貧乏神が取り憑いた万引き男

本屋にいたら、ずっと小さなシャッター音がしていた。
見ると、ひとりの男がずっと首から下げたカメラのようなもので本を撮影していた。電脳万引き。なかのページを撮影し、表紙を撮影し、ご丁寧に裏表紙も撮影していた。

思わず、その男の近くまで行って凝視したが本人はしばらく撮影をやめただけだった。
棚には本が散らかっている。

Airbnbで儲ける
Amazonで中国に輸出
……

手っ取り早く儲ける副業的なノウハウ本が散らばっている。
そういう事か。
それらをネットにアップして小銭を稼いでいるのだろうか?

着ている服はユニクロをもうちょっとダメにした感じ、靴は破けたスニーカー。あと臭い。顔は父つぁん坊やみたいな、妙につるんとしたあか抜けない子供みたいな顔つきだった。

金を持っていそうにはなかった。
小悪党というよりさらに貧乏でチンケ、ケチな万引きで暮らしている、かといって本当に切羽詰まったギリギリのふちにいる感じもしない。

ただ、数千円が欲しい。数万円が欲しい。

貧乏神が取り憑いた男だった。

貧乏神は人を生かしたままその生気を吸い取っていくようだ。それが取り憑くと、単純に貧乏になるのとは違う恐ろしい気配がある。ほんのわずかの金額のために人生を費やしてしまう。
彼は、そういう状態に見えた。

立ち読みや、タダ見がいけないとはいけない。
それにどれほど助けられたかは、わたしもわかっている。それに、そうしないといられない追いつめられた時期だって、人にはあるという事もわかってる。実際そういう時期があった。

でも、貧乏神が取り憑いた男を見て、わかった。

あの時の苦しみは、目先の数十円、数百円に振り回される苦しみだった。
そうしなければ抜け出せない状況だったから、そうやっていたはずなのに、やってもやっても抜け出せない。
そのうちに、それが目的になってしまった。抜け出すための数百円の得のために、ありとあらゆることをどぶに捨てた。
そして、節約上手になって、同時に大事なものを平気で捨てられる面の皮の厚さが育った。

大事なものというのは、本当に自分がやりたいこと、欲しいものをじっくり追い求めるという事だ。

それは簡単には見つからないし、すぐには手に入らない。
イチローみたいに最初からなりたいものがあって、それを一目散に追い求めていく覚悟が備わっている人間は少ない。
簡単に見つからないのに、自分の生きたいように生きろとか、さもいい人ふうに背中を押されて、「で、どうしろと」となる。
無為の中をどうにか生きなくてはいけない。
恋愛に狂ったり、仕事ばっかりしたり、子育てや友達付き合いのあれこれで目の前を忙しくしたりすることで、それらを見ないでやり過ごす事もできるけれど、恋愛も仕事も結婚も、友達付き合いもない人間になると、「消費者」としてしか存在できないのがこの資本主義の世界だ。

消費者という存在は、実際のところ「消費される人」なのだ。

会社員、パートアルバイト、なんでもいいけど、経済活動のどこかに組み込まれて生産者の立場を取らないと、消費者になることは「一方的に吸い尽くされていく人」になるという事だ。

自分のやりたいことがわからない人間も、この経済活動に参加しなくてはいけない。(なかにはしなくてもいい人もいる。遺産で大富豪になった人とか)
その経済活動にもろくに食い込めないケースもままあるけれど、その時、貧乏神はやってくる。

商売を始めてよかったなあと思ったのは、お金を使う時「絶対必要」とわかって使う事がほとんどだという事だ。
自分のプライベートの買い物は、そういう事がとても少ない。
この服は似合う?実際そんなに着ない?
この本は役に立つ?
これ買って後悔しない?
お金を使う事にいつも迷いがある。そして、使えば使っただけ減っていくという強烈な刷り込みがある。欲しいと思っても「親が無駄と認めたものは絶対に買ってはいけない」というルールにひどい目に何度もあわされたので、欲しいものを買う事ができなかったし、買い物の判断力がひどく鈍っていた。

でも、ビジネスは違う。
必要なものは金を出して買う。支払う。
むしろここでガツッと出しておかないと、あとでとんでもない金額になってくるとか、儲けががた減りするとか、そういう事がよくある。
ビジネスにおいてお金を使う事は、消費や浪費ではなく、生産なのだ。

お金を使う事が生産だと知り、感じ、体験していく中で、わたしの金銭感覚・経済感覚は変わっていったと思う。

貧乏神の存在を感じる事ができるようになるくらいには、貧乏神の呪いが解けてきた。

この世界は等価交換でできている。という考えも、正しいものだと思う。
この世界は資本主義で金を持っている奴が勝ち、という考えも、一面の正しさであると思う。否定される内容ではない。
でもそれだけではない。それを平気で飛び越えていくような、お金を使う事がより多くを生み出すということがある。
単なる消費者という立場しか体験したことのない視点では出てこないものだ。

お金を手にしたかったら、観念を変えろという提言する本が世の中には溢れている。お金の教育が必要だという人もいる。金銭感覚というのは、とかく狂いやすいというのは言われている。
それは、お金をどう使うかの根本的な視線が「失うもの」としてみているのか、「ここから産みだされる」と見ているのか、というのが最初の違いになるんじゃないだろうか。

