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太宰メソッド

太宰メソッドとは。

自らの個人的な好悪の感情などを「世間」や「みんな」といった大きな主語に託すことで、自分の責任は回避しつつ、発言に権威や説得力をもたせようとする手法。ネットスラング(はてなスラング)。
最初の提唱者は、有村悠。

有名な太宰治の「人間失格」の一部からこの言葉が生まれたそうだ。

(それは世間が、ゆるさない)
(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)
(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)
(世間じゃない。あなたでしょう?)
(いまに世間から葬られる)
(世間じゃない。葬むるのは、あなたでしょう?)

なんかコメント欄でこれに似たことをごっそり書かれて、なるほどなーと。

彼女(プロフィールは女性っぽい感じだったので、女性だと仮定する。女優を目指していたって書いてあったし)は、感想というよりも自分の体験を語りたかったようだ。そのようにわたしは読んだ。

彼女は、本当は自分の経験してきた商売に対する体験とかを誰かに伝えたかったんじゃないだろうか。

特に「コメント入れさせて戴いたのはぬるいなって思ったから。あとyuukeeさんの今回書かれた事を真に受けて商売すると痛手を被ると思ったから。」という一文。

私自身、さほどぬるい人生だったわけではない。もちろん商売を甘く見てなんかいないし、ちゃんとやることをやってここまで来ているし、そこそこ実績もあるし、文章で書いたのはそのごく一部分にすぎない。全部読みもしないでそんな「ぬるい」とか言われたら、そりゃあムッとします。

それもあって皮肉交じりに「これをうのみにする人がいたら痛手だとかいいますけど、こんなのを鵜呑みにする考えの浅い人は何やっても痛手になるに決まっています。」(つまりほかの文章も読まずにこの文章だけを鵜呑みにしているのはあなたじゃないの?という意味を込めて)と返したら、「yuukeeさんの記事を鵜呑みに~とありますが、今回の記事に「良い評価」をなさった方々に失礼だと思いますよ。」とかえってきた。

ああ、これ太宰メソッド!
今回の記事に良い評価をなさった方々=わたしに失礼ですよ!
と。
良い評価をした私をもっと尊重しなさい!
って。

まあ皮肉は届いたようだ。子供の喧嘩みたいなもんですけどね。自分の陣地で売られた喧嘩は買いたくなるのが人間ですわ。

いやあ、あなたもね、最初にわたしに対し結構失礼なコメントつけて、それに対して私がムッとしたと表明したら、「ご自分の意に添わないコメントをされるのが嫌ならコメント欄を閉鎖するのが宜しいのではないでしょうか?」と。
コメントする自由があるなら、書き手のわたしもムッとしたとコメントする自由があるはずなのに、読み手の失礼は感想だから当然許されることで、それに対し嫌な気持ちになったことを表明するのは許し難く、そんな行為をするなら最初からコメント欄をつけるべきではない、とのご意見。

あー、これですか。フォロワー数が多い人が「スルー推奨」などと理不尽をされても黙って耐えろと言われている現象って、これですか!

ついでに、いくら評価されてるからって、大事な部分を馬鹿にされて黙っているはずはないという事も実感しましたよ。相手を評価したつもりがブロックされたとかいうケースはだいたいそれだろうなって。
その人が一番重要だと思っている部分を踏みにじりながら評価しています、なんて言われても「はいそうですか、ありがとう」なんて思うはずがない。
評価しさえすれば、何を言っても相手が喜ぶなんてこと、ない。
これからは私も十分気をつけようと思った。
あと評価という形をとるマウンティングってあると思う。「俺が認めてやった」という上から目線。きれいな言葉使いで言っても、バレバレだ。

おそらく。
彼女は言いたいことが山ほどある人生だったのではないだろうか。どこまで本当か確証はないけどプロフィール欄からはそう読めた。(ちなみに私はフォローしてくる人のプロフィールは全部チェックするし、場合によってはTwitterで検索もかけるし、エゴサーチも定期的にやってるので、感想を公開している人のはだいたい把握している鬼エゴサーチャー)

これは別に、コメントしてきた彼女だけの事ではない。
多くの人に当てはまる。
言いたいことがやまほどある人生ならばこそ、自分で自分の事を渾身の思いで書いたり表現したりする方が、いいのだと思う。
人に自分の思いを代弁してもらおうとしてはいけないんだよ、本当は。
でも、なかなかそれができないから、どうしても代弁者を探して頼ってしまう。無意識的に。
代弁者になるだろうと思った人が自分の意に沿わない場合、相手の行動を変えさせようと努力してみたりする。
そうじゃないんだよ!
そんなことしても、あなたは救われないし、利益にならないんだよ。
代弁者なんか探さずに、下手でもバカでもいいから、自分で表現していかないとダメなんだよ!
だって、あなた自身の事、一番わかっているのは、あなたなんだもの!

自分のために、自分自身の事を自分で書くんだ。
自分語り上等。自分の事を、自分で書くんだ。
今まではそれをやってはいけない人生だったかもしれないけれど、太宰メソッドになんかに頼って自分の力を失っちゃだめだ!
自分のために、自分の気持ちや体験や、感じたことを表現するんだ。

そうしなきゃ生きていけない人が、この世界には確実に存在している。

だって、わたしだって、たぶんそうだ。

ヘタでもバカでも自分のために、自分の事を、渾身の思いで書くんだ。
その文章を、わたしはnoteに置いている。

そして、それを書くときは、自分のところから発信する権利があるんだ。
他人のコメントでしか主張できないようなせせこましい世界じゃないんだ。
ちゃんと発言権と、その場所がある。(最初は誰も読まないだろうけれどもな!世の中は無関心におおわれている)
もちろん、それは私にもあって、そのおかげで、わたしは今日もこうやって自分の感じたことや意見を言葉にして形にすることができている。

渾身の思いを、残すことができる。
それはどれほど素晴らしいことだろうか。

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