なぞの"高校どこ?"文化

これは熊本に限ったことではなく、地方一般的な話かもしれないし、出身校が基準にされることは今に始まったことではない。

小学生の頃、密かにずっと憧れ続けていたことが2つある。
それは学校までの道のりを友達と登下校をすること。もう一つは週末など休日に友達と遊ぶこと。こんなことに憧れるなんて、おかしな話だろう。
週明けの友人の話を聞くと疎外感を感じなんとなく孤独感を感じてた。
親の仕事の都合で隣町の小学校へ通っていた。約2Kmほどの距離なので歩いて行けないことはない。実際に何度か歩いて登校したものの、単に歩いて行きたいわけではなく友達と喋りながら行きたかったので、楽しいはずもなくすぐにやめた。

地元の公立中学校は、自分の住んでいる校区と小学校のある校区が一緒になる。卒業して中学校へいったら念願は叶うだと思っていた。
しかしその淡い願望は見事に消えた。
中学校は地元の中学校へ行きたいという私と、私学の中高一貫の学校の受験を望む親と意見は割れた。揉めたものの、一歩も引かない母に負け、泣く泣く受験勉強をした。受験前日、算数の食塩水の問題がわからなくて悔し涙を流しながら勉強したのは今もいい思い出だ。
一見、小学校は車で送迎してもらってたし、中高一貫の学校に入って、私の本音に贅沢だという人もいた。
子供ながらに"贅沢ってなんなんだ?"と思っていた。
その頃の私にとって、友達と過ごせる時間が贅沢だと感じていたからだ。
今思えば、そんな単純なことではなく、出自で痛い目に遭ってきたから故のことだと理解できるが、何も理解できないその頃は理不尽に感じていた。いや、今も少し感じている。
進学しても学校に馴染めなくて、何度、何十回辞めたいと思ったかわからない。いじめられたわけでも不登校になったわけでもない。でも居心地が悪くて、いられない。小さな頃から、授業中に手を上げるのも発表したり何か行動をして注目されるのが怖くて堪えるだけだった。高校や専門学校の授業中は寝過ぎたが。。。高校を辞めて通信や定時制に進もうとすら考えもした。でも我が家もゆとりのある生活をしているわけでもなく親が働いて学校へ行かせてくれていると思うと言い出しづらかった。そして編入した後、社会人になって何かあったのだろう、と色眼鏡で見られたくないと思った。これが今日の本題だ。
結果めんどくさくなって、辞めることを辞めた。
そんな葛藤をしていたら、誰とも一緒にいられなくなってしまった。飲みにいったり、たまに遊ぶ友達はいるが一緒にいるのはそんな時だけでいい。
運が良かったのは、高校に上がったらバイクの免許をとって、カメラを買ったことだ。世間からいつも疎外感を抱き続けていたが、バイクがあれば一人でどこにでも行けると思ったし、写真を撮ってれば孤独では無くなった。
写真が今でも、そして一生の付き合いになりそうなのは、自分と世間の唯一の繋ぎ目だからかもしれない。

前置きが長くなったが、バイト先や会社、何かしら遭遇するとよく聞かれる、聞いてしまうことがある。
「高校どこ?」
この質問を聞くたび熊本特有だな…といい気持ちもしないが、熊本以外に住んだことがないので他の地方も同じようなことはあるだろう。関東へ行けば大学が基準かもしれない。
年が近ければ続いて「誰々しっとる〜?」「先生誰だった〜?」など続いていったり、年が離れていても先輩・後輩ということで話が弾んだり、仕事の行末を左右することもある。縦に繋がりの濃かったり、縦横つながり自体が薄い学校もある。高校が限られた極地方は案外あまり聞かないような気もする。毎回この質問がでる度に、出たな、、、と目を細めてしまう。
一つの話題としては特に何も思わない。ただ当然高校によって偏差値が分かれ、そこから"どの程度"の人がという判断も自然となされていく。
逆にその判断を利用して権威者へ付き纏うように動き続けるものにも違和感を感じるが、社会全体がそうしたもので成り立っているのも事実だろう。そうしたものを見るを避けたくなる。
ただ、ずっと勉強し続けて目標の学校へ入れば誇りになるだろうし、破れたとしてもそこで新しく何かを発見しその後につながっていくこともある。当たり障りなく行ける学校へ進んだ人もおれば、グレてどうにか入学した人もいる。高校へは行かず少し早く社会に出たものもいれば、いじめにあったり何かしら問題や家の事情でやめたり、行かないものもいる。私はそのままじっと耐えれば高校へ上がれたので上がったというだけの理由だ。だから自分で選んだ専門学校へ通った時、単に"学校"ということや興味のある分野を勉強することが楽しいと初めて思った。
理由や選択はその人が決めればそれでいいし、決められた、決めざるを得なかった、それすらもさまざまだ。そんなことはどうでもいい。

