「私の」インテリア、南北考

インテリアっていうと、北欧北欧北欧!!って圧が出てくるのですが、なんか違うんだよな……というのがずっとありまして。

ただ人気なだけあって(そして北欧のインテリア文化が飛び抜けて高いらしく)、いいものを探そうとすると北欧アイテムに辿り着いてしまうというのはある。
そして初心者や美意識が弱いものは、なんとなく素敵だと思ったものを表面的にトレースすることで満足するタイプも多い。
だから、まあつまらないコピーされたインテリアが「素敵なお部屋」として量産されているんだろうなと思う。

実際に取り組んでみるとトレースするだけでも結構えらいなと思うけれど、北欧が人気なのもわかるし、便利な事もわかる。

が、趣味じゃないんだよね!
やればやるほど趣味じゃないってことがわかってくる。

もう無地で白木でなんかこう明るいこざっぱりした感じはいいの、なんかもう無理です。そういうの趣味じゃないんです。

で、思ったんですが。
はじめてヨーロッパに行った時に、「湿気がないんだな」「というか、アジアは湿気だな」という事をしみじみ感じた。
アジアは湿気。
北欧は、湿気がない前提で動いているけど、アジアは湿気だ。

それに、アジアは暑い。
蒸し暑い。
そうすると、薄暗く涼しい事はとてもよい事になる。

北欧は、寒くて暗いので(でも夏は太陽が沈まない)、いつもうすら明るい感じが良いとされるだろうし、あたたかいのが良いとされるだろう。

この違いです。
暑いアジアと寒い北欧。
大雑把すぎる分け方だけど、これで私が「どちらかというとダークトーン(白っぽい木の家具は飽き飽きだ!)」という理由がなんとなくわかってきた。
寒い国に暮らすなら明るい室内は心地よいだろうけれど、こっちは熱帯化著しいTOKYOだ。

北=寒くて乾燥している
・部屋は明るさとあたたかさがよしとされる
・白木の家具が合う(素材になるバーチもたくさん生えている)

南=暑くて湿気がある
・薄暗く涼しさがあるのがよしとされる
・部屋の中がダークトーン

なんとなくこういう傾向はある気がする。

それと特徴的なのが、ヨーロッパに多い青い目や薄い茶色の目はまぶしい光が苦手らしく、照明も優しい。
しかしアジア圏に多い黒く濃い目はそういうのがないので、照明がぎらぎらにアクセル踏んでいくという違いは大きいと思う。

香港のネオン看板の景色とかアジアらしさ満載。それは黒い背景に派手な色と強い光という、自生のルーツがあるからだと思う。

まったく、「どういうインテリアがお好みですか」という質問の浅さと適当さには、やればやるほどうんざりする。
そんな浅い質問で、高い家具を、そうそう買い換えられない大きなものを買う手掛かりにしていくなんて、愚かすぎる。
だから、結局無難に「シンプルで、……ナチュラルな…?」と言い出してしまうのだろうし、そのニーズでなんとなく商品も企画されるし、そのせいでさらにそこに巻き込まれて自分の趣味や美意識は一生反映させられないってことになっていく。

そしてちょっと首を突っ込むと北欧勢にのされてしまう。

ウンザリする!
ここは北欧じゃないし、アジアで湿気があって、日本で、日本だけどヨーロッパにルーツのある椅子とかテーブルとかの仕組みを導入して生活しているわけだから、ごっこ遊びで表面だけなぞったコスプレしてるんじゃないんだしさ!ねえ!?
って思う。

かといって、畳で和式便所でというのはもう嫌なわけです。

この塩梅のむずかしさです。

モダンスタイルは、第一次&第二次世界大戦があって技術革新と破壊と復興、それに伴う世界の均一化によって花開いたけれど、「いうて無理がある部分あるよね!」ってなってきている気もする。

モダンスタイルは好きじゃないが、アンティークもむずかしい。
古いものはやはり今の動線にそぐわないものが結構ある。
そうなると、今の動線にあわせつつも、自分の好みの傾向をうまく生かすために、誰かの考えたパターン、テイスト、スタイルと言われるやつを完コピするのではなくて、うまい事やりたいんですが。

世の中にあるインテリアの話って、テイスト完コピを目標にしましょうという圧があるので、なんだかなーって思っている。
それも間違ってないけど、絶対に片手落ちというか、コスプレになってしまう。
でもそれも、本人が薄っぺらくて浅いからそうなるのであって、本人の(住む人の)文化文脈と芸術と表現力などが伴った場合、それは小さな部屋だろうが豪邸だろうが、それは素晴らしい空間になるだろうなというのも、なんとなくわかる。

薄っぺらい人のほうが多いので、薄っぺらい情報が受けるのだ。
世の中はやさしい(金の動く方に作られている)。

厚みのある人間として、文化芸術と歴史と、現在の環境と新しい技術、社会問題、人間の心、身体的な課題、そういう物すべてにひとつの空間が答えを出す必要がある。

今の部屋にいつまでいられるかもわからないけれど、だからと言って追及を止める必要はないのだから、もう少し考えて取り組んでみたいと思っている。

つよく生きていきたい。