考えに考え、考える

考える量とか、考える質とか、思考力とか考察力とか、人間の考える力についてのあれこれって、いろいろあります。

でも、それってどれも見えない。

試験とかで測ることはある程度できるけれど、総合的に考える力になっているのかとか、短時間で成果を出す考え方はできても、長期にわたってプレッシャー状態の中で最もベストな状態を作り出していくための考える力とかは時間が決まっている試験ではそうそうわかるものじゃない。

死ぬ気で考えろとか言われても、死ぬ気になったら考えることもできないだろう。

お金がなくて、でも何とかしなきゃいけない時に、唯一にして最高の資産は「考えること」だったと思う。

これは頭の良し悪しではなくて、どっちかというと思考する持続力みたいなものだと思う。そもそも思考だと思っていたものは「他人の反応が欲しいという単なる感情に基づいた欲求」だったりと後から気づいたりする。
人間、あんまり考えていない。
数を数えたり、これは次にこうなるかなと想像する程度の事はそれなりにするけれど、「じゃあ、この場合はどうする?それがこうなったらどうなる?ならなかったらどうする?」と全部突き詰めて考え続けることは、あまりない。
そんなこと実際にやったら、もう一日中何の役にも立たない考え事で終わってしまう。

しかし、それこそが私のすべてだった。

考えて考えて考えて、寝てる間も考えようと決め込んだ。

ほんとに一日中、あり得ないほど考えた。
考えすぎて服を着たままお風呂に入りそうになったこともあった。

でも、お金はかからない。
安いもんだ。

その頃は、覚悟も決まっていたので、ハラは座っていたが眼も座っていた。
永遠に考え続けようと決めていた。
そして、考え続けた。

悪い考えがループしそうなときは、逆にこの流れですべてが最高にいい感じにうまく行ったらこうなるんじゃないかという「最高のシナリオ」を想像して紙に書いては、その場合に起こりうる問題点を考えていた。
そうすると悪い考えのループからは抜け出せる。
おこってもいない最高のシナリオ上での問題など、まだ検討するには当然早いどころか、夢でもみてんのかって話だけれど、それでも考えた。いつか役に立つかもしれない。その準備だと思えば無駄なことなど何一つなかった。

考えたって、誰にも迷惑は掛からない。
(ついでにお金もかからない)

だから、ほんとにほんとにたくさん考えに考えに考えた。

実行に移せたものはそう多くはなかったけど、思い返せばたくさんの事を実行したし、自分が考えた以上のスピードでものが売れていくようになった。想像以上の結果を手にすることになった。

そうなった途端、急に周りがうるさくなった。

わたしに会いにくる親戚なんかいなかったのに、なんか伯父や伯母が顔を出すようになった。Twitterとかを使っていたのもあって、販売しているところでさも知り合いのように話しかけられることも多くなったけれど、あなた誰ですかということがほとんどだった。
おもしろいのは、わたしの考えていたことを読んだりした人間が、さもそれが自分の考えであるかのように発言しているところを何度も目撃したことだった。
ひとは、あまり考えていないのだ。
他人の考えをさも自分の考えのように勘違いしてしまうのだ。

そんな経験を通して、考えるということは、実はとても難しいのではないかと思うようになった。
本当に考えているかなんて、外側から見てもわからない。
立派なことを言ったり書いたりしていても、それが本当にその人の考えたことなのか、保証なんかない。
考えるってことは、どこにも誰にも保障されない幻のような行為なのかもしれない。

それでも、考えることは、必ず利益をもたらす。
考え続けたものが答えを手にする。
試験でいい成績を取れなくても、人より時間がかかっても考えることはそんな小さな目安で測れるようなことではない。

考えることは、誰にも評価できない。
それでも考え続ける。
孤独だと思った。
それでも考え続ける。
考え続けられることは、とても幸せなことだ。
あとで、考えるような暇を与えることがないつまらなくも忙しい職場に行ったときに、それを実感した。
考え続けられることは、それだけで最低限かつ最高の人間の尊厳なのだと思った。

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