人には人のルサンチマン

SNSが発達して、いろんなことが探さなくても勝手に送りつけられてくるように見ることができる世界になってしまった。

そこでよく見るのが、ルサンチマンだ。

嫉妬とか恨み、特に弱者が強者に対して抵抗できないけど心の中は煮えくり返るような怒りを抱えているけれど逃亡も反撃もできずに現状を受け入れている様子。

これを見ていると、最初はひとつの意見を理解しようとする意識が自動的に働くけれど、モテない男(背が低いとかで不必要にルサンチマンに身をやつしている)の気持ちは理解したとしても同調する必要はないことに気がついてしまう。
だってさ、「ひ弱な男にも女をあてがうべき」とか言っているなんて気持ち悪い。

人には人のルサンチマンがあり、それは他の人が肩代わりしたり、代弁してカタルシスを与えたりとか、そういう代行作業はやるべきではない。

自他境界線がゆるいと、読んだもの見たもの全てが自分の体験としてカウントされてしまうことがよくあり、不必要な他人のルサンチマンを背負ってしまう例も、ほんのり聞いている。
そんなに不細工でもないのに過剰なルサンチマンを持っているとか、自分だって国家資格持ってるのに世界が違うエリートにやたら嫉妬して毎日粘着ツイートをしたり、不必要なルサンチマンを持つやつらは存在してる。

自分のルサンチマンだけで手一杯では?と思うのだけど、たまに自分のルサンチマンを見たくないから他人のルサンチマンをコピーしてるケースもあって、やべーなってなる。

他人のルサンチマンに駆けずり回ることは、なんの役にも立たない。ルサンチマンにつけ込んで相手をコントロールするのは簡単だけど、そのあとずっとケアをしてあげないといけないので、よほど好きな人でないと無理だし、ルサンチマンむき出しの人は、ルサンチマン以外のものを持ってないことが多くて、生きてるだけでルサンチマンだから、そばにいると不幸になる。

人のルサンチマンなんか関わってはいけない。
放っておけ。
自分のルサンチマンと戦え。

つよく生きていきたい。