。
それでもできることも、進めることも微々たるものだと痛感する中で今何ができるか、すべきか順序を考える必要も思う。
その中で、今すぎにかたちにならずとも、人に会ったり、場に出向いたり、動き続けていたいと思う。

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