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2024.5.7 tue 商店街を巡る

水俣市内の商店街ではどのように動いていけるかを模索するため商店街へ向かった。

水俣市の商店街は3号線を挟み、旧3号線と呼ばれる水俣駅前の筋に、
さくら通り商栄会、桜井中央商栄会、桜井町商店会、あさひまち商店街、中央商店街、浜えびす商店会(以前は駅前商店会)
3号線を渡り、一筋入った一方通行でクネクネと波形の道路が走る初恋通り(旧:ふれあい一番街商店街)
と、全部合わせても1km 前後の広くはない地域に7つの組合がある。

まずはいきなり動き出すもよし、しかし、よくその場所を知っている人に尋ねるも一つではないかと思い、会いに行った人もいれば、何かのおりに話した人が数名いる。今回も先月のある花見の席での立ち話から、連絡をし、一度会いにいくことにした。

先に概要などを書いた案内を送り、実際動く前に状況を聞いてみたいと考えていた。しかし、こちらも動き出したばかりの模索段階で動かないことにはつかめないことが多く、そのため話す、と言うよりも、すぐに現地へ向かい動き出した方が早いということになった。
何事も、考えるより、動いた方がいい。それは間違いない。
奔放に投げやりなのではなく、人が一人できることなんていつもたかが知れている。だからといって、できないと思ったら何もできない。できることは無数にある。
自分でできる事と分量を知るため。分量に加え、できるようになりたい、やってみたい、叶えたい、逆にできないことの分量と質を見定める。
その中で、自分ができることを探していく。きっと大したことはない。
だけどそれを積み上げる、研鑽を積む、そのジリジリと耐え積むことは得意分野だ。
広げて、広げて、見定め、削ぐ。
積んで、積んで、失敗して、また積んで。
その繰り返しだ。
だから今は最初の広げて、積む最中だ。

今回、顔合わせを予定していたお店は4〜5店舗を予定した。
実際に行けたのは3店舗。

私は8年半水俣に住んでいて商店街をほとんど知らない。もちろんしょっちゅう通ってはいるけども、通り過ぎるまでに止まってしまい、この活動始めの動機でもあるが、塞ぎ込んでしまったこと。そして、どうしても便利で割安、そして敷地内に駐車場があるからと量販店、ディスカウントストアなど隣町へ行ってしまい利用することがなかった。

商店街へは11半過ぎに到着。
まず1店舗目へ向かう。
町の靴職人がいるという店へ行く。
店へ入ると早速あいさつし、紹介してもらう。
奥に入っていくと応接スペースというのか、すでに常連客と店主がゆっくり茶を飲んでいた。小さい頃、まだ今のような大型ショッピングモールがなかった頃、よく祖母と一緒に行った子飼商店街を思い出す。祖母はあっちこっちの店で店主と友達のようになり、買い物も楽しんでいたが友達に会いにいくことを楽しみにしていたようなところがあった。

店内で話しながらそのままの流れで店頭の作業場を見せていただく。
「今、修理の注文ばしよっとです」
と作業中のものを型に置き、これからする作業の簡単な説明を受ける。
使い込まれた道具や作業のしやすい手の動きに合わせた配置、年数を思わせるいい感じの風合いにそれだけでも撮った後の写真が浮かんだ。
元々の互いの信頼関係あり、そして店主の気さくな人柄があり、初対面なのに話しやすい。一人面識のないまま訪ねる、または遭遇も一つだが、元ある繋がりから繋がっていく、繋がりを広げる上では当然の方法かもしれない。しかし、相手の表情に不信感ではなく、最初から少し構えない安心の表情、頬の筋肉のいい意味での緩みが読み取れることから、それも一つ大事なことだと改めて思う。
オーダー商品なども見せていただき少しゆっくりし、すでにお昼時。
休憩を挟む。

休憩は、通りにあったトムソーヤへ。
ここも商店街では初めて行った場所だ。
お昼をとりながら案内してくれた人とも、以前から知ってはいたもの会話という会話はしたことがなく、ゆっくり話せ少し時間を過ぎてしまった。

