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お金と自由と安心と恐怖心

昨年末からほんとにお金の出入りが激しくて、やっとここにきて回収の段階に入ってまいりました。

と言っても、出ていくのも20万円のかたまりが数回!
入ってくるのはもっと細かい!
みたいな感じですけれど、それにしたって吹けば飛ぶような小さな規模ですからヒヨヒヨしてしまいます。

で、ちょっとお金が入ってくると、むしろ急にいろんなことが現実味を帯びてくる。

こんな金額じゃ吹けば飛ぶ。
でも、金額としては立派な感じ。
だけど大事に使わなきゃ、節約しなくちゃ。
でもお金はある。

このループ!

なんだろう、これものすごくツラい!
お金ができてからのほうがツラい!!

おかしい!

という事で、しばらく眠れない日々が続き、どうしてこんなループを歩き回っているのか、考えていたのです。

結局のところ、お金ってなんだって話なんですけど、私にとってはまだそれは「安心」と一歩進んで「自由」だったようです。

わたしは安心と自由を失う事が怖かった。
という思いを持つことで、すでに安心感は失っていたし、節約しなきゃと自由も自ら手放していたわけです。

気持ちひとつっていいますけどね、気持ちほど丁寧に見てあげないといけないものもないんですよ。


◎yuukeeあたまのなかの公式 お金=安心と自由◎

『お金がない時』

→お金ない→(普通の場合)しょうがない諦める。お金ないもん(-_-)

→(ものすごい借金を背負わされそうになってここで見えない覚醒が起きる)
仕方ない、お金がなくてもできる事をやろう。。
なんでもいいからやらないと死ぬかホームレスになっちゃう。

→意外といろいろできるね(´・ω・`)

→お金がなくちゃできない事は後回しにしよう。お金が必要な場合は「今はありません」って言わなくちゃ。=何をすべきか行動の基準が明確

→アッお金なくても結構平気(´゚д゚`)???

『お金が手に入る』

→お金が手に入った!

→このお金が無くなると、また借金地獄だった時みたいに安心できない暮らしになってしまうから、節約して(不自由になって)守ろう=不安感でいっぱい、行動の選択肢が狭まっていく

→お金が手に入ったのに、どんどん不安になって自由がなくなる……(;´Д`)

→苦しい(´゚д゚`)Why????


今まで、わたし実家の大借金を返さんがためにビジネス立ち上げたりして、まあ小さいながら実績を残せたんです。
で、ほんとにゼロどころかマイナスから叩き上げる方法については、精神面も含めて体験もあって、鍛えられたと思うんです。

ただ、それが次の足を引っ張る事になっていた。お金がなくてもできる、お金がないほうが自分の才能を発揮できるって気持ちが強くなってた。

お金があると、なくなるかもしれないっていう強烈な恐怖心というか、ビビり感というか、なんといったらいいのかな、お金があればあるほど欠乏感を感じるように今まで躾けられてきたんですね。

それが常識、社会的に正しい事、それができないと人間として失格、ひどく恥ずかしい事、であったのです。

お金を持つのはみっともない、持ってしまったらちゃんと貯金して無駄遣いせず、足りないくらいの生活で、欲しいものは買ってはいけない、もし買うなら一年に一度。
お金は使えば使うほどなくなっていく。
お金はあればあるほどみっともないもの。

そういう観念が、貧しくても一生懸命な田舎の純粋な考え方的に、幼い私に転写されてきたのです。
主に言葉としては超絶おしゃべりの祖母から。
そして、ある意味経済ネグレクト的な両親からは、実行としてそれを植え続けられました。

それでも、そういう観念があるんだなって事には気づいて、自分でビジネスをしていく中でそこをずいぶんクリアにする体験もできて、少しずつお金を使う人間として学んできた。
(たとえば、この記事に書いたように↓↓)

でも、まだまだだったんだなあと。

ある程度お金が回収できてから、ずっと苦しくて苦しくて、おかしいなあと思っていたんだけど、やっぱりまだ「お金は使えばなくなるもの」という観念が強烈に残っているんだなあと実感しました。

