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文化文脈、歴史と風土と技術の理解=インテリア!!

2024年はインテリアの年になってしまった。
1月に粗大ゴミとして棚を2台捨てたところから、部屋の形がどんどん変わっていった。
ばらばらだった棚をニトリの壁面収納を入れることで、オープンクローゼットを兼ねた壁面収納に変えた。実はまだ棚が完成しきっていない。
が、まあまあ変わってきた。

最大の変化は、丸テーブルを導入したこと。

そして「部屋」は、インテリア=家具で考える前に、空間そのものを考えないといけなかったんだなということに気が付いて、やっと今度はインテリアという課題が見えてきた。
(とかやってると、雨漏りが起きて「引っ越したら?」などと言われ……まあそうなんだけど、引っ越すにも金がかかってさ……)

インテリアって、テイスト問題ありますよね。
北欧風とか。
インダストリアルだとか。
そのあれこれ、なんか適当に言ってる感じがあったんだけど、そこら辺を全部言語化しているブログを見つけた。


インテリアって、文化文脈めっちゃ大事だった。
更に、世界史レベルの大雑把な歴史を抑えておかないとダメだった。
重ねて、その地域の気候や環境、風土もあわせて。
そこに、その時代の技術が関わって、「生活」が出てきて………という流れ全部が背景にあった上での、インテリアでいうテイストという事だった。
博識の戦い。白村江の戦いと発音がちょっと似ている。

私は、インダストリアルは嫌いじゃないけどインダストリアル派生のブルックリンスタイルも、カフェ風も、好きじゃない。
という事がわかってきた。
特にブルックリンスタイルは、やっぱりアジア人の骨格や肌質に合わない気がする。そこがいい、そこがおしゃれだから好き、というのもわかるけど、レンガむき出しでざらざらはちょっとなーってなるタイプ。

かといって、和室が一番!という右翼インテリアがいいというわけでもない。
大正ロマンっぽいのは割と好きだけど、本当に好きかというとなまじ田舎で育ってそういう残滓があったので、素直に受け入れる気持ちにもなれない。鎌倉彫の鏡台とか。

北欧系も、モダンも、ぶっちゃけあんまり好きじゃない。
特にモダン系は、安っぽいモダンスタイルが結局のところ我々の日常だったわけだから、正直イヤな事もたくさん思い出す。

ここで説明のある、天井を照らすタイプの照明(コーブ照明)とか、なんかストレスで耳が聞こえなくなるよね。スーッと体温が下がっていく感じさえある。
オフィス環境で散々ストレスにさらされていたら、そうなる。

モダンの一大分野であるミッドセンチュリーも、正直好きじゃない!
見る分にはいいが、住みたくない。
つるつるした樹脂や、金属の家具は冷たすぎる。
冷えは健康の敵!
ミッドセンチュリーが微妙なので、観葉植物もモンステラを部屋に置く気になれない。

自分の好き嫌いの理由や背景がはっきりするというのは、とても心地よい。すっきりする。なんと素晴らしい事だろう。

モダンスタイルが嫌いな理由は、「冷たい」から。
ミッドセンチュリーが嫌いな理由は、「アイコン家具が多すぎてコピーっぽさに軽薄感を感じる」から。
カフェ風が嫌いなのは「実家はカフェや喫茶店などをやっていて、実体を知り過ぎているので、カフェ風の嘘くささが居たたまれない」から。
ナチュラルが嫌いなのは、「金がない事を一生懸命ごまかしている緊張感」があるから。

嘘と冷たさが、私のヘイトを呼ぶようです。

そうなると、やはりアメリカ経由の西洋スタイルはイマイチ肌に合わない。最初からヨーロッパのほうがしっくり度はUPしそう。

で、私がとても気に入っているのが、上海アールデコとか、アジアンコロニアルスタイル。
コロニアルスタイルは、建物も妙な華やかさがあってすごく好き。

歴史的な背景からも、ヨーロッパがアジア各国を植民地コロニアルにしようとしてヨーロッパをそのまま持ってきたというストロングスタイルなので、なるほど納得です。
アメリカを経由しない。というか、アメリカもアメリカンコロニアルスタイルというのがあるくらい、当然のコロニアルスタイルを経ている。

この植民地化政策は、普通に考えて、よいものではない。
まあまあ間違ったスタイルではあった。
ただ、異文化をぶつけ合い、混ざり合った時に生まれた妙に浮かれた華やかで景気のいい感じのスタイルというのは、ものすごく魅力がある。

あやふやな価値観に揺れながら、金と権力を争ってひとやまあてようという山師たちが、なにが贅沢なのかというアイコンを競い合う。もともとその地域に住んでいた人間の文化と、新しい文化がぶつかり合う。

今の日本も、西洋スタイルを取り入れて今の形になっている。
なので、アメリカ経由の文化をわざわざがんばって室内にジオラマのように再現するタイプの『インテリア』をやるのは、私の嫌う「嘘」要素を強調することになってしまうのだと思う。

もっと自分にとって嘘のない、かといってデコレーションから逃げることのない、私が心地よくいられるインテリアとは。

ヨーロッパ方面。ただ、北欧スタイルとは微妙に違う。
建物内に植物を置くというのは、反ヨーロッパ。
クラシックかモダンかでいうと、モダン。
どのあたりにバランスの重心を置くべきか。

ここは日本なので、日本の風土と文化が背景にある。
そこにヨーロッパスタイルの家具や生活様式をのせている。
ここまでが我々に与えられている平等なスタイル。
時代はモダンなので、安く上げようとするならモダン。クラシックは金がかかる(私は特に嘘が嫌いなので、余計金がかかることになる)。
シンプルが好きかというと、実のところ「自分にとって心地よい密度の情報量で満たしたい」。なので、ミニマリスト的なすっからかんの空間、床も壁も白というのはイヤです。
じゃあどういうふうに情報を詰めたデコレーションにするのか。

というところで、やっぱり
・シノワズリ
・上海アールデコ
みたいな、租界風味が気になるところ。

でもこれらは日本以外のアジア圏でのスタイル。
ここの横滑り感をどう調整していくのかは、まだまだ考えていきたいところです。
別に日本風にすることじゃなくて、中国もタイもアジアであっても外国なわけで、アジア人であれば余計にその違いは如実。そこを「アジアだからいいよね!」でくくってしまうと、またそこに嘘が生まれるわけです。

アート(主として絵画作品)
観葉植物

このあたりからどうにかしていく、という糸口もありそう。


とにかく。
ぼんやりとしていたインテリアのテイスト問題について、かなり解像度を上げることができたのは、成長です。

こちらのブログを全部読む勢いで読んでいます。


つよく生きていきたい。