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その後―今の学びが楽しいのは、三年後の自分から手紙が一方的に送られてきたおかげです。

  • 第十六話

 「私」が描いていた大学での学びは、双方の意味でイメージが大きく異なっていた。
 ポジティブな意味では、私が思いのほか無知であることを思い知らされたこと。ネイティブの先生方は、母国だけでなく母国が所属する大陸のことに関するあらゆる知識が豊富だ。歴史、言語、ライフスタイル……どれもが私の憧れるもので、執筆とは無関係に色んな場所を訪れてみたいと強く願った。
 感染症拡大が二〇二二年も続く状況では、経済状況は関係なく渡航が厳しい。ロックダウンしている国だってある。それに私自身が感染することで、高齢の母までも感染するわけにはいかない。
 だから、私は待つことにした。
 自分の目で、肌で世界を感じる時期を。感染拡大が治まるまで。それまではネイティブの先生と交流を続けることで学び続けることを。
 大学経由だけが留学手段ではないから。卒業後に留学でもいいじゃない。人は、いつだって学べるんだから。
 もう一つ、ポジティブなイメージギャップが。大学生の時間割って本当に自分でほとんど決めるということ。
 外国語学部なので、英語科目に関してはレベル別で授業が分かれていて、担当教授を選ぶことはできない。
 それでも自分で選んで学ぶことは楽しいし、身になると思う。高校までの受け身授業は、本当に退屈だったから。
 それでもネガティブなイメージギャップにも目を向ける必要がある。
 担当教授との相性だ。私の場合、ほとんどのネイティブの先生とは相性がいいと思う。プライベートの今でも連絡を取っているくらいだし。また、先生方も優しい。私が望めば、どれほど多忙でも可能な範囲内で時間を割いてくださる。
 その一方で、相性が良いとはお世辞にも言えない先生方もいらっしゃる。これは先生の問題ではなく、あくまで私に合う学び方と先生の教え方とのミスマッチに過ぎない。
 そうとは理解しているものの、やはりできることならばその先生の授業は取りたくない。必修科目であればなおさら。
 そういうわけで、過去より一層熱心にTOEICに取り組んだ。
 外国語学部のある大学らしく、指定された語学検定で結果を出せば単位として認定される。つまり卒業に必要な単位数がカウントされる。これを満たせば授業を免れるかも、と勝手に決めつけて、実際に二年生で単位を取得した。
 ネガティブなきっかけでも、結果に繋がればいい場合もある。
 ただし、間接的に学習に影響を及ぼすネガティブは、解決云々ではなく回避するに越したことはない。
 全日制の学校や大学ではつきものかもしれないが。
 色んな未来を見据えて、私は二〇二一年の春、他学への編入を決めた。
 学びのレベルアップ、留学が困難な時期にできることで時間差を埋めるプラン、自分のペースを維持すること……すべては学びを楽しんだ先の未来、文筆と翻訳の人生を歩むためだ。

 大学ではずいぶん年下の友人も大勢できた。でも、大好きな友人とは交流し続けることができるし、留学や他の夢を応援することもできる。
 寂しい気持ちは今も残っているけど、私は二年間の大学生活に終止符を打った。三年目以降は新しい大学で学ぶ。
 通信制大学でも、きっと色んな発見と学ぶ楽しさがあるはずだ。
 私が私軸で動いている限り、その事実は変わらない。

 ――なんて自分の思いの丈を綴っていたら、ルーズリーフがクセ字で埋まった。
 これをどう保管しようか考えながらトイレに向かい、部屋に戻った。
 すると、ルーズリーフは真っ白な状態に戻っていた。
 消しゴムで擦った形跡もなく、さらに鉛筆でもどのインクのボールペンでも上書きすることができなかった。
「ま、いっか」
 私は、ブラッドオレンジのアロマオイルをストーンに三滴垂らし、部屋の照明を消した。

 二〇一九年
『筆跡、モロ私じゃん。なんで?』

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