生きていてもいいと思いたい

さて例のご披露宴に出席したことで(一個前の投稿)、久しぶりにFacebookなどでしかつながりがない人たちと実際に会う機会に恵まれまして、そこで完全に「よくわからないけどなんか自分でビジネス立ち上げて、でも毎日感情的なメンヘラみたいなポストばっかりしている、たぶんなんかすごい才能的なものがありそうなんだけどアンタッチャブル感すごいイロモノキャラ」というポジションに自分がいる事を思い知らされたのですが。

その時に、ふと隣に座っていた方に
「自分でビジネスをしていて一番何が楽しい?」と聞かれた。
彼は聞くところによると確かコンサルティング業務に携わっているようなので(よく知らない)、自分でビジネスをすることについて聞いてみたいと思ったのかもしれないなんて思ったけれども。

「自分の感じたことを写し取った商品を知らない人が買ってくれて、お金を通して肯定してくれる。その時に自分の感じたことが嘘じゃなかったと思えて、生きてることを許されたような気がすること」

と答えた。

彼は、へえ、みたいな顔をして、「すごく素直な答えが聞けた」と言っていた。

わたしは銭ゲバみたいに思われてるのだろうかと一瞬思ったけど、私がどう思ってビジネスやってるかなんて、他者にとってはたいした意味を持たない。

あとは普通の会話だ。
「ねえ、僕の肉料理だけやたらスジっぽかったんだけど」
「いつもおいしいものを食べているから、ハードルが上がっているだけじゃない?」
「違うよ、見るからに隣の皿と違ったもの」
「じゃあ、アタリって事」

銭ゲバでもなんでもいい。

そういう思いが不要なところが、ビジネスのいいところだし、そんなすべて私個人から切り離されることが私にとっては救いなんだ。

私が何者であれ、私は誰かの心を奪う。
それができることなら、どんな方法であれ、私は執念を燃やすし、それには売り買いするのが最も手っ取り早い。ビジネスは手段でしかない。
誰かとわかりあうこともない。
それでも、それが許される。
姿のないファムファタル。誰にも見えないファムファタルになりたい。
少しだけ、誰かの人生を狂わせたい。それはできれば、苦しさからわずかに解き放たれる方に進む狂い方がいいと思っている。正しい方向でなくてもいいから。

私は「お前の感じたことはすべて嘘じゃないよ」と肯定して欲しいだけ。
気が弱く、自信がない。だから、ビジネスで勝ち続ける。肯定をもらうまで、やり続ける。でもそれは、別に勝ちではない。負けを取り戻そうとするような話じゃないか。

私は生きていてもいいと認めて欲しい。
でも人にそれを言われると信じられない。
だから、大きな石を投げ、それが思った通りに帰ってきた時に、やっとそれを認められるのだろう。
そのために自暴自棄になっても、精神に異常を来しても、だからなんだという話。

不安定だから天才なんじゃない。
そんなのは条件に頼った無責任な甘い考えだ。
不安定になる事をどうとも思わない事こそ、大きな結果をもたらす。すべてを捨てる覚悟はすべてを持っていく覚悟と同じものだ。

そうするしか、私にやれることはなかった。
悲しいけれど、安全で確実なことって、私にはなかった。
あると思っていたけれど、そんな簡単なものではなかった。

私の力は足りないのです。
悲しくて涙が出る。
もっと力が欲しい。神様、どうか助けてください。力を貸してください。守ってください。世界をほんの少し楽に息ができる人が増えるよう、努力するつもりです。
どこに頼んだらいいのかわからないから、いつもよくわからない神様に何かを頼んでいる。

生きていてもいいと思いたい。
多分、その一心でビジネスをやっている。

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つよく生きていきたい。