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よっちゃんと母さんとクロ(猫との正しい距離感とは) 猫日記19日目

先週の土曜日の話。梅雨の晴れ間に気温はぐんぐん上がる。暑くなると、よっちゃんたちは、コンクリートやマンホールの上で寝そべることが多くなる。地熱が暑いので少しでも体を冷やせる場所を本能的に探しているのだろう。


そりゃあ暑いよね。あんな毛皮を一年中着ているんだから。

最近はよっちゃんが俺の足元でゴロゴロするから、母さんや黒が、真似してやってきて甘えるようになった。昔は餌だけ食べると、すぐ警戒して離れて行ったんだが。地域猫が餌をもらうことに長けていくことは、生きていくための本能とでも言うべきで、猫が、人間を「何を与えてくれる存在か」という価値観で認識することは正しい。

だから餌をもらう前は、みゃあみゃあ鳴いて、食べ終わったらスタスタと去っていくネコを勝手者とか薄情者とかは、絶対思わないようにしている。地域猫は飼い慣らされ過ぎてはいけない。もっともっと自由で有って欲しいし、人間も何か見返り(癒し)が欲しくて餌を与えてはいけないと思う。ギブアンドテイクではない。一方通行のギブアンドギブである方が人間も楽である。

だから、よっちゃんが機嫌が良い日に、餌をあげたあと、少し長めに話が出来たり、足元や膝の上でいつまでも甘えてくれる日は、おまけみたいなものだと思っている。私がまったりと公園で小説を読んでいる日の方が、よっちゃんたちが長く横にいて甘えてくるのは、私の心に余裕があるからだと思う。私のまったりとした雰囲気が、お互いの善き距離感なのを、猫も肌で感じているのかもしれない。猫には素肌があまりないが。
ペロペロ舐め合う二匹↓


見返りを求めず、ただ与えることの喜び、空気みたいな関係、距離感、これは猫にも人にも大切なことだと感じる週末の午後だった。何かをしなければならないという目的も無く、ただただ、のんびりと、時間がゆっくり流れていき、公園で長い小説を読み終えることが出来た。本の内容は猫とのひとときとは真逆のサイコパスの物語ではあったが。その話はまた別の機会に書こうと思う。伊坂幸太郎の本。「死神の浮力」おもしろい。

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