こんなことを最近ふと考えたのは、ある仕事でのことだった。
写真という分野にいながら、同じ分野も類似分野も知り合いが少ない。何かを相談しようとも、依頼しようとも仲間もほとんどいない。多少話せる人がいれば普段は不自由はしないし、作りたい思うこともないが、必要を強いられた時に困る。
最近その必要があり、候補を教えてもらうことになった。それ自体非常にありがたいことだ。だけど気になったのは、一覧の説明にこの高校の出身校で説明がなされていたことだ。熊本だ…と思った。
その業種に関係する経歴は、特色や趣味思考にも関係するかもしれないのでわからないでもない。ただ関係のない高校はなんの判断基準にもならない。ポートフォリオのようなものはなく、それまでの仕事で判断することはほぼ不可能だった。絶句した。仕事というよりその文面から読み取れる推奨を読み取り選択する他なかった。それまで仕事はしているだろうから"アチラ側"で信頼はあったにせよ、ここに地方沼を見た。

私がこの"高校どこ?"に反応するのは過去の出来事がある。
仕事で会う人間は、地域も年も全てが違って一緒なことが稀だ。同じようにこの質問が出た時、ある人は肩を窄めながら「〜高校です…」と気まずそうに言った。これは偏見でしかないが、私たち世代でもその高校名を聞くと、単に私服登校の自由さを求めたり、限られた中で選択した人もいるが、いじめ、不登校、何かしら問題がったと想像することが多い。
私はこうなるのが嫌で辞めると言えなかった。想像していた自体を目の前にしてとても複雑な気持ちになった。
社会に出て、会社に入ったり、手に職を持ったり、もっと選択の自由がある中で、そんなことが判断基準の一つになってしまう。なんとも馬鹿らしい話だ。確かに、仕事の実績、腕、センス…で仕事を得てきたとするならもっと、出身校ではなく仕事で判断すべきで、説明されるべきだった。
最近、地方沼、地域性にやり場のない虚しさを感じ続けているので、さらに引っかかったのだろう。虚しかった。
しかし同時に、肩を窄める自分が想像できて辞めるのを辞めた結果得たのは、自分は違う、と逃避してそちらへ行くような卑怯さではないだろうか…
最後の晩餐で一人だけよそを向き、結果的に裏切るユダのようなものだろう。
他者への憎悪は、自身への憎悪。
写真の先に見るものへの視線は、結局自分自身を見ることの視線と同じことだ。他者を見て、自身へ還る。
思い当たることは数多い。

ただ、今のご時世、学校のような組織が合わなければフリースクールや通信制、大検など手段が増えた。そして、地方やこの極地方でも少しずつではあるが学校へ行かないという選択肢ではなく、自分にあった学校、勉強の仕方を選んでいる人に会うことが増えた。
私はその選択をできなかったし、今でもできないかもしれない。羨ましく思う。でもその分、写真がある。
どんな形であれ、多様に交わらずとも、ごく小さな個人というものであっても、何か物やことを通してでも、世の中に居場所があるっていいもんだ。


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