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いつかまた遠くで会えたら手を振り返して

結論から言うと、結束バンドはそこにいなかった。



どうしても言葉に起こしたい感情が芽生えてるので、つらつらと綴る。主題は冒頭の通り。

アニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』が好きだ。
わざわざアニメと書いたのは、続きが見たくなくて漫画版は読んだことがないから。
初夏のような日差しが注いだGW後半、結束バンドをその目で、耳で体験したくて、大型ロックフェスJAPAN JAMに参戦した。
前日には、銀座で開催されていたぼっち・ざ・ろっく!展に参加し、気分は高まるばかり。(詳細は言わないけど、とある展示が良すぎて泣いた。)

春フェスと言うには強すぎる西陽が差し込むSUNSET STAGEに、その時が来た。
結論から言うと、結束バンドはそこにいなかった。

1つ誤解の無いように。
ライブ自体は本当に最高だった。感無量であった。Zeppツアーが発表されたときの興奮ったらない。聴きたくて止まなかった曲はほとんどやってくれたし、長谷川育美やバンドメンバーの演奏もそれはそれは素晴らしかった。イヤホンの中でしか流れなかった音楽が目の前で震える感動は、何にも代え難い。

でも、結束バンドでは無かったんだ。
その感情に気付いてしまったし、理解してしまった。
そこに生まれるドラマは、バンドに求めてしまうそれとは違うんだ。
そのステージに喜多ちゃんはいないし、リョウもいない。虹夏ちゃんの夢が宿っていなければ、ぼっちちゃんのカタルシスを感じることはない。
やっかいなヲタク、と揶揄した感情が鮮明に、頭から離れてくれない。


ツアーが発表されて、大好きなバンドとの日程被りに頭を抱える中でそんなことが頭を巡った。
やっぱり曲が好きだから、また生のデカい音で聴きたい気持ちはあるが、そのときの感動が最高値を更新するビジョンが見えない。
Zeppツアーには多分行かない。(映画観たら気が変わるかもしれんけど。というかそもそもチケット当たるんかこれ?)
再び劇中で結束バンドが動き出すそのときを、首を長くして待とうと思う。



いつか、このノートに書いた言葉たちも泡になって消えるかもしれない。
その時はその時だ。

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