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洗顔はあまりしない

「猫は愛しているとあまり言わない」
このタイトルがとても好き。いつも愛していると思っているのに、あまり言わない。もしかしたら愛してないのかもしれない、でも「あまり言わない」というのは思ってはいるという事なはずだから…といろいろとその余白に漂う自分の願いを感じる。

かのように、私は洗顔はあまりしない。
洗わないわけではないが、洗顔料はあまり使わない。たまに使う。
特に朝は水かぬるま湯(寒い時期)で、寝る前に付けた紫外線に当たるとよくないというレチノール美容液やハイドロキノン美容液を落とすのが目的だ。そこが落ちれば汚れは落ちたと思っていいだろう。

ポイントは浄水器の水を使うことと、タオルでゴシゴシふかない。
ティッシュでパッと抑える程度。何なら浄水器の水が化粧水みたいなもんだと押し通す。
こうするようになってから、楽だし、肌は特に問題ないし、日本の軟水はすごいなって。とはいえ、田舎から東京に出てきた時に、みんな顔が一週間くらい赤くなってて「あー、みんななるよね、東京の水にやられてさ」と言ってた。田舎のきれいな水はそれだけで化粧水。
今は東京の水でも大丈夫だ。でも浄水器を通してほしい。

洗い過ぎはよくないと常々聞くけれど、私は確かにそれに当てはまるようだ。
髪の毛も毎日洗うのはよくない、頭皮が薄くなる感じがある。
でもブリーチ&カラーになってから、髪がべたついてヘタるまでの時間が短くなったような感じがある。それまでは4日くらい洗わなくても結構平気だった。ただしスタイリング剤はつけないという条件が付く。スタイリング剤を付けると、髪もまとまるが、汚れも皮脂も引き寄せるようで、洗わないわけにはいかない。

夜の洗顔は、ミルククレンジングをするだけ。
溺愛しているカウブランドのミルククレンジングを常にまとめ買い。2パック分を無印のポンプボトルに入れて、1回に3~5プッシュ使う。

とっても安い!本当にうれしい。安心してたっぷり使える。
そして下手に石けんや洗顔料で顔を洗うより肌にやさしい気がする。
化粧をしない日でも、これを使ってしまう事もある。
ただ、こってり強めの化粧は落ちないので、ラメは事前になるべく落としておくのと、お湯落ちマスカラなどを使うようにしている。

クレンジングも、シャンプーも、大事なのは何を使うかとか、きっちり泡立てるとかそういう事に意識が向くのだけど、一番その効果を発揮する時は洗い流す時だ。
だから、馴染ませるのは洗い流すときにきちんとメイク汚れとミルクが混ざっているのが大事だから馴染ませるし、シャンプーは泡立てよりも全部流すことに注力する方が圧倒的に大事。
でも馴染ませとか泡立ちに意識がいって、これは泡立ちが悪いからよくないとか、商品の力をろくに引き出せずに使っていたなと思い返す。

手段の目的化は、作業自体が楽しいという良さもあるけど、やっぱり目的を見失うと「結果」はろくなことにならんなというのは思う。
底見えコスメと言って、アイカラーやチークなどを底が見えるほど使うのを楽しむブームは、減ったことが大事になってしまって「今月中に使い切るぞー!」なんて意気込みをSNSにさらしている人がいっぱいいるけど、使い切るのが目的で自分の顔は二の次になっている感じがすごいある。
使い切りたいからこってりチーク塗ったり、まぶたにものすごい粉っぽくヘンな色を付けるのだろうか。底見えできるのなら、自分の顔が汚らしくなるのはいいのだろうか。
でももう自分の顔の事なんて、心の中にないのだろう。ただ化粧品を使い切りたい、その達成感と快感のほうに支配されきってしまうのだから、変なメイクになってることはどうでもいいのだ。

化粧品は使い切る事など目的にはならない。
美しくなること、心地よくなることが目的で、結果として使い切ってしまったとか、そういうものだ。魔法の粉フェアリーダスト
ものを大事にするという概念と最もそりが合わない存在。

大事にするという意味が生きるのは、そのアイテムの真の力を引き出せたときであり、それを身に着けるべきは使い手自身だ。

ミルククレンジングは、いかに肌を摩擦せずに表面の化粧汚れと基剤をきっちり一体化するかという加減と、汚れを抱き込んだ基剤を無理なくも完璧に肌から流し落とすかというところに、真の力を引き出すコツがあるのだ!

ミルククレンジング道は深い。

朝の洗顔も、目の周りについた塩分を含んだ涙の跡や、布団のホコリ、紫外線に当たると肌を痛める化粧品をきれいに落とすのが大事だ。でも肌を守るほどよい潤い膜まで取り去るのはもったいない。
潤いを石けんで落として、わざわざ化粧水を塗るという、経済活動の参加を促してしまう。経済活動だけならいいけど、時間と手間で余計ストレスになったりもする。(逆に洗顔をするとスッキリすることもちゃんと覚えてる。救急車で運ばれて手術して1週間くらい入院してやっと顔を洗えるようになった時は、本当に世界が明るく感じられた)

真の力を引き出すのは、偶然にできることもあるし、丁寧に前後関係をつかんで理解していかないといけない時もあるし、理解してもそれが行動とつながらないと意味がない事もある。

顔は洗わなくてもいい、美しくいられるなら。
美しさや心地よさを損なうなら、石鹸は使わない方がいい。
自分が願うことと、それぞれの道具や化粧品たちが持つ真の力が重なった時、魔法のようにいろいろなことがうまくいく。

世の中には「どうしてそんなふうにやってるのに、そんなに素敵なの?楽しそうなの?すごい成果を出してるの?」と思う不思議な人たちがいる。
それは魔法なのだ。
目の前にあるもの、自分自身のすべて、手持ちのものの力をしっかり引き出して、願いをスッとマッチングさせていく。

その人のまねをして同じコスメを使っても、ヘアアイロンを使っても、彼女のようにはならない。そこにある魔法について、何もわからない。

だから、私は私にのみ使える魔法を、地道に使っていくしかないのだろう。
他人の使う魔法に憧れる時期はもう終わったのだ。それはとても福音でもあった。
これからはもう自分のつかえる魔法を遠慮なくビシバシ使っていきます。

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つよく生きていきたい。