幸せな買い物

お金について、いつも考えている。
それは、自分がビジネスをしているからでもあるし、興味を持っている心理面と金銭というのは非常に密接な動きをするところでも注目しているし、実家が借金を作ってそれなりに大変なこともあったからでもある。

でも、自分でお金を使うという事に関しては、あまり興味や関心がなかったという事に気づいた。

お金を使う事を厳しく禁じられた子供時代。欲しいものを欲しがることができなかった。
本当にほしい事、やりたいこと、知りたいこと、すべて自分が忘れるまでじっと待つしかなかった。

キャッチコピーをつけるなら、こうだ。

「欲しがりません、死ぬまでは」

欲しがることを否定される事というよりも、自分の興味関心や感性、考えに、両親の同意がひとつも得られなかった、という事のほうが悲しかったんだと、今は思う。
なにかを欲しがると、バカと言われた。だから、いつも自分の判断に自信がなかった。なぜか人の話は一回で理解でき、ちょっと賢しらな子供だったので、それが周りには見えなかった。いつも不安で苦しくて、不機嫌で、息ができなかった。早く家を出たかったが、家を出るタイミングは大学進学しかありえなかった。

特に母は、自分の子供は自分の感性に沿うようにしたかったらしい。といっても、それを適用したのは第一子の私だけで、そのあとの子供には匙を投げた。

女の子っぽい事を禁じ、髪をよくわからないショートカットに切り刻んでしまうし、いい服とかオシャレは一切禁止だし、お菓子は「砂糖は悪」という思想の下、絶対に食べてはいけなかった。(唯一日曜日にアイスクリームをひとつ食べさせてくれた)

そうやって、すっかり私は何かを欲しがることを封印して、そのくせ断捨離だけはどんどんできるので、いつもガリガリに痩せて飢えて、なにもかもを片っ端から捨てていった。自分も例外ではなく、どんどん捨てていった。
望みも期待も、人間関係も、仕事も貯金も。貯金も使わずに捨てた。
今思うと相当気が狂っているが、私にとっては至極普通のことだった。
怖くも悲しくもなかった。後悔もしなかった。

捨てるのは簡単だ。
捨てられないものが問題だ。

捨てると言っても、結局また何かを買う。生きているなら、食べなきゃいけない、服を着なくてはいけない。日々の営みというのは、ものを買う事から逃れられない。

それに、商売をしていると、どこで何をどれだけの品質でいくらで買うかというのは、生命線でもある。
高くても今後のつながりを見越してそこで買うとか、安いならどこまでが妥協点かとか。その判断の一つ一つが経営そのものだ。
ここで必要だと思えば、一括で手持ちのお金をごっそり出してしまうことだってある。

そういう事が、実は私にとってはとても重要なセラピーだったと思う。

自分の判断でお金を動かし、きっちりリターンを得ていく。
お金を出すことは失う事だからと一方的に戒められた幼き日々と打って変わって、払っただけのものを受け取るし、受け取れなければ交渉しに行くし、お金が足りなくてできない事も骨身にしみて理解する。
そのすべてが、私にとってとても優しく、染み渡る。
自分の判断力が死ぬまで封じられるものだと耐えてきたのだから、それを開放できただけで、どれほど幸せだろうか。

時に間違う事もある。
悔しくて気が狂いそうになる。でも、それでさえ、私には生きている痛みであり、もちろんうまくいった時は、普通の人の何倍も嬉しい。

お金が欲しいというよりも、お金を動かしては確実にリターンができてくることを感じていられることが何よりもうれしい。
それが欲しいから、売上が伸びていくのが痺れるほど嬉しい。

生きててよかったって思う。

たぶん、自尊心を満たしたいとか、他者承認をより高いところで承認されたいという感覚で(スゲー俺様、と実感したいという事)やっていたのなら、とっくにポッキリ折れていたと思う。
ビジネスでは、人を見下す快感よりも人に叩き潰される現場のほうが圧倒的に多いから。

承認欲求よりも、生存への実感のほうが、スタミナは強いかもしれない。

でも、ひとつ問題がある。という事を最近感じている。

ビジネス的には大変順調に推移して、ちょっとだけお金ができた。
そうすると、途端にお金が減るのが怖くて仕方ないという現象が起こってくる。
これは、本当に心の弱さが露呈している。守りに入るのがとにかく苦手なのだ。失わないようにと思うと、苦しくてしかたなくて、何もできなくなる。
でも、自分でここまで持ってきて向き合っているものなので、それはそれで成長したのだろうなとどこかで思う。

もう一つ、問題がはっきりしてきた。
自分のためにお金を使えないのだ。
欲しいものを徹底的に否定されてきたので、身についたのは徹底的な妥協策を探す事だった。
つまり、お金があって買えるのに、買えない理由を探し回ってしまうという事だ。なんという恐ろしいことだろう。

多分、ここも本当にほしいものをお金を出して買えた時に、それでいいのだと癒されるのかもしれないとぼんやり思っている。

ちゃんとした買い物ができるようになること。

なんて簡単そうに見えてハードルが高いのだろうか。

私にとっては、そういう痛みも大切なものだ。そのことを誰かに共感してもらうとか、一緒に癒していくという事は、たぶん不可能なのだ。
それは、とても悲しい事だけれど。

死ぬまでに、その痛みが癒えて、好きに楽しくお買い物を楽しめるようになりたいと思う。心から思う。
充実した幸せな買い物を、なるべくたくさんしたい。

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つよく生きていきたい。