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落ち椿

春の季語、落ち椿。

桜もそうだけど、散り際をよしとする感覚は、諦観をよしとする感覚に通じているのかもしれない。

江戸時代は諦観が基本的思想だったと、たしか江戸期の研究家の本の帯で見かけたけれど。

落ちて踏まれた椿。
茶色く滲んでいく。
木の上ではあれほど豪華に咲いたのに。

シャネルのアイコンは、カメリア(Camellia)。
椿の花。

ヨーロッパでは異国の花としてとても高値がついたという。
チューリップだのダリアだの、ヨーロッパの園芸熱って経済にガッツリ食い込んでくるくらいらしくて恐ろしい。

その点、日本人は「朝顔掛け合わせて変な柄作ったったw」「松をこんな鉢に仕立てたで!盆の上に乗るから盆栽」とかやってて、なんかこう小さく狭く執念深い。
そのくせ「自然そのままが最高!」とか言い始めて、狭い場所で両極端に振り切れてる。

落ち椿は、美しいものがそうでなくなることへの痛みなのか。

春の訪れを喜ぶことを、落ちる椿に重ねる。
諦観があるからこそ見える世界かもしれない。

いや、椿の花に執心しているから、そこばかりをクローズアップしてみてしまうのかもしれないけど。


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