「満額ご融資が決定いたしました」

会計マネジメントしてくれている方から
「融資受けないんですか?」
「融資受けませんか?」
「すぐに融資してくれるわけじゃないんですけど、融資に挑戦しませんか」
と散々言われてて、それを「あー…(めんどくさい)」と流してきていたんですけども、先日融資が決定しました。

あんまりやる気がなかったのは、私の人生を狂わせたのは親の抱えた借金が結構大きな要因となったという体験が大きかったこと。
そして、その借金を返すためにビジネスを立ち上げるという最低最悪のサドンデスゲームから私の商才が花開いたという背景。もうサドンデスですよ、sudden death。突然の死。

そこでわかったんです。しょせん融資とか借金とかは、他人のカネ。他人のカネで自分がでかくなったような錯覚を持って、自分の力以上の事をさも自分の事のようにやったら、こけた時相当ひどい目に合うという事を。

こけなきゃいいんですけどね。
融資というのは、こけないだろうという前提で融資されます。だからこけなきゃいいんです。
だがこけたらsudden death。

そんな訳で、あんまり融資には乗り気ではありませんでした。
そして手持ちの金がないという状況でも、私は周りの人が恐ろしくヒヤヒヤするような口座の金額ゼロに近い状況であっても、自分の生活をすべてつぎ込んだ賭けに打って出てまあまあ回収するわけです。
sudden deathを知った人間にはdeath以外は通常通りであり、綱渡りも渡り切ったらただの道である。

離陸したのかと思ったらずっとホバークラフトなみの低空飛行をしていて落ちないのが不思議みたいな経営っぷりですけど、落とさない覚悟で飛ばしている。

そこに、ほんのり資金のバックアップが来たわけです。
「満額ご融資が決定いたしました」

下北沢のカフェで打ち合わせをしていた時に、電話が保証協会からかかってきて、「いま外なので手短に」なんていって、ご融資決定のおしらせでした。

「融資が通るかどうか微妙というか、ダメなこともあります。でもまあ、高校でたばっかりの田舎の子が自動車でローン組むより安い金額ですからね。そこまで問題はないんじゃないかとも思うんですが、でもダメな時はダメですしね」
散々、融資を進めておきながら、ダメかもしれないよとくぎを刺されてきたので、実際に融資決定のおしらせは嬉しいものでした。
ダメじゃなかった♡

しかしまだお振込みになるまでいくつかの書類や契約が発生します。

200万円で考えていたけど、それこそ満額で融資してもらえるとは限らないという話から、250万円って書いて出しておきました。

「はじめての申し込みで200万円くらいなら問題ないと思いますけどね」
と区役所の人。

「てまえどもの判断ではなく、信用保証協会での審査次第という事ではございますが」
と信金の人。

「では社長の本社のほうにお伺いをいたしまして!」
と信用保証協会の人。

なんかよくわからないまま、言われる通りの書類を区の合同庁舎に何度か取りに行き、区役所に提出して書類を作ってもらって信金に提出して、今度は信用保証協会に行って、家庭訪問をされて、と、言われるままにあちこちにいきました。

わかったのは、ほんとに書類でしか判断されないんだなという事。
印鑑の入った書類が一番大事です。個人で確定申告する時も税務署から印鑑入れた控えを送り返してもらうようにしておく方がよさそう。
あとはみんなが知っている会社での経歴は強い。それにどんな意味があるかなんてほんとどうでもよくて、とにかく強い。
それから家族経営の履歴も、けっこう強いっぽい。
が、それが審査にどう響くかはわかりません。心証はいい、って事レベル。

融資というアトラクションを楽しんだという感じです。

これが資金調達というか、VC(ベンチャーキャピタル)から1億円のなんちゃらとかだと盛り上がるんでしょうね。他人のカネが来たという事がなぜそんなお祭り騒ぎになるのだかという感じでしたけど、250万円の融資を満額ご融資決定と言われてわかったのは「まあお前のやってること悪くはねェよ」と言われたという感じです。他人からの肯定、そしてお金というゆるぎないものを提供されるという事実は、他者からの大きな評価だなあと思うのです。

200万円なんて使おうと思えば一瞬です。
でも本気出して使えば、けっこう使いデがあります。

とはいえ、振り込まれた時点ですでに保証料みたいなものが引かれいて、しかも据え置きなしにしたのでぞくぞくと引き落とされていく訳です。
お金とはなんなのだろうか。どうしてこれで人が死んだり生きたりご飯が食べられたりできるのだろうか。私にとってこの250万円とは、存在しても存在しないものなのだろうか。指の間を抜け落ちていった砂のような存在なのだろうか。
そんな事を思ったりもします。
しますが、これを元手に何かを作ることも可能なわけです。

そして、使わないでただただ返してくだけという選択肢もあるという事です!

思った以上に、お金って自由なんだなと思った次第です。
あとお金のある所において、お金の価値ってめっちゃ低い。
本当にお金の価値を感じたければ貧困層とは言わないけど、お金が微妙に足りない暮らしをしているほうがお金のありがたみをたくさん感じられます。

お金の使い方をもっと身に着けて、もうすごく素敵な事をしたい。
人をあっと言わせるような事や、ふわりと喜ばせるような事、問題が少しだけ軽くなるような(できれば解決に導くような)事。
それには金額の大小ではない部分がすごく重要になる。
金なんてあとでもいいのだ。
命の燃やし方のほうが、よほど重要である。

そして、この貸し出された250万円は、私の命によって燃やされる事になるのか、それともひっそりと私を口座の中で見守るだけになるのか、それはこれからの物語である。

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つよく生きていきたい。