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2024.6.12 wed 晴と雨

朝から無性に天気が良く、暑くなりそうだと思っていたら昼前は異様に暑くなった。
かと思ったら午後から雲が増え出し、雨が降り出した。
夕方は、程よい涼しさと、鳥や虫の鳴き声が聞こえてくる。
居心地がいい。

昨日は、作業のため日記はお休み。
今回、点数は少ないとはいえ、展示が最終目的とも思ってもいなくて、むしろそれが通過点、何かのきっかけになればというところなので、他の動きや色々とその周囲を考えたがいいようにも思う。
むしろそっちの方が本題なので、その辺の下調べも始めなくてはだ。

最初はいつも、あれやりたい、こうしたら、と沢山浮かんでくる。
好奇心で進み始めるものだから、見たものや触れたものが光って見えて、自分だったら…と先を見ながら進み始める。

ただ実際にやってみると、できることとできないことと、必要なことと不要なこと、自分の体質に合う合わない、など多様なバイアスのかかった取捨選択が必要になってくる。
必要にもなるけども、案外悩みながら動いていると自然と削がれていくことのほうが多い。だから、体験、経験、そして歩くことに尽きる。

人は年を重ねるにつれ、経験と一緒に他のものも得る。
地位やネットワークもそうだ。同時に知恵も当然得ていく。
だけど、妙な知恵をつけてしまうと、どちらに着いて、調子良く、またはうまく立ち回って媚びていく術や、そうして得た地位を盾にして動き出す。
妙と言わずとも、組織や年を重ねて地位を得ていけば当然なのかもしれない。
だけど、これが嫌いだ。
写真祭やwsなど外に出れば、権威者に媚び、そうした立ち位置の人のいうがままに作品が変わっていく。賢いのかもしれないが、それがどうにも嫌で、こうした場から離れていった。

違和感が尾を引く仕事と、寝る時間も削って、身も削ってと恐ろしく大変だけど、ものすごくやりがいのあった仕事との差を考えている。
達成感や充実感を得られた仕事は、思いの外辛い。でもその時間が最高に楽しい。

建前や媚びで仕事を得ていくのは気持ちが悪い。繋がりというものに合わせて腑に落ちないまま進めるのも同じだろう。
面白いもの同士、または、この人と仕事を…と思う人に会いにいくのは媚びではないと思う。だけども、ここぞとばかりに名のある人間に媚びていくような人間があるのも事実だ。
それはそれまでだと思うし、そうして得てしまったら、その後につながっていくにもそうした仕事だ。もちろん好きなことばかりでは生きていけないし、収入と分けて考える必要もある。

先日外を見る必要、と書いたが、それは私の仕事としてのことで、逆にここには面白い人も地の魅力的な人も多い。だからやっぱり人に向かいたいと思うのだけど。
そうした人を伝ってあらゆる人が訪れる。

おそらく真意とは違うことが伝わっていたと思うのだけど、媚びが見えるようで距離を置いていたことがあった。避けていたわけだ。自分から獲得するというより、オジサンたちの傘下の安全圏を利用して動く。
自分がそうした動き方が嫌いで、人は人で、自分は自分と思っていても、やっぱり気が引け関わらないようになっていた。
むしろ、自分が飲んでいて単純に楽しいこともあり行っていた場があるのだけど、同じようにも思われていたように思う。なんとも難しい。
同じように励み、努力し、獲得しようとするもの同士は、いい意味で争い合うライバルであり、悔しくもあり、嬉しくも思える。そんな仲間は極々少数だが各地に点在している。
仲間は心強い。だけど結局、自己の中で対峙していった結果生み出していくものと思う。歪み合う必要もなければ、特別親しくある必要もなく、その時次第じゃないだろうか。そんなことより、自分の取り組みや、写真そのもの、関係していく人と向き合う時間の方が大事だ。

ある作家は活動し始めて熊本へ拠点を移した。最近少し思うのだけど、熊本も地方ではある。でも程よく田舎で程よく人との距離感や文化活動がある。私はそんな街が好きだったから写真を撮りたいと思わなかったら出たいと思わなかった。
黒岩へ通う距離があって良かったように、仕事と分けて撮影する必要があったように、今ここで動いているものの、創作に集中し始めたら、いずれは距離の取り方を考える必要があるかもしれない。

ここ数年、いやもっとかもしれない。
活躍している写真家仲間やその他の活動をしている人、または自分が動く中で、「見せつけない」ということを学んだように思う。
先に書いたような、媚びや繋がり、立ち場も見せつけない。
そして、努力と苦労も見せない。と言いつつ、大変だなんだと書いてしまうものだけど、これから気をつけたい。でもみんな大変なんだ。
何より人は人で、自分は自分だ。卑怯な手を使うものももちろん世の中にはいるだろうけど、そうしたところが見えたら、流すか引いた方がいい。
それに抗うと結局同じことしかしない。自分で自分の首を絞めていく。

今まで出会ってきた写真家や一緒に働く中で尊敬できる人たちは、驕らない、そして、当然の努力を積み重ねている。でも見せない。
見せつけない、けれども、見せつけるのではなく、自分から発していくことは重要だ。
そうした先人を見習わなくてはと、なんかふと夕涼みに思った。

何より、仕事も、偶然の出会いや思わぬところから舞い込むことがある。
ゴリゴリしていると逆に近づきづらい。飲み会でもゴリゴリ、グイグイは圧迫されるのと同じだ。笑
でも降ってくるのも待ってても、媚びや馴れ合いで仕事をするんではなくて、一緒に働きたいと思った人と働き、自分で働きたいと思ったやり方で、自分で作っていく必要をずっと感じている。媚びや馴れ合いと、必然的に繋がった"縁"とは違う。縁は大事に。そこから何が繋がるかわからない。

偶然ふとおとづれる時がある。
しかし、偶然は必然でもある。

だから今回は、展示も適当に済ませはしないけど、その周囲の動きを考えたい。そうして繋がった人や仕事を大事にしたい。
やっぱり写真が好きだから、くだらないことに振り回されてないで、ただひたすら続けていたい。

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