貧乏神は、「使えば失う」という思考を持っている。
あの貧乏神に取り憑かれて万引きをした男は、お金を使ったら失うから、なるべく使わないでページを写真に撮った。写真に撮るためのカメラを買い、犯罪行為をすることで数千円を節約した。
大損である。しかも通りすがりの女に「臭い」と思われている。

普通の人は、貧乏神がとれてからやっとお金持ちになる道が開かれるのだけれど、なにか順番を間違えてお金が先に入ってきて貧乏神はまだいる状態の場合は最悪だ。
わたしの両親は基本的に貧乏神思考だったのに、区画整理で行政からお金をもらったせいでそれを頭金に大きな家を買ってしまって、借金苦に一直線だった。

わたしは、貧乏神が去ったわけではないと思う。
ここ数カ月、昨年末からずっと苦しかったのは、この貧乏神のせいだった。
とにかくお金が出ていくターンだったので、「使えば失う」という貧乏神がやってきて、何をするにつけ苦しい気持ちになっていた。
実際、ここで使っておかないと、商品ができないから儲からない。使えば儲かるターンでもあったのだけれど、心はそれを簡単に納得しない(もちろん不良在庫をつくるためにお金を使ったらダメだけれど)。

やっと年が明けて3カ月が過ぎて、回収のターンに入ってから、じわじわと苦しみが減ってきた。
しかし、それも貧乏神思考だと思う。
お金があれば安心、という安い慢心に取り憑かれる。これこそが貧乏神の裏の顔。いい時に無駄遣いをさせ、お金を減らす。お金がない状態・飢餓感を常に持たせ続けるのが貧乏神だからだ。

そんなときに、目の前に貧乏神に取り憑かれた万引き男が現れたのは、なんとも突き刺さるものがあった。

わたしが使ったお金はすべて一円残らず「生み出すお金」になっただろうか。
たとえそれがいくら目の前では無駄に見えても、生み出すお金として扱っていただろうか。

人生で成し遂げたいことや、自分がやりたいことはそう簡単には見えない。
その無為な間にも、無駄かもしれないお金を消費していかなくては、やりたいこと、目指すものにもたどり着けない。そこである程度お金を使うなり、なにかしなくてはいけない。
でも、貧乏神に取り憑かれると、そこに使うお金がひどい損に見えてしまう。
本当は一番大切なものなのに。

使えば失うお金も、使えば生み出すお金も、傍から見たらどちらもお金を使うという行為だ。自分でも見分けがつかないかもしれない。
だからこそ、はっきりと意志をもって「生み出すお金」を使ったと感じていなくてはいけないし、感じられないなら何かがおかしいという事だ。あとで回収できるまで待つという長期的なスタミナも必要になってくる。

貧乏神に取り憑かれると、目の前の数千円の得のために、ものすごく多くのものを失う。

「金持ち父さん、貧乏父さん」という本の中に「まず自分に支払う」というルールがあった。他人の請求書にお金を回す前に、自分のためにお金を使えというような内容だった。
これは非常に勘違いされやすい内容だ。貧乏神に取り憑かれると、ほんとに勘違いして取ってしまう。
あの万引き男がすべき「自分への支払い」は、本を1冊買う事だ。盗んだ情報でこすい商売をするのではなく、どうせこすい商売なのだから1500円くらい払って堂々とやるべきだった。犯罪者になる前に。
それは本屋への支払い、出版社や作者への支払いではなくて、間違いなく自分への支払いだ。

あとせめて本は棚に戻せ。きれいにしろ。万引きとしても三流だ。

「お金はあると思えばはいってくるようになります」「豊かさは無限です」というおかね系スピリチュアル本があるけれど、それはつまり、使った以上に生みだすお金という体験の事だと思う。
というのは、別に宇宙銀行に口座を開きます!みたいなファンタジックなあれじゃなくって、普通の商売って事だ。
普通の商売は、使った分のお金を取り戻すだけではアウト。使った以上に売上をださなくては話にならないし、儲けになるには数倍から数十倍にしなくてはいけないのは基本中の基本だ。
そのためにお金を使う心構えってものはあるかもしれないけれど、別に宇宙のエネルギーの源がどうのって言わなくっても大丈夫。普通に商売していりゃいい。

貧乏神は、どこにでもいる。立派でリッチな装飾の高級ホテルのフロントにだってうようよいると思う。そういうところでリッチな空気とオーラを取り入れましょうって書いている本のせいで、貧乏神くっつけた貧乏人が金持ちのふりをしにやってきているかもしれない。

まずは、貧乏神をリリースしなくては。

それには、「使ったらなくなる、損をする」という気持ちでお金を使ってはいけないという事だ。だったら使わなければいいというのも間違いで、それも貧乏神のなせる業だ。

「使ったら使った以上に産みだせる」と確信してお金を使う事。
これだけだとおもう。
いいかえれば、非常にシンプルなことかもしれない。

わたしは、粋なお金の使い方にはまだ届きそうにないなあと思う。
それでも、商売を通じて常に救われたり、学んだりしている。

貧乏神をリリースし、お金があってもなくても確固とした意志をもって常に何かを生み出している存在になれるように願っている。
そして、粋なお金の使える大金持ちになるのだ。


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