ただここでふと話しながら思う。
今もう一つ撮影を進めていることがある。表向きにはとても強い人に見えると思う。しかし実際はいつも悩んでいて、悩んで悩んで、考えて、葛藤した末に、自分の中で覚悟を決めて言葉を発し、行動を起こしているように思う。その実際のギャップと揺れ動きながらも進む姿を横にいさせてもらい、みながら自分を見返すと反省することばかりだ。
私はその人を見て、自分がこれじゃあいかん、と反省や課題がいっぱい生まれて、やまほど学んだことに、自分で話しながら改めて気付かされてく。
それは今回に限ったことではなく、これまでの黒岩での撮影やそれ以外でもそうだ。実際相手は教えたつもりでもないだろうし、自分も何も考えてなければ何事もなく過ぎていっただろう。良くも悪くも振り返ったり、足元を見返すこと、他者への視線を自身に返して自覚していくとだ。

ゆっくりし過ぎてしまったが次のお店へ行く。
ここもやっぱりなんとなく懐かしい商店街の中にあったお店を思い出す店だ。店内では馴染みの客が近くの店で注文したちゃんぽんを食べている。
そこでも会話の後、自己紹介と一緒に持参していた今回の企画について書いた紙を渡した。

そうすると、
「あの〜昔おんなさったでしょうが、あなたみたいな、写真…?映画…?撮んなさった人が。だれやったかいね?」
というので思い当たる人の名前を数名あげていく。
「いや、あの〜人の写真ばいっぱい集めて、あがんとこで、ほっ、展示かなんかせらした人たい。。。」
「土本さん?」
「あ!!そうそう、、」
「うちん、とちゃんも写真入とったとよ、あがんしたつ?」
と聞かれるので、経緯やさらに少し細かく説明をする。
伝わったかはわからないが、その後もその人の口からは話がどんどん溢れてくる。

「沿岸でそだったばってん、関係のなか人なんておらんと。みんな影響があると。この前の慰霊式のニュースば見てがっかりしたつよ。だけん私も今勉強してみよっとたい。うちんこもね…」
と最近話題の環境大臣のニュースから自分や子供たちの暮らしてきた環境、そして体調への懸念、子供と同世代の胎児性患者さんたちとの繋がりや以前あった来客者の心ない言葉を受けた時のことなどとつとつと話してくれた。

2店舗回ったところで時間をだいぶすぎてしまった。
仕事の最中に時間を割いて付き添ってくださっていたので、そのほかに予定していたところはまた後日にし、最後に簡単な挨拶にもう1店舗むかい今回は終えた。

ここで一つ、ノートを書く時に決めていることがある。
撮影した人で許可をいただいた人は先日名前を記載したが、取材ノートでは、冒頭のように繋げてくれた人や機会の場、話を聞いた人について、動き出した今の時点では実名や店舗など詳細な名詞は明記はしないことにしている。今後も記載について、慎重に検討する必要はあるだろう。
この小さな、複雑な町故の難しさや私自身が社会派の端っこには位置しているだろうことなど、つないでくれたにも関わらず何か謂れのないことに巻き込まれないようにとの思いからだ。心配しすぎかも知れないが、誰がどう、どこがどう、とやっぱり人は他人(ヒト)が気になるものだ。
私は当初、その難しさに直面した経験から、書けばわかる人はわかるものだけども、今現時点では書かない。そして、それを安易に言わない。ということを決めている。
動いていけばどんどん変わる。それも含めて、書いていきたい。

お昼の最中、その人はそこで活動している時、自分にいくつかのルールを課した、と話してくれた。私も胸の内に、いい循環が巡るように自分ルールを作ってみた。自分が実践することで連鎖していくから、まずは自分の中に。

ルールと言っても縛るルールじゃなくて、楽しむためのルールを。

そして、これはルールではないけど、繋がり、広げつつ、でも自分の違和感、感覚は大事に。そして、いい意味で基本的に小言は聞き流す。噂話や小言に惑わされない。昨年、とにかく学んだことだ。
きっと今回のはその取り組み自体が自分の訓練でもあると思う。

早速来週は、商店街へ撮影と案内再訪問の予定。


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