見出し画像

全てがSo Hamだと知った朝

2024年2月4日

『全てはSo Ham.である。』

So Hamとは
インド哲学の原点にあるウパニシャド聖典を典拠とする
マントラ(真言)のひとつです。

ヨガをされる方はご存じかも知れません。
この真言を唱えながらする瞑想を
ヨガの先生に教わったことが
私とSo Hamとの出逢いのきっかけでした。

So Hamの意味は、「私はそれ(彼)である」

”私”だと思い込んでいるこの身体や心は
”それ(彼)”がつくったものであり、
「本当の私」は”それ(彼)”そのものである、という考え方です


そして、
ある朝のSo Ham瞑想、しーっかり呼吸した後、
私が目の前に現す世界、全てはSo Hamである。

そう知ったのです。

手に取るモノ、
今いるお部屋、
一緒にいてくれる人たち、
 (私の場合、家族とか学びの仲間とか)
目の前に広がる景色…
全てが、So Ham.
つまり、「私がそれ(彼)である」訳です。

今日の夕食もSo Hamです。

どういうことか?と言うと

その日、園芸屋さんで、ふと目に入り、
お庭にお迎えしたいなと手に取った苗がありました。

全てが、So Hamであると言うことは…つまり、
全てにおいて、「私がそれ(彼)である」訳です。

その感覚で見てみると
このヘリクリサムの小さな苗も、私です。

は?
ですよね。

でも…
私が、園芸屋さんでヘリクリサムの小さな葉っぱを見て、
「好きだな」「手に取りたいな」
「お庭で成長を見ていたいな」と感じて、
欲しいと思いました。
そして、それを自宅のお庭にお迎えしたら、
自宅のお庭には、この苗が仲間入りしてくれます。

私の「好き」が集まり、
日常生活、目に見える景色に、
ヘリクリサムが加わってくれます。

私の選んだモノが集結して、
私の目の前の世界ができあがってゆきます。

私の「好きだな」「一緒にいたいな」の感覚が
私の選んだモノに入り込んでいるのです。
それは、単にモノじゃなくても、
人だって、空間だって、今夜の食事だって、
そうなのです。

そう思うと、本当に、
目の前に私が広げた世界は
So Ham歳か思えなくなってしまいます。

”私”だと思い込んでいるこの身体や心は
”それ(彼)”がつくったものであり、
「本当の私」は”それ(彼)”そのものである

私はそれ(彼)であり、
あなたの世界では、あなたがそれ(彼)です。
つまり、それ(彼)は、
あなたにとっても、私にとってもそれ(彼)であり、
大いなる一、とか、源とか呼ばれるのでしょう。

この感覚は、忘れてしまうけれど、
(なぜなら、忘れて人間としてこの世に来たから)
時々想い出させてくれますね。

忘れてもいい。また想い出せるから。
想い出せないときには、想い出せなくてもいい。
なぜなら、
忘れて人間としてこの世に来たんだから。

忘れているときは、忘れていると気づけないものです。
だって、忘れているんだもの。

もし、
ちょ~っとしんどいなぁ、
な~んかうまくいかないなぁ、
なんて言うときは、忘れているときかも知れません。
そう気づけたあなたは、
もう既に、気づけていますね!

想い出したかったら、
その方法はとっても身近にあります。
そう、私が、そうして想い出したように。

何よりも「呼吸」です。
「呼吸」が想い出す扉の鍵であり、
その先の道に繋いでくれるです。

気がついたらやってみよう!
私たちの何よりも身近で神秘な味方、呼吸~。

またSo Hamな日常を綴ってみます。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

Remember to Remember.



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?