目指すはルパン

いい人で成功するという例は、実はあまり想像がつかない。

多くの物語の中で大富豪はマフィアだったり、独裁者だったりする。
悪人はお金持ちであることがおおい。貧乏人の悪人は物語ではそんなに重要ではない。通りすがりの犯罪者程度にしか描かれない。

そうすると、ごく一般の富裕層ではない生まれで、富裕層の生活にあまり近づくこともない生活で育った人間は、「主に経済的な成功=悪人」という図式がしっかり刷り込まれてしまっている気がする。自分を調べるに、だけども。

ということは。

悪人のように成功したらいいんじゃないか?

そんなことを思った。

家族にも恵まれず結婚もせず、有名な大学を出たわけでも華々しいキャリアがあるわけでもない一般の中に埋もれて少しずつ溺れていくわたしが、もし日本中を巻き込む大犯罪を企ててさりげなくそれを成功させていたら。

なんてすばらしい想像だろう!
考えただけでくらくらする。そして、それは意外にもできてしまいそうじゃないか。
だって誰もわたしがそんな大それた犯罪を起こすなんて思いもしないだろうから。

それを考えた時、とてもうれしかった。
生きていく理由が生まれたような気さえした。
そうだ、悪人のように、世紀の大犯罪者のようになればいいんだ。
今からスーパースターにはなれない、場末のアイドルにもなれない、だけど犯罪者の道は開かれているじゃないか。

目の前がバッと開けたような感じがした。

別に犯罪をしたいわけではない。
わたしは、なにかこう、あっと人を驚かせるような、そういうことがしてみたいと心のどこかでずっと思いながら、地味な毎日を重ねてただ大人になっていった。
もうそういう体験はできないか、できたとしても人に嗤われるようなみじめな結果か、事故か、そういう悪い事でしか人の興味を引くことができないであろうことも、薄々感づき始めていた。
そこに、犯罪という別のルートがあると分かった時、胸がすく思いがした。
道はある。
まだまだ道はあるのだと思った。

で、犯罪をしたいのか、というと、個人的にはしたくないと思う。
他人から何かを奪うような、人を傷つけるようなやり方は、結局罪悪感とか憎しみとか、様々なものを巻き込んでいくことを自分でも知っている。これ以上そういう苦しみを自分に科すのはうんざりだ。

そうじゃなくて、ただひとりでも、地味に世界を変えてしまうような大犯罪をコツコツと作り上げて、世界が気づいたときにはもう手遅れ、みたいなことって、その気になればできるんじゃないだろうか。
それをビジネスという形でやっていけばいいんじゃないだろうか。
ビジネス自体はまっとうにやっていく。
ただ、それを広めたり大きくしていくには、ち密な計算と恐ろしいほどの実行力とが必要だ。しかも誰がほめてくれるわけでもない、むしろばれたらだめなのだ。自分で自分を律していかなくては成功はない。
まさに大犯罪だ。

ビジネスを自分でやるというのは、多くの場合モチベーションがどれだけ続くかでかなり左右されてしまうと思う。

大きな目標があって、それをやらねばならないという使命感もあって、というならまだいいけれど、そんなものが都合よく転がっている人生は少ないし、逆にそういうものに出会ってしまうとほんとに人生狂ってしまったりするので、善し悪しだと思う。
そうでなくても、それをやることで誰かが喜んでくれるとか、褒めてくれるとか、スゲーといわれるとかが目的になってモチベーションを生み出すこともある。
だけどいつもいつも欲しいレスポンスが返ってくるわけではない。
他人の反応に自分のモチベーションの軸を置いてしまうと、結局他人の機嫌で自分が振り回されるというお粗末なことになる。
でも、犯罪はそうはいかない。
その目的は絶対に誰にも知られてはいけないし、犯行もばれてはいけない。
自分が犯人だと人に知られたら、ゲームは負けだ。
目的の完全達成に、他人という存在は不要になる。
自分の中だけでモチベーションが完結する。
これは、大義名分で多人数をコントロールするモチベーション管理の方法とは全く異なる、対自分のみのモチベーション管理の方法だと思う。

完全犯罪のように、ビジネスを成功させよう。

そう思ったら、わたしの目指すビジネススタイルはルパン三世になった。

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つよく生きていきたい。