ある散文の話

※長い上に駄文です。読んでから「時間を返せ」等のクレームは現在受け付けておりません。

今日Twitterを見ていてある散文を見つけました。

「復讐をしてもしなくても 大切な人は帰ってこないので 復讐した方がスッキリするんじゃないかな」

元ネタはキアヌ・リーブスのTwitterネタみたいなんですけど(詳しくは調べていません)

面白かったのはその散文を載せたツイートに付いていたリプが

 ×「帰ってこないので」
 ○「帰ってこないけど」

「接続助詞が「ので」ならば「ので」以下の文は復讐することに対して否定的意味を持つ文でなければ日本語的に不自然ではないか」という指摘があったことでした。

① 復讐をしてもしなくても 大切な人は帰ってこないので 復讐した方がスッキリするんじゃないかな

② 復讐をしてもしなくても 大切な人は帰ってこないけど 復讐した方がスッキリするんじゃないかな

みなさんはこのニュアンスの違いをどう感じますか?

興味深いのは「ので」は順接の接続助詞、「けど」は逆接の接続助詞で本来両者は反対の働きをするのにこの文では両者の働き分けを説明するのが難しいということです。

以下僕なりに考えてみました。

例えば

【順接】
「英語が好きなので 海外で働く」
「英語が好きじゃないので 海外で働かない」

【逆接】
「英語が好きだけど 海外で働かない」
「英語が好きじゃないけど 海外で働く」

これが順接または逆接の接続助詞が正しく機能している文ですね。
逆接の場合は接続助詞より前の文を打ち消す文章がくるわけです。

元の文章が以下の形であれば自然なわけですね。

「復讐をしても 大切な人は帰ってこないけど 復讐をした方がスッキリするんじゃないかな」

この場合であれば前半の「復讐をしても大切な人が帰ってこない」という否定文に対して打ち消す内容の「復讐した方がスッキリする」=「復讐に肯定的である」が使えるわけですね。

この場合は順接の「ので」を使うと不自然な文章になります。

最初に述べたリプの指摘がこのことについて言及していると思われます。

ややこしくしてるのは
「復讐をしてもしなくても」という表現だからだと思います。

「ので」を使った場合、この文の主旨は「大切な人が帰ってこない」ではなく、「復讐してもしなくても結果が変わらない」というポイントだと推察します。

加えて「けど」を使っている文章に比べて「亡くなった人は生き返らない」ということをより当然の事実として読み手に提示している印象があります。

噛み砕くと、「復讐をしてもしなくても(大切な人が帰ってこないという)事実は変わらない。(いっそのこと)復讐したほうがスッキリするんじゃないかな」といったニュアンスではないでしょうか。

翻って「けど」の場合の主旨は恐らく「大切な人は帰ってこない」という部分だと思われます。

なのでこの否定的な文に対して逆接の「けど」を使うことによって「大切な人は帰ってこないけど、復讐した方がスッキリするんじゃないかな」という逆接として至極真っ当な文章になると言えるのではないでしょうか。

つまるところ「ので」と「けど」のどちらを使っても間違いではなく、両者の違いは「日本語としてのおかしみ」にあると思います。要するにジョーク的要素のあるなしです。

「ので」を使っている元の文章の主旨が「復讐をしてもしなくても結果が変わらないこと」であると仮定するならば、変わらないならばいっそのことスッキリするほうを選んだら?というややサイコ味のあるクスッとする文章に仕上がっている、というのが僕の考えです。

話はそれますが、これを書いていて「家なき子」のかの有名なセリフ「同情するならカネをくれ」を思い出しました。
直接関係はないし、僕はこのドラマの世代ではないのでお話の流れや設定を全く知りません。

その上で「同情するならカネをくれ」を読み解くとどうでしょう。
「なら」は順接の接続助詞で、仮定条件を表します。
つまり「(相手が)同情する」という条件を満たす場合に「(相手に対して)カネを寄越せ」と要求しているわけですね。

ただニュアンス的には
「同情はいらないから同情よりもカネをくれ」のように聞こえませんか?
僕だけですか?

例えば、

「予定が合うなら 明日来てくれ」

これは前者の条件を満たしたときに後者の実現度が上がるというシンプルな文ですね。
前半の条件にあたる文章と後半の要求にあたる文の価値が同じ、とでも言えばいいのでしょうか。

予定があう=スケジュールに空きがある
が満たされるとき
空いたスケジュールを明日自分の指定する要件に使ってほしいという要求

では「同情するならカネをくれ」はどうでしょう。

①同情するくらいなら カネをくれ
②同情してくれたなら カネをくれ

どっちがニュアンス的に近いんでしょう。文法の用法的には②のほうが近いです。ドラマを見ていないので答えは分かりませんが、先ほどの例文とはまた印象の異なるケースかもしれません。

ま、いっか。どっちでも。

ここまで読んでくださった方は恐らくいないと思いますが、もしいたらこんな駄文オブザ駄文を読んでくれてありがとうございました。



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