バイトの徳 #1-常識は常識じゃない。 2024.8.24sat

今年の夏も暑い。きっと毎年今年は、今年は、と言っているのだろうけどもやっぱり暑い。
そういえば先月、競船大会に行きました。
潮の満ち引きで大会の時間が変わるそうで、昨年はやたらと朝が早く、夜勤明けに通った10時にはやがて試合も終わろうとしていて、急いでカメラを持ってバイクで戻ったように記憶しています。
今年は少し遅く10時頃から、14時頃まではあってるだろう、と聞いて、カメラを持って大会当日の午後から会場へ向かいました。

大会会場は水俣川河口に近く、水俣大橋のすぐ下流で行われています。
去年は対岸から数枚取りましたが、今年は観客のいる左岸側へ行きました。
初めてです。

武道館前にいた警備員の人にバイクの駐輪場を聞き、土手のすぐ横の駐輪場へ。

水俣にもこんなに人がいたんだな…と言うほど、人が行き交い、土手の上に応援のテントがいくつも建てられていました。
そんな光景を眺めながら、全体を見渡していると、

「豊田さ〜ん」

と何やら、笑顔で手を振って近づいてくる人がいました。
驚いた…
警備や会場で白バイなどの試乗をしていた県警の中からやってきます。
でも懐かしい顔。眩しい笑顔でした。

彼は、今年33歳になり、大学卒業後、希望していた警察官へ。
昨年県警へ上がり、水俣に赴任したそうです。
33歳か。
彼が18歳の時、私は22歳でしたが、ある飲食店で一緒にバイトしていたバイト仲間でした。
実に15年ぶり。最近こういうことが増えましたが、単に歳をとっていくと、前はせいぜい4〜5年ぶり、だったのが、10年20年と桁が変わったから、感慨深いのかもしれません。

私は高校の時からずっとバイトばかりしてきました。
もう少し学業の重要さに気づいていればと思う事は今たくさんありますが、それでも彼のように学校では出会えなかった全く異なる分野、年齢、趣味の人と出会えたことは十分財産で、今に生きているので結果オーライです。

でも15年ぶりにあったとはいえ、変わっていない姿に安心しました。

なんでこんな話で始まったかと言うと、いろんなバイトをしていると、いろんな人に会い、経験もするのですが、一番学んだというのか、ハッとさせられたというのか、自分を改めたことがあります。
それは、

"常識は常識ではない"

ということでした。
特に、高校生や大学生、とりわけ初めて仕事をする人たちと働くと気づくことがあります。

再会した彼と私がバイトしていたのは、飲食店でした。
私はホールに数年いたのですが、元々学生からできるバイトは飲食業が大半だったので入社した時から経験者で要領を覚えれば応用は効く仕事でした。

彼は初めて高校を卒業してバイトをしました。部活生だったから当然でしょう。
同じように私と同じ時間帯に、ホールに高2の女子高生や大学生、キッチンに彼や同じ歳の男の子、その他に主に料理人に店長や社員がいました。
とても仲の良いメンバーで、忙しい時はちゃんと働きますが、ラストや人がいない時はいつもふざけ合っていたり、定期的に飲みへもみんなで行っていました。とても楽しかった。
今もかもしれませんが、バイト仲間といる時が一番自分らしく、楽しくいれるように思います。バイト人生で一生を終わりたいわけではないですが…

とても些細なことでした。
ある日、クレームとも言い難い、面白いクレームが入りました。
お客さんから引き止められ

「焼酎の水割りを頼んだんですが、、、多分水で割ってはあるんですが…
濃すぎて飲めなくて…」

手に持ったグラスを見たら、氷も入っておらず、本当に焼酎に水をちょっと…注いだだけのようでした。
お客さんも半分笑っていたのでいいのですが、思わずクレームにも関わらず、私も笑って、謝り、新しく作って提供しました。

その時に一緒に入っていた高2の女の子が作って持って行ったものでした。
彼女は少しおっとりで、たまに危なっかしいのですが、いつもニコニコとして、ん〜?ん、、、と"ん"で返事を使い分ける強者です。笑
でもいつも一緒に働くと楽しいのでバイト先の飲み会とは別に、よく何人かでご飯にも行きました。

その子に、そのクレームを伝えると、
"ん???????"

伝わりません。
それはそうでしょう。
焼酎の水割りなんて飲んだことがないんだから。

すごく可愛い対応でもありますが、、
焼酎を水で割ればいいという単純な発想で、間違いではありません。。。
しかし、氷を入れ、焼酎と水を入れますよね。
割っても大半焼酎が少し割合が少ないくらいでしょう。
しかし、飲んだことがないものだから、氷?割合?
と説明しても、全くわかりません。

私はこの時学びました。

私は大体飲みに行けば、ビールを飲んで、焼酎の流れはいつものことなので、水割りも自分が飲むので、何も考えることなく作ります。
でも、高校生の彼女は飲んだことがないから、知りません。

私は自分が飲むものだし、高校生の時から仕事先でそうやって作ることを教わったから、私の中ではそれは"常識"でした。

でも、見たことも飲んだことも、作ったことも、
そもそも働いたこと自体が初めての彼女にとって、
そんな"常識"は"常識ではなかった"のです。

この時に、「自分の常識って、人にとっては常識ではない」
ということが、とても勉強になりました。

"無知は罪"なんてよく聞きます。
確かに、環境省が懇談の時に制度自体もよく知らない、なんて言ったら罪ですよ。

でも普段の暮らしの中でも、自分の住んでいるところのことも案外よく知りません。地域を出ればもっとでしょう。

自分が関わっている問題は、興味があったり、必要に応じて調べたりするので人より多く知っているでしょう。
問題が変われば知らないことの方が圧倒的に多いです。

同じような事は各地で起きています。
写真活動自体が少数派ですが、国内外、各地にいる人たちも同じように悩みながら進んでいたり、その中で自分の表現を見つけた人もたくさんいます。
どう進むか、判断するか、いろんなことを知っていくと、もっと選択肢が増えるでしょう。だから視野は外へ、そしてアンテナは張っておきたい。
だけどそんなことを言っても、限界はあります。
世界は思っている以上に広く、全部を知る事は不可能です。
そして、自分の育った環境や経験から、最後まで知ることのない、触れることのない世界も多いはずです。

