お金を大切にしたいのです

私は実家の家業が倒産しかけて借金があって家庭内暴力もあって、部屋に灯油をまかれそうになっても誰も助けてくれなくて、そういう状況から死ぬ気で抜け出して、でも逃げ切れなくて借金返済のためにビジネスを立ち上げてバズらせてなんとかここまで来たのです。

あの時、500円あれば。1000円あれば。
1万円あれば、5万円があれば。
10万円があれば。

そう思って内臓がえぐれるほど憎んだり苦しんだときもありましたが、同時に「お金そのもの」にはあんまり意味がないんだなという事も実感していました。
結局、元手なんかほぼない状態で二度ほどビジネスを立ち上げてます。

でも世の中はそうじゃないんだよね、かなりの部分で。
融資を受けに行った時も「200万円?それっぽっちなら貸してくれるんじゃない?」みたいに区の人に言われて200万円は大金じゃないのか、と思ったり。
書籍に必要なお金の話になった時も、なんというか「100万円なんて大した数字じゃないでしょ」っていう感じがあっちにもこっちにもあって、なんと言いましょうか、もう「もっとお金を大事にして!」と叫びたくなることが結構ありました。

そのくらいかかる、そういうものだから、そして利益はないから。
という事を、当然のように言う人の気持ちは、10代後半から20代始めの若くてキラキラした時代をやせ細って強迫神経症になって追いつめられていった経験を持つ私にはとても受け入れる事はできません。

とても受け入れられない。

お金は持つ人によってその価値を変えます。
お金の価値は、お金にはなくて、お金を持つ人によって決められるわけです。

私はね、私は、私のところに来たお金の価値を消すようなことはできないんですよ。
お金がなかったから、私は若くてキラキラした時代を棒に振ったし、大変に傷ついた。PTSDにもなった!向精神薬をのんでボロボロだった時期もあった(思い出したくないのであんまり覚えてない)。10年かけて、そこから立ち上がった。
そんな私が、お金の価値を自分のところで潰すようなことをしたら、あの時の私は許すだろうか?
許さないと思う。

無駄遣いをするなとか、スタバの新作買うなとかそういう事じゃない。
その金を、少なくともその額面以上のものに変換できたか?
100円を惜しむことで体調を崩すような損害に変換してしまっていないか?
お金を、その数字以上の価値にして、自分と、自分がいる世界を耕せているのか?

私は事業家なのだ。
作家とか、漫画家とか、いろんな「作る」職業があるけど、私は事業という動きをもって作品としている。
ダンスのようなもの、演劇のようなもの、としてイメージしている。

それは、私の手元に来たお金をそれ以上の価値にしなくてはいけないという、過去の怨念を成仏させるためだけのものかもしれないし、それをしないと今の自分が生きていく事ができないせいなのかもしれない。
とりあえず、それは私にとって魂の叫ぶ活動だ。

私は、それをとても愛している。
事業を作り動かしていく事を愛している。
お金を額面以上の価値に変換する事を、なによりも大切なこととして活動している。

だから、単純に儲かる事は、お金を額面以上に動かせたというひとつの証明でもあるのでそこをきちんと積み上げていかないといけないなって思っている。

今まで私はあんまりお金を大切にしてこなかった。
大切にする方法を知らなかったので、ポイポイと捨てていった。
お金に困って死にそうな目にあったという事は、お金があったからそういう事態になったのだ。そういう認識が私の中に強く無言で存在していた。

それを覆したのは、ビジネスを起こしてお金を大切にするという事はお金を額面の価値以上のものに変換することだとわかったからだ。
貯金することが大切にする事ではない。それもひとつの方法だが。

お金を額面以上の価値に変換するには、自分自身に力がないとまったくダメなのだという事も身に染みて知ったし、才能や力のない自分だけがお金を持っていてもまったくもってないも同じだという事もわかるようになってきた。
もちろん失敗したことも当然ある。いまだに「あの時あんなにお金使ったのは間違ってたな」と思う事も、まあある。

お金の価値を全然わかっていない人は結構いて、特に自分のカネじゃなくて会社のカネになると途端に桁も跳ね上がるし、無駄なことに使う事も平気になる。
かつて、私も全然わからなかった。
ないと困るけどあっても困る、みたいな。ただ一方的に与えてもらえる状態になるのが一番大切なことで、文句はあまり言ってはいけない、みたいな、そんなイメージだったと思う。頂けるならありがたく頂きなさいというか。

でもそうじゃないです、お金って。
お金そのものに価値はなくて、それをどう変換できたか、だけなのです。

変換の仕方はいろいろあって、いろんなパターンがあるけれど、事業をする・ビジネスをするというのはそのパターンの中でも非常に幅広く自由で、私はそれが大好き。営業事務みたいにひたすら契約書を作って請求書を作ってという作業をお金で買われて、それでまた健康な体のための食事や楽しいコンテンツを楽しむというお金の価値の変換もできるだろうけれど、ビジネスはもっとはっきりと大きな規模でお金を変換できる。

お金を大切にするという事は、お金の価値を何倍にも増やすという事。
たくさんお金を得るという事は、その価値を増やしたという結果のひとつでしかない。

・自分が安全で健康で幸せになること
・小さく幼いものや若者を育てる事
・他人もまあまあ幸せになる事(あるいは損害を受けない事)
・社会の大きな問題を食い止め改善する事

私の考えているお金の価値の増やし方は、大体こんな感じ。
これをすべて実行するのは難しく、優先順位がいくつかあるけど、事業は「他人もまあまあ幸せになる事」と「社会の大きな問題を食い止め改善する事」もできる可能性がある。
もちろん、やり方によってはその真逆なことになってしまう手法もたくさんあるのだけれども、基本的にはよくするためにビジネスは存在する。

お金を大切にする事を最も実感できるもの、そこだ。
自分が幸せになったり、子供を育てたりするのは、自分の幸せや子の成長が嬉しくありがたく思うだろうけれど、お金を大切にできたという実感とはちょっと離れている。

私は、お金を大切にしたい。
やせ細って、怪我をして血だらけの手を見ても「濡れている」としか感じず、痛みがなかった時のショックを忘れるわけにはいかないのだ。
あの時の感覚は、もう怨霊のように私にとりついている。それでいい。それをいつか成仏させてやる。

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つよく生きていきたい。