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「若く見える」ことの不安とその解決

31歳男子に「年下だと思ってました!!!」とすごい言われて、いや逆に私はあなたがそんな年下だと知って正直びっくりだよ…という気持ちになった。

若く見えることはとてもよいこと……という社会に生きていると、若く見えるのはとてもよい事だと思う。セクシー担当大臣みたいな言い回しになってしまう。

が、すごくいいことかというと、実際には若くはないわけで。

若く見えると「なめられる」という事がよくある。
それはそれで、まあハンデもらったかな、みたいに思っていたけれど、最近は不当な対応をされたらきちんと主張することの重要性がより高まってきていて、「ハンデもらった」なんて黙っているほうが現在の問題を助長する態度になってきている。

むしろ逆に。
お相手が自分より年下が圧倒的に増えていくとなると、「あなたそんないろいろできるのに私よりずっと年下なの!?」とかショックを受けたりする。
「そんなにおセンスがよいのに?」「そんなにちゃんと理解力があって対応が柔軟なのに、20代なの!?」みたいな。

負けた感が。
胸に刺さる。
涙が出ちゃう。

まあ、そこそこちゃんと話を聞いたりすると「あっ、やっぱりお若いデスね!」というところがあって、ほっとしたりするんですが(いやな奴だ)、身につまされる。

そして年上のベテラン勢がまた外さない仕事をしていたり、いまだに泥臭くフロントラインで戦ったりしているのを見ると、それはそれで、やべえな強いな、あやかりたやってなると同時に、私はそこまでできないのかなーとか、じわっとあきらめのようなものを感じたりもする。
老害化するほうが多いのかなーと思うけど、老害をまき散らせるほどには「居場所=ポストがある」ということで、熾烈な生存競争下にあるフリーランス生活者にとっては、それはそれでうらやましい話であったりもする。

なんとか生きてきたけれど、この先の時代を私は生きていけるのだろうか。
若い人を見ても、年上を見ても、思うことは同じだ。
この先、彼らのように、やっていけるだろうか。
私もやっていけるだろうか。

そういうのと、現時点で「若く見える」という事は、もう何の関係もなくて、今までは若く見えることにとても価値があったというのはわかるのだけど、それは悪い事じゃないとは思うのだけど、すごくいいことでもない。

若く見えることはとても価値があるというのはわかる。
その価値にちょこちょこ助けられてきたのかもしれないと感じることもある。
だけど、そこに全力を投入して「若見え」を保つことが生み出す利益はとても小さい。

かといって老けて見えるというのは、それはそれで現行社会の不利益を被ることがわかっているので、モヤッとする。オールドタイプな部分が自分の中にも歴然と存在しているからだ。
そしてその利益・不利益があるからこそ、若く見えることにすがって、道を誤る先輩方の事例も耳にする。そこにすがるしか生きる道が見いだせなかった人間の悲劇みたいなものは、すごくわかるし、いつか自分がそうなるのかという恐怖のようなものもあるし、もうなっているのかもしれないというソワッとした寒さが背中にあらわれる。
髪の毛があればイケメンだったのにとか、男性も結構そういう悲劇に巻き込まれている。

日本女性には若く美しく相手の男性よりは頭が悪く振舞い、男性から見えないところでは圧倒的な実務能力があることを求められすぎていることが社会問題として扱われ始めている。
日本だけじゃないかもしれないが、私の生きている日本で、そういう事がより広く一般的に課題として当事者である女性が、『そうじゃない価値』を打ち出そうとしている。
そういう中で、極めて平凡に既得権益側にいると、『そうじゃない価値』を生み出す事の足を引っ張っているのではないかという事が起きてくる。
この場合、若く見える若くない女は、過去の価値観でいうと既得権益側になる。新しい価値観では、若く見えない人のほうがありってことになるからだ。例えば白髪を染めない事とか、80代のファッショニスタ・インスタグラマーとか。(ただ彼女たちは若くはないがとても美しかったりおしゃれだったりと美的な資産をたくさん持っている)

でも、そこに対しては、とあるメイクアップアーティストがひとつの答えを出してくれた。
ファンからの質問で「幼い顔立ちなので仕事の場面ではちょっとそぐわないから大人っぽく見えるメイクをしたい」というものに対して、「幼く見える顔立ちが、あなたの個性」「全員が大人っぽい顔になる必要はない、自分らしさを大事に」という主旨のことを答えていて、すごく「あああーーー」となった。

若く見えてしまうことを恥ずかしく思うことに対して、それはあなたの個性なのだから無理に隠すのではなく活かす方法を取り入れよう、と言い切ってしまう。
良い悪いではなく、極めてシンプルな態度だった。

老いていく自分を受け入れる、という部分とは少し違う、社会に対しての自分の価値を値踏みするようなタイプの、ルッキズムと呼ばれるようなもの。
それに振り回されない人は少ない。
大抵の人は美醜で判断するし、美醜で判断されている。
その危ういパワーゲームの中で、パリッと「若く見えることは単なる個性」と言い切ってしまうことは、あまりにもすがすがしかった。

若く見えることは、少々の負い目がある。
本当に若いわけじゃないし。嘘をついて相手を騙しているのではないかという気持ちになる。
それも「単なる個性」といわれると、あっそうですよね自意識過剰でしたよね私のせいじゃないもんねすまんすまんってなります。もっと別のところで頑張らなくては。

私は日本において生きやすい見た目を与えられたと思う。
平均サイズよりちょっとだけ小柄で細く痩せていて、顔立ちも深刻に悩むほどのことはなく化粧をしたらほどほどに美人に見え、最初から二重で、親には歯列矯正をしてもらった(とても痛かった)。
足が短い事に死ぬほど悩んだことがあったけれども、まあ、死ぬほど短いってもんでもなかった。長いとは言えないが。
シミも毛穴もあるけど、平均的で、突出したマイナスはない。

それらのどれもが個性としか言いようがない。
たとえ平均的であっても。

個人的にできることといえば、若く見えることはいい事だ、という過去の価値観にすがりつきすぎないようにしたいという事くらいだ。
かといって老け込めばいいのかという事でもない。メリットを手放せば誰かに許されるのではないかという考え方自体が怠惰で愚かなものだ。
必要以上に他者からの評価を得ようとしない、という欲望のあり方が問われるのだろう。
(他人にちやほやされたい、という欲望が否定されるべきものだとは思わないけれども)

年齢は、時間のことだし、時間は取り返しがつかないものだ。
それがいいとか悪いとかではない。
よいようになればよいし、悪い結果になれば悪いのだ。
蓋を開けるまではわからない。
だから、できることといえば、常にこまめにふたを開けて結果を取り出すことでしかない。それがいわゆるマインドフルネスといわれる活動にもつながるのかなと思うけれども、まあ、どうでもいい事です。

どうでもいい事だけど、「えっ、年下だと思ってました!」といわれると、やっぱりどうしてもソワソワざわざわしてしまうのです………

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