もっと正確にいうなら、「親や祖母のいう事を聞かない悪い子」「大人のいう事を聞かないと捨てられるという恐怖心」がやっぱりどこかに残っている。

いや、ほんとうちの親、平気で全裸の娘を雪の中に放り出して、玄関にカギをかけるような事してましたからねえ。
(私と妹はよく放り出されたけど、末っ子長男の弟は一度もなかった。これによっても男を守らなくてはいけない、男のいう事を聞かなくてはいけないという無言ルールも制定されてしまった)

お金を使うのが怖い
=お金は使えば使うほど減るのだから、なるべく使ってはいけない
=お金は使うほど欠乏感がうまれる
=お金を使うのは悪い事、親のいう事を聞けない子供
=お金を使うと捨てられるんじゃないというひどい恐怖心

ここまでセットで、私はお金を使う事が怖いという事だ。

・・・。
生まれてこの方0.35世紀も経たというのに!!!

ほれば出てくるもんですな!!

過去のトラウマというか、観念というか、刷り込まれた恐怖心!!!

まったく立派な躾だよ!!!
実に見事に躾の行き届いた娘になりました!!!

親はもっと誇るべき!!!

はあああーーー(嘆息)
ブラジルで蝶が羽ばたいたせいで竜巻が起こるなら、私の溜息は大型ハリケーンを起こして甚大な被害をもたらすだろうね。

そもそもお金=安心と自由だとして、お金を使う事=欠乏感と恐怖心だったら、これはもうドツボだ。
お金があればあるほど安心する、かと思いきや、お金は使わなくてはいけないので使う=恐怖となる。つまりお金があることは恐怖を感じる事になり、安心が欲しいとなると、お金がないほうが快適になってしまう。

自由についても同様で、自由こそお金を使わなくては手に入らないとなると、自由を手に入れるにはひどい恐怖心と毎回戦わなくてはいけない。
自由であるために戦い続けなくてはいけない、革命の戦士のような暮らしをすることになる。(妹はいつも靴を一足買うのにどうしてこんな罪悪感を感じるのかと嘆いていた。盗みもしていないのに、高額な女っぽいヒールを買うと死ぬほど怒られるので、買う事は戦争だった)
それだって疲れる。自由より安らぎを求めて戦う事をやめる日があるのは不思議ではない。

だったら、お金ないほうがいいよね!
あっても最低限度の金額にしておかないと!
しかもスキルをあげて最低金額をさらに下げる努力をするのがイケてる!

くらいの流れでございます。
マイナスからビジネスを立ち上げてある程度成功させたことも重なって、お金がないほうが才能が発揮できるって思う事で、お金を入れるのを嫌がっていたもの。融資は絶対受けない!助成金もお断りだぁぁぁぁ!!!(借金をするのはまた別問題ではある)

でもビジネスって、儲けて、そのお金を適切に使っていかないと話にならないの!
わたしは商売の才能は最初から恵まれていて、なぜかわからないけど商売はすごくうまかった(接客とか営業とかじゃない、商売がうまかった)。でも商売には絶対にお金を動かす機会があり、お金を介さない商売はすでに別の言語だ。

わたしは自分の商売のために、なんとしてでもこのお金にまつわる奇妙な感覚について理解し、把握しておかなくてはいけなかった。

なぜなら、ビジネスは心のほころびから失敗していくものだから。

自分の心のほころびがどこにあるのか。それがお金にまつわる場合はさらに重要度が高くなる。

今回、いくばくかのお金が入ってきたことで、ずっとわたしがストレスを感じ続けていたのは、たぶんそれをクリアしなくてはいけなかったからなんだとも思う。
ここでクリアしないで次の段階、もっと大きな金額を受け取ると、余計大変な事の原因になっていくからね、というサインだった。

ほんと小さな額のうちにそれに気づけてよかったんだと思う。

気づいたからって恐怖心が抜けるものじゃないけど、気づかないと始まらないっていうし、そういうものなのだろう。

お金を使う時に生じる恐怖心を自覚し、理解すること。
もう無理やり棄てられるような怖い事は起きないこと。
起きたとしても断固として抵抗するだけの力は身についていること。
わたしにもちゃんと才能があること。
お金はきちんと使えば使うほど増えていくもの!

これらを、メモにして財布にでも入れておこうかな。


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つよく生きていきたい。