常識が備わっていないと非常識、と非難されることもあります。
確かに、最初に挨拶しないとか、お礼を言わないとか、非常識といより失礼なわけです。
そして、小さい頃に教わる常識はいっぱいあります。

"常識"は、国ごとの大きな範囲から、地域でのルールのような常識、家の中で当然なこと、友達同士での決まり事、、、あげるとキリがありませんが、範囲も大小、多様な層があり、いろんな"常識"がありますよね。

でも、別の国では玄関で靴を脱ぐのが常識ではありません。
宗教が違えば、朝晩、または他人の家に上がった時に最初に仏壇にお参りをすることも常識ではないでしょう。
クラスが変わったら友達ルールもまた作る必要があるかもしれません。

これもまたあげればキリがありませんが、自分の周辺での常識が他所へいったら非常識なんて事はいっぱいあります。
日本ではありませんが、お礼にチップを弾むのが常識だったりします。

無知は罪なんでしょうか?
何度も言いますが、知れば良い、という言い方が良くありませんが、知っていくことが、まず最初の一歩。
そんな場を私はずっと作りたいと思っています。

知らないことを馬鹿にしたり、蔑むような言い方はとてもセンスがありません。あなたも知らないことを馬鹿にされたら嫌でしょう?
でも私もですが、みんなも大抵そんな経験があると思います

私は、氷もなく、割れてもいない焼酎を眺めて思いました。
知らないその人を馬鹿にするより、知らないことを当然として、まず教える。
教え方が肝心なんじゃないか。

1〜10と言わず1〜100まできっちり教えることは、逆にしてはいけません。それは相手をダメにします。
もちろん手順が必要な事柄によっては別ですよ。

でも大体のやり方と、最終型を教えたら、あとはその人が自分でやってみて、失敗するなり、もっとこうしたら効率が、とその人なりの考え方で、方法を見つけれるように、あとは見守っていたい。

ある時、焼酎のクレームをもらった彼女に言われました。
ご飯のセットを大体教えたあと、ちゃんとできるだろうか…と何も言わずにみていたら、

「いつもお母さんみたいにみてますよね」

と。
母ではないのでわかりませんが、思わず笑ってしまいました。
でもそのついでいるご飯をのぞいたら、大盛りご飯の注文で、漫画で描くような綺麗な丸い大盛りご飯に固めていました。。。笑
そして案の定お客さんも失笑したわけですが、それも経験です。
失敗は恥ではありません。
いっぱい失敗して、いっぱい恥をかきましょう。
その責任を取るのが責任者の役目です。
成長するための失敗をたくさんさせてあげることが年長者の役目でもあると思っています。

年とともに、失敗ができなくなります。
単にできなくなるというより、その年で…と思われることもありますが、失敗するほど何かに打ち込める事も減ってきます。

私にはかろうじて写真があるので、まだまだ失敗します。
でも失敗とも思っていません。
やってみたかったことをやってみた。
失敗というより、じゃあ次どうしよう、となるわけですね。
だから失敗、挫折、という言葉の意味がわかりません。
わかるといえばわかるんですが。

そして不在であるが故に知らない、常識であるはずのことが常識ではないことが沢山あります。写真のことに関して言うなら、TVドキュメンタリーや報道写真だけがドキュメンタリーとされてしまうことがあります。写真表現が不在であるが故の生きづらさもあります。ドキュメンタリーと言っても、もっと表現は豊かです。
正義や義務を背負って訴えるだけがドキュメンタリーではありません。

いろんなところで働いていると、若い人たちにむかって
「そんなことも知らんのか。」
と、文句が聞こえることがあります。

私も、焼酎の水割りではないけれど、
ここもそうか…知らないのか…と、確かに思うことがいっぱいあります。

でもその時に、文句を言うよりも。
自分の教え方、態度を考えたら良いと思いました。
私は、高校生の時は要領も得ていませんでしたからそんな時にみんながフォローしてくれました。だから私もしてもらったことを次は自分がしてみたい。

私にとっての常識は、その人の常識ではありません。
知らないなら教えてあげたらいいですよね。
教えると言っても、やっぱりある程度で良いと思います。
あとはその人のやり方でやってみたらいい。
やがてそれは自分に返り、教えているつもりが、教わっていることの方が多いことに気づきます。

初めて仕事をする高校生や学生と働くと、
かえって自分の教え方、接し方を考えます。

そして常識ってなんなんや…
と最後に思います。
その時、自分が至らなかったような気がして。
でも徳を積ませてもらった。
ありがたい。
と思います。

競船大会で眩しい笑顔の彼もまた、初めての仕事で大変そうに見えたこともありました。
でも本当に。
あの時が楽しかった。

学校へ行くよりもずいぶん熱心に仕事をしてきたので、こんな仲間がたくさんいました。
今とは何かが違うし、こんなに腹の底から笑って楽しかった日々を思うと、バイトはボーナスもなく大きく得をした事はありませんが、出会えたこと自体が徳だと思っています。いい思い出です。

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