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ロックンロールになれなかったあなたへ

6月8日に祖母がこの世を去った。
昭和3年3月3日、スリーセブンの日に
この世に生を受けた祖母は、数えで94歳だった。

ずっと元気で健康だった祖母に、
癌が見つかったのは、
亡くなる2ヶ月と少し前の事だった。

祖母の癌を知らされたのは、
さらにそれから1ヶ月後の4月下旬。
両親から話があると4月上旬に呼び出されたが、
仕事など諸々でタイミングが合わず
話を聞くのに、少し時間が掛かってしまった。

「大事な話がある」と言われていて、
でもなかなか会いに行けなくて、
十中八九こういう話じゃないかと
予感はしていたけど、それが的中した。

癌が見つかったのは口の中で、
それから満足に食事が取れなかったらしい。
腫れ上がってしまった口元は
とても痛々しく、亡くなった後の姿でも
それはハッキリと残っていた。

癌であると聞かされた4月下旬、
病院に向かう祖母と少し会話が出来たが、
その時はいつもと変わらず元気な姿だった。
でも、元気な祖母の姿を見たのは、
その日が最後だった。

とても忙しかったゴールデンウィークが
明けた直後、祖母が倒れて救急車で運ばれたと
連絡が入った。

あんなに元気で、毎日畑仕事をしたり
歩いて街まで買い物に行けていたのに、
癌が見つかって以降体が弱ってしまって、
転ぶ事が増えてしまっていたらしい。
救急車で運ばれたのも、転んでしまったことが
原因と聞いている。

そのまま入院した祖母が、
急速に弱っていってしまった。

コロナ禍で面会が出来ないご時世ではあるが、
ビデオ形式で面会が出来た。
5月28日の事だった。

およそ1ヶ月前、元気そうにしていたのに、
画面越しに再開した祖母は
まるで別人のように痩せ細ってしまっていた。

それでも、看護師さんを通じてではあるが
また元気になって帰るからね、と言った。
看護師さんから会話用のマイクを奪い取り、
自分の意思でしっかり話してくれた。
こちらが手を振ったら、
しっかり手を振り返してくれた。
ほんの微かではあるが、
また会える事をその時点では信じていた。

その1週間後。
あと数日、という連絡が入った。

いつもより早いスケジュールで仕事をこなし、
いつ「その時」が来てもいいように
覚悟をした。

次、親から連絡が入った時は
「その時」だと思っていたので、
スマホが光るたびに心臓の鼓動が強くなった。
そんな日を数日過ごした。

6月8日、仕事を終え帰宅しようと車に乗った時、
父から連絡が入った。
最後は苦しまず、眠るように息を引き取ったらしい。

正直に言うと、ホッとした。
満足に食事も取れず、家族と面会が出来ないので
つらかったり、さみしかったりしただろう。
けれど、苦しまなかったのは、何よりだと思った。

通夜と告別式を終え、祖母は火葬されて
自宅へ帰ってきた。

死は別れでなくて、「旅立ち」だと言う。
ならば、これは終わりではなく
始まりだと思うことにしよう。

もっと、もっと強くならなくては。

最後に棺が閉じる時、
祖母の顔を見て改めて決意をした。

これからまた、新しい日々が始まる。

ひ孫の顔を見せられなかったな、とか
晴れ姿(男でも言うのかわからないけど)を
見せられなかったな、とか
悔しい気持ちはたくさんあるのだけれど、
きっと天国から見てくれているはずだから。
これからもよろしくね。


余談だが、亡くなったのが8日で、
あと1日遅かったら「ロックの日」
だったのにな。

大正琴をやっていて、
その音がずっと耳に残っていて、
今でも耳をすませば聴こえてきそうで。

ロックと大正琴はまあ違うけど、
その少しの違いが、ロックの日の前日に
亡くなるっていう違いを生んだのかな。

命日は、誕生日と同じくらい大切な日らしい。
ロックンロールにあと1日届かなかった、
6月8日を忘れないようにしよう。


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