雑記:「将来の夢は売店のオバチャン」

もう水俣へ越して八年半。同じ年数バイトしてるコンビニがある。
個人事業主なのに本業の稼ぎが乏しいから、忙しくなったり、急な撮影や関係する所用があると休ませてくれ、仕事がなくなると人手が足りないから多めに働かせてもらっている。
とても扱いづらいわがままなバイトだと自負するが、とてもありがたい。

今晩、レジに来た男の子が多分二十歳近い風貌だけど見たような気がした。
思わず「久しぶり!」と声をかけた。
そうしたらその子は「覚えてましたか?」と返事する。
続いて、「もういくつになった?」と聞いた。
「18になりました。熊本の高校に通ってます。」
あぁ、もう18なのか…とその子の成長に驚きつつ、同時に自分もそれだけの年数働いているのかと思った。最近こんなことが少なくない。

八年前の1月、九州では異例の大雪が降った。雪に慣れない南国ではスタッドレスタイヤを装着している車も、チェーンを積んでいることもない。だから、当然道路で立ち往生する車は続出し、公共の交通機関も身動きできなくなる。
その時も、水俣を通過するには必須の3号線は大型トラックは滑り、スーパーやコンビニの食料供給は止まり、全てが機能停止した。
そんな日がこのバイト先の出勤初日だ。
その日は、行きは長靴を履き、傘をさして、店で履く靴を手に持って出勤した。
帰りはオーナーの親戚という男性が、雪が少し溶け、ゆっくり走ればどうにかなるだろうと軽トラで送ってくれた。
初日がそんな具合で、いまだにその人とは初めて会ったあの日…という話をレジで交わすことがある。その男の子はその時期に一緒にバイトしていた二十歳前の女の子の弟だった。姉のいる店にニコニコとしながらお父さんと買い物に来ていたからよく覚えていた。

ある時、私が住んでいる袋という地域の3号線を上ると旧3号線の旧道への道に分かれている。旧道に入ってすぐ、踏切があるのだが、その踏切のすぐ先に何屋さんかはわからないが、自転車の修理や配送を受けている店がある。シャッターが閉まった店の前で、シャッター中央にある郵便受けの穴から店内を覗いて困っているようなそぶりのその男の子に遭遇した。
どうしたのか声をかけると、彼の自転車のチェーンが外れて帰れないのだという。チェーンが外れたくらいなら、と自転車を上下逆さまにして直してあげた。その後も度々お父さんと店へ来るので挨拶を交わす程度だったが、中学生にもなると、お互いに気づいても会釈程度になった。

そうしたら今晩のことだ。
久しぶりに見かけ声をかけ、少し会話のやり取りをした。
あの時の子が、こんなに大きくなって…しかも、挨拶や会釈程度だったのが、会話をするとしっかりとした口調で受け答えをする。
感動する自分がいた。

最近まで一緒に働いていた22歳の人がいた。
彼は18歳で高校卒業と同時に店の面接を受けにきた。
同じ時間に勤務が多かったこともあり、最初は人見知りでどれだけ喋りかけても困り顔での、「はい」、とか「はぁ〜」という返事しかしなかったのが、少し時間が経って慣れてきたら、もう私をおばさん扱いだ…
だけど、入社したては初々しかった彼も次第にお酒を飲むようになりタバコを吸うようになり、オジサン化していく姿になんとなく感慨深さもあった。
家も近所だったので中学生時代から見かけていたし、きっと末の弟のようにいつも一緒にいた甥と年も近かったこともあるんだろう。

そんなことはその二人に限ったことではない。
当初は中学生でいつの間にか一緒に働いたり、就職し結婚して子供と一緒にくるようになった者もいれば、両親と度々買い物に来る可愛い二人兄妹が、一人妹が増え、かと思えば赤子がいつの間にか歩き出し、兄を説教するまでに口が達者になったりもする。

八年。短いのか長いのかわからない。
地元で働くともっと近いところでの単なる気づき、地域が見えると思っていたことが、もう少し進んで他者の個々の成長や老いが見え始めてきた。
そんな時、面白いなぁと思いつつ、いまだ苦学生のような生活をして、学生バイトの子から流行りのYou Tuberを教わる自分がおかしくもあり、複雑さもある。
きっといかに食費を節約するか、海で貝を拾い、カニを餌にして魚を釣ろうとしてタダで生きていけるかもしれないと力説しているオバサンを見る学生もさぞ複雑だろう、満面の苦笑いが証明していた。笑

いつのことだっただろう。
「将来の夢」について作文を書かなければいけない時に、私は「売店のおばちゃんになりたい!」と書いたことがあった。
思い出して欲しい。
学校の売店や学食のおばちゃんには教員に話しかけるようにかしこまった敬語ではなく、もっと気さくに「あのパンある?」「今日の日替わり何?」「ありがとう!」と友達ほどではないが、もう少し気を使うか敬意を持ってと、今の自分なら言いたくなるくらい、よく言えば砕けた、悪く言えば馴れ馴れしく話した経験はないだろうか?
おばちゃんもなんだかんだ言いながら、いい加減な返事を返してくるようになる。でもいい加減なのに見守ってくれていて優しい。
そんなやり取りをしたり、やり取りはなくても同じ空間で、意図しなくても聞こえてきたり見えてしまう、友達や家族同士でのやり取りは、表面だけではわからない素の部分、本音が見え隠れしたりする。
ドラマでも理事長が売店のおばちゃんになりすまして、会話をしたり、友達同士での会話から本音を聞き出すような場面を見たことはないだろうか?
案外、"本当のところ"を知るには「売店のおばちゃん」は天職かもしれない。
そうした意味では、私の小さな頃の夢が一つ叶ったような気がした。


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